マルコの福音書(16)

2022年12月13日

2016年10月23日
聖書箇所:マルコ3:13~19
宣教題:「12弟子の任命」

今日はマルコ福音書16回目の学びになります。今迄の流れを復習します。パリサイ人たちはモーセ律法の613ある命令を自分たちの都合のいいように解釈して、日常生活の中で多くの決まり事を作りました。それを口で伝える律法として口伝律法と呼びます。この口伝律法は愛と恵みにみちたモーセ律法の世界とは反対で非常に冷たく人々の生活を縛るものでした。

例えば旧約聖書ではお腹がすいた時は、いつでも他人の麦畑で摘んで食べても許されました。ところがパリサイ人は安息日にしてはならないとイエスの弟子達に文句を言い陥れようとしました。また安息日に900メートル以上歩いてはならない。他にも多くの決まり事を作りました。これに対しイエスはモーセ律法の本当の意味を民衆に教えます。それが有名なイエスの山上の垂訓です。

このようにパリサイ人の思い描いていたメシヤ像とイエス様は全く違いました。それでパリサイ人たちは自分の間違いを認めず、イエスを悪人扱いして最後には殺意を抱くようになります。身の危険を感じたイエス様は一旦ガリラヤ湖に退いて静かな時間を持ちます。しかしここでも人々が病気を癒してもらいたと押し寄せてきました。イエスは来る人に優しい声をかけ、癒しの手を差し伸べました。マタイはこのイエスの姿を見てまさしくイザヤが預言した「傷んだ葦(あし↑)を折ることなく、くすぶる燈心を消さない」本物のメシヤの姿であると記しています。これが前回までの流れです。よろしいでしょうか。

今日の聖書箇所は3:13~19になります。イエス様が12弟子を任命されたところです。平行記事はルカ6:12~16になります。この箇所は2つに分けられます。①12弟子の任命13~15 ②12弟子の名前16~19

1、12弟子の任命13~15
イエス様の弟子は他にも沢山いました。しかしイエス様はこの12人だけを特別に選びました。そして訓練するのです。12という数字で第一に思い出すのはイスラエルの12部族数です。彼らは12部族で構成されていますから関連性があると思われます。では任命の目的は何か。14~15節に書いてあります。2つあります。
①彼らを身近に置いて真の神にある者の生き方を教える為。
②弟子を12部族のイスラエル各地に遣わして神の国の福音(良い知らせ)を伝える。更にイエス様は彼らに悪霊を追い出す特別の権威、地から持たせます。彼らはこの権威を受けて各地に派遣されていきます。ここで注目したいのは彼らが成長していく事です。
12弟子の任命:12人が特別に選ばれて弟子になります。弟子とは師匠から学ぶ存在です。
ルカ6:13によると、この12弟子は更に使徒という名をイエスからつけられます。使徒というと意味は全く違ってきます。それは、イエスから特別の権威、力を受けて遣わされる事です。更にこの12人が選ばれた過程を見ていくと、決してイエス様が気まぐれや相性で選んだのではないことが分かります。実は前の夜、イエスは山にこもり夜を徹し、即ち寝ないで神に祈りをささげ、その結果として12人を弟子として選ぶ、更には使徒に任命します。ルカ6:12~13でルカはきちんと記録しています。ですからこの選びは間違いではないのです。
2、12弟子の名前16~19(12人を読んでみましょう)
皆さんはキリストの弟子になる人はやっぱり立派な人が選ばれると期待して聖書を読むとそうでもないのでほっとする人が多いかもしれません。時間の関係で6名だけ見ていきます。
①ペテロ
本名シメオン略してシモン、ニックネームはペテロ、岩という意味です。弟子の代表格。でも可成りそそかっしい所も多く失敗も多くしています。元の職業はガリラヤ湖の漁師です。学識が深いパウロと違いユダヤ教教師ではありません。でもやがて不動の岩のような信仰者に変えられます。
②ゼベダイの子、ヤコブとヨハネの兄弟
父ゼベダイは裕福な漁師。金持ちの子ですが、短気な激しい性格です。イエス様から雷の子、ボアネルゲという名前を付けられてしまいました。ああ自分と似ていると思って安心しますか。
でもヨハネは愛の人に変えられて5つの聖書を残しています。また弟子一番の長生き。ヤコブは12使徒の中で最初の殉教者として主のみもとに移されました。弟子で一番命が短い人でした。
③アンデレ
この人はペテロの弟ですが性格は兄とあまり似ていません。彼は地味な性格の人ですが良い働きを沢山しています。例えば兄のペテロをイエス様のもとに連れてきています。また五千人の給食の時にはお弁当を持っていた少年をイエスのもとに連れてきたのもアンデレです。人と人の間を取り持つのが上手なのがアンデレです。(ヨハネ6:8)
④熱心党員シモン
この人は右翼、国粋主義者と言いまして、外国人、特にローマ人が大嫌いな人でイスラエル人だけが特別に選ばれた神の選民、エリートであるという誇りを持っていました。
⑤最後はイスカリオテのユダ
カリオテ出身のユダという意味です。即ちユダだけは他の弟子と違い田舎のガリラヤ出身ではなく洗練された都会派のユダという意味です。私のようだと思う人がいますか。彼は最初主に忠実に仕えたいと願っていたのですがやがて彼の心にサタンが入り(ルカ22:3)、会計担当でしたが、いつも金を盗んでいます。やがてイエスを銀貨30枚で渡します。彼は悔い改めたのではなく、後悔しただけです。やがて首をつり自ら死んでしまったのです。悔い改めるとは考えの視点を変え、人生の向きを180度変える事です。後悔は根本的なところでの方向転換はなく、失敗したとだけ思う事です。ここがペテロと大きな違いです。しかしイエスはユダが最後まで悔い改める事を願い本人しかわからない言葉で話しかけられました。ユダが滅びに定められていたというのはイエスの心から遠く離れた考え方で聖書に反する間違った考え方です。
適用 
○弟子たちと私たちはどこが違うか。
彼らは私たちと同じ罪人であり、良い所もあり欠点もある人たちです。彼らはイエスと交わり、イエスから指導を受け、聖霊によって変えられました。私たちも聖霊によって変えられます。
○皆さんは誰タイプの人ですか。
自分はどのタイプの弟子に似ていますか。どのような人でも主に信頼するならば用いられます。
○私たちも主から選ばれた存在です。
実は私達一人ひとりも弟子たちと同じように主イエスから選ばれた存在です。だたしⅠコリント1:26~30によると、愚かで、弱く、取るに足りない、見下されているから、無に等しい存在だから選ばれたのです。しかしこれは神の前では誰をも誇らせない為であるというのです。
結論 暗唱聖句をしましょう。
私たちも同じキリスト者として聖霊の力によってイエスと似た者に変えられます。祈りつつ一歩一歩成長させていただきましょう。