マルコの福音書(18)

2022年12月13日

2016年11月13日
聖書箇所:マルコ3:13~19
宣教題:12弟子③ピリポ・ナタナエル

今日はマルコの福音書18回目の学びになります。今迄は特にペテロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネについて学んできました。主の弟子達の特徴を思い出してみましょう。ペテロはリーダーです。アンデレはイエス様を人に紹介するのが上手な人。ヤコブは12使徒最初の殉教者、ヨハネは主に愛された弟子。性格はそそっかしい人や気性が激しく、怒りっぽい人もいました。でも共通している事はイエスをメシヤ(救い主)と信じて救いを受け最初は荒削りでしたが少しずつ変えられていきます。更にイエスの十字架の死と復活の後、聖霊を受け神と人に仕える人に変えられた点です。

私達も同じように不完全ですが一方的な恵みと信仰によりキリストの救いを受けました。今も少しずつ成長しイエスに似た者と変えられつつあります。やがて12使徒達と同じように栄光の体に変えられます。それ故この望み、希望をもって地上の生涯をキリストの僕として生かされよう。

さて今日はピリポとバルトロマイ:トロマイの子、ナタナエルについて学んでいきます。彼らは聖書にあまり登場しませんが、限られた中で二人を理解したいと思います。鉄道唱歌に合わせると。①イエスの使徒たち12人、彼らは全員20代、一組4人で活動し、御国の福音伝えます。
②ペテロが最初の長(おさ)となり、弟アンデレそこに付き、ヤコブとヨハネの兄弟も、御国の為に仕えます。
③ピリポの組の者たちは、バルトロ、別名ナタナエル、マタイ、もとは取税人、トマス、あだ名がデドモ(双子)です。
④ヤコブの父はアルパヨで、シモンの前歴熱心党、別名タダイのユダがいて、裏切り者のユダ最後。

聖書箇所はマルコ3:13~19。ピリポとバルトロマイ:トロマイの子、ナタナエル(ヨハネ福音書)
①ピリポ ギリシャ風の名前であると言われています。
このピリポは使徒の働き8章でエチオピヤの宦官を導いた伝道者ピリポとは違いますので誤解の無い様にお願いします。
ヨハネ1:43~44 
ベツサイダ(魚の町)の出身、ここはガリラヤ湖の北側にある町です。ペテロやアンデレと同じ町の出身という事になります。彼がナタナエルに語り掛ける言葉から彼の人柄が少し理解できます。モーセが律法の中に書き、預言者たちが書いている方に会いましたと言ってイエスを紹介しています。モーセ律法、預言者たちとは旧約聖書の事です。この中に預言されているメシヤこそイエスだと言っているのです。ピリポはイエスをメシヤであると確信してナタナエルに紹介しています。という事は彼が聖書をよく読み、また学び、理解し、聖書に精通した人物であるという事です。
ヨハネ6:4~13
ここはイエス様が男だけで5千人(総勢数万人)の人に給食の奇跡をした時、6節でイエスはピリポを試しています。イエス様は自分のすることは分かっていますが、あえてピリポの信仰を訓練する為に「ピリポ、どこからパンを買ってきてこの人々に食べさせようか」と語り掛けます。ピリポは頭の回転が速いですので即答えます。頭の中にそろばんがあるような人です。7節200デナリのパンでは足りません。デナリとは当時の一日の賃金の額です。単純計算で例えば100万円では到底男だけで5千人の人々を満足させることは出来ないでしょうと答えます。この答えから彼はよく考え、理性的、知性的な人である事が分かります。少なくてもペテロ型の人物でない事だけは確かです。イエス様の質問の真意は、ピリポの知性は大いに評価し理解しつつも目の前にいる私こそ大いなる神のわざを成す神である事を信仰によって体験してもらいたいと願いピリポの信仰を訓練し、また試しているのです。

この様に彼の知性や理性、思慮深さは良いものですが、時には信仰の成長を阻んでいる面がありました。また一方で、彼はアンデレと性格が似ており、ナタナエルをイエスのもとに導き、イエスに面会したがっていたギリシャ人を取り次いでいますので(ヨハネ12:20~)外国の人とも交流できる柔軟性や面倒見の良さもあったのではないかと推察されます。そしてイエスの復活後ピリポも12使徒の一人として聖霊を受け大いに主に用いられる器に変えられていきました。

②バルトロマイ:トロマイの子 マルコ3:18 本名ナタナエル(神の賜物)
○ヨハネ21:2(読む) 
ここにはガリラヤのカナのナタナエルと記されています。カナといえばイエスが以前結婚式で水をぶどう酒に変えたあの有名なカナが出身地なのです。彼はイエスの復活後ペテロたちとガリラヤ湖に戻り、魚を獲っていますので漁師だったのではないかと推察されます。
○ヨハネ1:43~51
ピリポがナタナエルにイエスこそ救い主メシヤであると言って紹介したら彼は「ナザレから何の良いものが出るのだろう」と正直に告白しています。ガリラヤ出身の彼はナザレ(見張り)を良く知っていました。イエス様の時代にこの町は重要視されていませんでした。ナタナエルは聖書を良く学んでいましたので聖書に精通していたのです。しかしこの発言は彼の先入観であり、思い込み、疑い深さ、偏見の現れでもありました。

しかしイエスは47節、ナタナエルに対し彼こそ「本当の(本物)イスラエル人だと言って最高の誉め言葉をもってほめているのです。48節、どうして私を知っているのですか。私はピリポがあなたを呼ぶ前にあなたがイチジクの木の下にいるのを見た。これはイチジクの木の下でおいしいイチジクの実はどれかなと探していたのではありません。イチジクの木の下でモーセ律法を読みながら彼は神との祈りの時間を持っていたという事です。49節、ズバリ言い当てられたナタナエルはイエスこそメシヤと告白します。
こうして彼もイエスと3年間の弟子生活の中でイエスの十字架の死と復活の後聖霊を受け12使徒の一人として活躍します。イエスに対する先入観や思い込みから解放されイエスに似た性格に変えられていきます。
適用 知性と信仰のバランスを持とう
あなたはピリポやナタナエルの様に理性的、知性的で、よく考えて体験しなければ前に進まないタイプの人ですか。また物事の判断を決められず全く前に進めないタイプですか。いつも考えて一生が終わる人ですか。ナタナエルの様に先入観や思い込みが強い性格の人ですか。それとも全く反対に考えずにペテロの様にすぐに行動するタイプですか。私たちはそれぞれ性格を持っていますがイエス様に祈りつつ相談し時には大胆な信仰をもって生き方が変えられる人になれたら幸いです。知性と信仰のバランス。
暗唱聖句を覚えましょう。結び
彼らはイエスに対して不十分な理解から完成された理解者に変えられました。私達も不十分な信仰者です。数多く失敗もします。聖書理解も乏しいものです。でも弟子たちと同じようにイエスの恵みの中で、イエスを信頼しつつ一歩一歩前に向かって進んでいきたいと願っています。