マルコの福音書(19)

2022年12月13日

2016年11月20日
聖書箇所:マルコ3:13~19
宣教題:12弟子③マタイ・トマス

今日はマルコの福音書19回目の学びになります。今迄ペテロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネ・ピリポ・バルトロマイ(別名ナタナエル)について学んできました。今日は後半でマタイとトマスになります。皆さんで覚える為に弟子たちの名前を鉄道唱歌のメロディに合わせて歌ってみましょう。小さいお友達も一緒に歌いましょう。前を見てください。

①イエスの使徒たち12人、彼らは全員20代、一組4人で活動し、御国の福音伝えます。
②ペテロが最初の長(おさ)となり、弟アンデレそこに付き、ヤコブとヨハネの兄弟も、御国の為に仕えます。
③ピリポの組の者たちは、バルトロ、別名ナタナエル、マタイ、もとは取税人、トマス、あだ名がデドモ(双子)です。
④ヤコブの父はアルパヨで、シモンの前歴熱心党、別名タダイのユダがいて、裏切り者のユダ最後。
マタイとトマス マルコ3:18
1、マタイ(神からの贈り物)
彼のもう一つの名前はレビです。職業はカペナウムという町は世界中の人が行きかう道がありますので収税所を作り、ここで通行税を集めるのが仕事です。一般的には取税人と言います。前に説明したように税金請負業です。例えば税金額が1千万円と決まれば最初に1千万円を払ってしまいます。あとは税金を取り放題で残ったお金は全部自分のふところに入るシステムです。こんなもうかる商売は他にありません。それ故ローマやヘロデの手先であるとして同国のユダヤ人から嫌われていました。イエス様を信じる前のマタイはお金大好き人間で、お金を儲ける事に命を懸けていたのです。信用できるのはお金だけだと思っていたかもしれません。でも彼は今の生き方に満足せず、このままでいいのかと疑問を持っていたのです。
そのような時にマタイは情報がたくさん集まる収税所でイエス様のうわさを聞くのです。そして何回か群衆の中に混じって話を聞いたと思います。イエスは他の宗教指導者とは全く違う方であり、このイエスこそやがて来られるメシヤにちがいないと確信するようになりました。

それがルカの福音書6:27~29に書かれている内容です。イエス様はレビ(マタイ)の信仰を認めていました。それ故「私についてきなさい」と言いました。私の弟子になりなさいという意味です。ここでマタイの信仰決断、献身は見事なものです。何もかも捨てるとは、家族や責任を捨てることではなく、自分が取税人として持っているお金になる権利を何もかも捨てたのです。そしてメシヤであるイエスに自分の生涯をかけてついて行こうと後戻りが出来ないように決心したのです。その証拠に彼は自分の家で霊的に新しくされた(新生)誕生パーティをしています。お金にけちけちしていた生活を辞めイエスや取税人仲間を自宅に招いて大盤振る舞の食事会を開いて人生が変えられたお祝い会をしたのです。招かれた友達は取税人、罪人、遊女たちです。イエス様ももちろん招かれ食事を共にします。こうしてイエスはマタイの救いを喜んでくれたのです。

2、トマス
デドモ(双子)と呼ばれていますので双子であったと思われます。彼の事が書かれているのはヨハネの福音書にありますのでいくつか見てまいりましょう。
⑴ヨハネ11:14~16
ラザロがなくなったとイエスが弟子たちに話された時に、何を思ったか。このトマスは「私達も行って主イエスと一緒に死のうではないか」と他の弟子達に呼びかけました。彼はイエスの言葉を否定的に受け止め、イエス様がユダヤ人たちに命を狙われているなら自分たちも一緒に死のうではないかと絶望の言葉を述べているのです。
⑵ヨハネ14:1~6
ここはイエスの最後の晩餐の時に語ったイエスの言葉です。自分は間もなく死ぬけれど、それは天に場所を用意しに行くのだ。備えたら戻ってくると話しかけます。でも弟子達にその意味が分かりません。この時、弟子たちを代表して発言したのがトマスです。イエス様がどこに行くのか私たちにはわかりません。でもこのトマスの質問を通してイエスこそ真の道であり、真理であり、命であることが再確認されます。
⑶ヨハネ20:24~29
彼の疑い深い性格がはっきり出ている箇所です。キリストの復活の時トマスだけが一緒にいませんでした。他の弟子が復活の主イエスを見たと言っても、「私はその手の釘の跡を見て、私の指を差し入れてみなければ決して信じない」と言いはります。8日後に復活の主がトマスに現れ、質問の通りに応えます。そして「信じないものに成らないで信じるものになりなさい」と勧めます。ここでトマスは自分の不信仰を主に詫びてイエスに対し「私の主、私の神」と信仰告白するのです。

適用
⑴マタイの決断から学ぶ
自分に不利と思われる事もイエス様のみこころに適っていることならばその道を選ぶか、それとも自分の思い、我を貫き通すかで私たちの生き方も全く変わってきます。
彼はキリストの弟子として生き、やがて使徒に任じられ、変えられた歩みをしました。少なくても彼はイエスの死と復活の後40年近く元気でした。そして自分に与えられた神からの賜物、文章を書く力、記憶力、能力を生かして自分を嫌っていたユダヤ人の為に、彼はマタイの福音書を書き記しました。この書物は紀元60年代後半に書かれたと言われています。彼がイエスの心を優先して生きたように私たちも学んで生きようではありませんか。マタイは自分に与えられた神からの賜物、才能を、人の富を奪い取る道から、人に与える道に変えらました。私たちも同じように自分に与えられた賜物を生かして人の幸せの為に使いましょう。
⑵トマス
彼は疑い深く、また、物事を否定的に取る性格のようです。しかし復活のイエスに出会いイエスを「私の主、私の神」信仰告白して人生が変えられました。伝承によるとトマスはイランやインドで宣教し、最後は殉教死を遂げたと言われています。インドには聖トマス教会がある事は有名です。

結び
私たちの性格もそれぞれ違います。トマスの様に疑い深い人もいます。ペテロのようにそのまま信じて行動する人もいます。またトマスの様に物事を否定的に受け止める人もいれば、ペテロの様に積極的に受け止める人もいます。またお金第一主義に生きていたが、人生の途中からイエス様のみ心を第一にして生きるマタイのような人もいます。私たちは自分の人生をどのように生きるでしょうか。そして自分に与えられている賜物は何でしょうか。限りある私たちの一日一日を主イエスの前に誠実に生きていこうではありませんか。