マルコの福音書(27)

2022年12月13日

2017年3月26日
聖書箇所:マルコ5:1~20
宣教題:イエスの悪霊追い出し 

今日からマルコ福音書5章に入ります。今迄の流れを確認してまいりましょう。3章でユダヤ人指導者たちはイエスの様々な奇跡のみわざや働きは悪霊の頭、ベルゼブルによって行っていることであると断罪し、イエスのメシヤ性を否定し民を扇動していきます。ここからイエス様のたとえ話は変化してきます。真に聞く耳の有る者でなければ分からないようになります。それが4章の神の国の奥義のたとえ話になります。更にイエスの働きの焦点は弟子訓練に変わっていきます。

それ故4章以降ではイエスの弟子訓練という文脈(コンテキスト)の中で読む必要があります。
4章の後半からイエスは奇跡の御業を連続して出てきます。これによってイエスがメシヤ、救い主であることを弟子たちに訓練しながら教えているのです。まず、最初の奇跡のみわざは何でしょうか。そうです。イエスと弟子たちが舟でガリラヤ湖の向こう岸に行く途中に激しい嵐にあい船が転覆しそうになった時、イエス様が風や湖に向かって「黙れ、静まれ」と言葉を発するとたちまちのうちに風はやんで穏やかになりました。これを通して弟子たちはイエスこそ自然界を支配する神であることを、恐怖心を持ちつつも学んで教えられていくのです。これがイエスの弟子訓練です。次は何かというと5章に出てくる悪霊どもを言葉一つで追い出す事が出来る力の持ち主がイエス様であるということです。(霊的世界をも支配する神)これも弟子訓練です。それでは5章1節から。

①1:場所はどこか
ガリラヤ湖であらしを静めたイエス様たち一行は向こう岸に着きます。ゲラサ人の地とあります。地図をお持ちの方は見てください。ガリラヤ湖の東側の地にゲルゲサが今日の話の舞台です。ここが異邦人の地でデカポリス地方と言います。デカ10ポリス町10の町の地域という意味です。異邦人の地ですので商売用に豚を飼育しているわけです。ユダヤとがらりと雰囲気が違う地方です。

②2~5:悪霊につかれた人の現実
 汚れた霊につかれた人。マタイでは墓場から二人出て来てイエスを迎えます。マルコでは代表して一人となっています。汚れた霊=悪霊。聖書ではあくりょうではなく、悪霊と言います。これは悪魔の子分で沢山、無数にいます。この当時の悪霊の働きと今の日本での働きと少し違います。当時は人や動物の中に入って悪を行います。今の日本では様々なもの、例えばテレビ、CM、インターネット、漫画とか様々な人の言葉を通して巧妙に働きを広めています。その目的は人間の存在を軽んじ、価値を低く見させ、創造主なる神を信じる事は愚かで、時代遅れで価値がない人だという風に考えを持って行かせます。また人は最初から人として造られたのではなく、サルから進化して偶然に人になったものであり、強いものが生き残り、価値があるかのように思い込ませます。実に巧妙に人を堕落させ、人間が生きる目的を見失うように働きかけます。勿論今も人の内に入って人格を破壊してしまう事があります。明らかに悪霊の仕業であるということもあります。

私たちはこの悪霊の存在をないものと無視してはならないし、必要以上に恐れる必要はありませんのでこの点を良くご理解ください。私たちはイエスの名によって悪霊に勝利することが出来ますから恐れる必要はないのです。
3~5:ところで彼らの住まいはどこか。墓場です。当時のユダヤは岩に出来た横穴をお墓としていました。ゲラさ地方も同じでした。ここに部屋がいくつかあり遺体を安置したので人が横になって休める場所が墓でした。また彼は鎖でつながれても外してしまう程の力を持っていました。これは悪霊の力です。夜昼関係なく叫び続け、石で自分の体を傷つけています。自分の体を傷つけるのは悪魔礼拝の特徴ですね。
※昔エリヤの時代にバアル礼拝者達は自分の体を傷つけてバアルの神に祈りをささげていました。

③6~13:イエスの悪霊追い出し
彼はイエスの所に駆け寄り7:イエス様:これは悪霊がこの人を通して自らの支配権を確立しようとして言っている言葉です。逆にイエスは悪霊に命じます。汚れた霊よこの人から出て行け。
すると7:神のみ名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。彼らはやがて主により苦しみの場所に閉じ込められる事を知っているのでこのように発言しています。お前の名は何か。レギオンです。声を出しているのは大勢の悪霊のトップであるレギオンが発している言葉です。レギオンとは当時のローマの軍団の名前です。1レギオンは3千人~6千人です。ここから大勢を表す意味に変わる。実に悪霊は3千匹~6千匹はいるのです。彼は自分達をこの地方から追い出さないでくださいと懇願します。住みやすいからです。更に豚の大群2千頭がいたのでそこに移らせてくださいと言い、イエスはそれを許しました。悪霊どもは2千頭の豚に乗り移り、驚いた豚はがけを駆け下りガリラヤ湖に落ちておぼれ死んでしまいました。驚くべきことに、この人には3千匹以上の悪霊が住んでいた事になります。但し彼らは霊的存在なのでこの時はまだ死んでいません。

④14~17:住民たちの態度
豚を飼っていた人たちは恐怖のあまり、逃げ出し、この地方で起こった出来事を知らせて回りました。人々はこれ以上損害を出したくなかったのでイエス様に出て行ってほしいと願ったのです。一方悪霊(レギオン)を宿していた人は着物を着て、正気に返って座っていたのです。でもどうも彼らの関心は正気に返った人の事より経済的な話の方が中心だったようです。

⑤18~20解放された人の態度
レギオン(悪霊)につかれていた人は苦しみから解放され、元気になりました。そして是非イエス様にお供したい、弟子にしてくださいと願い出ますが、イエスは断ります。そしてむしろ自分の家族の所に帰り、主がどんなに憐れんで下さったかを知らせないと伝えます。こうして彼は自分に対する神の恵みをデカポリス地方で語り伝えたのです。

適用 この箇所は私たちに対する弟子訓練のメッセージです。
①イエスは自然界のみならず、霊的世界の悪霊さえも言葉一つで支配する創造主なる神です。
②人の命の価値は何よりも大切です。デカポリス地方の人々の視点は癒された人ではなく、2千頭の豚の価値にありました。しかしイエスの視点は2千頭の豚ではなく、悪霊につかれた人の命でした。これを通して私たちもこの世の弱い人、小さなものに心を向ける姿勢の大切さを教えられます。

結び
私達も以前は多くの迷信、言い伝え、暦の仏滅とか、友引に心を捕えられて縛られていました。あるいは家の方向や占いに心を支配されていたとしたら、それは悪霊の影響の中にあったという事です。しかし今そのようなものを打ち破り、悪霊に打ち勝つ力を持つイエスを信頼する者とされました。主イエスこそ恐れや恐怖を打ち破る力があります。この主に今週も信頼して歩んでいこう。