マルコの福音書(11)

2022年12月13日

2016年9月18日
聖書箇所:マルコ2:13~17
宣教題:「わたしについてきなさい」

今日はマルコの福音書から11回目の学びになります。マルコはイエスが悪霊を追い出し、熱病の人を癒し、皮膚の病に冒された人をいやし、更に中風病みの人の罪を赦す権威を通して癒しを行った事を通してイエスこそ真のメシヤである事を記録しました。それこそいま私たちが読んでいるマルコの福音書であります。実にイエスこそ神が人となられた神である事をマルコは書き記したのです。ですから私たちも安心してイエス様に信頼し、従う事が出来れば幸いです。

さて今日の箇所は一人の人物がキリストの弟子として立ちあがった箇所です。今迄4人の人が弟子になる場面を見てきました。誰でしょうか。はい。ペテロとアンデレ。ヤコブとヨハネ。今日は5人目でレビです。これは別の名前でいうと誰でしょうか。はいそうです。マタイです。当時ユダヤ人は名前が2つあったようです。マタイと言う呼び方統一して話を進めます。因みにマルコ3:16以降になると12弟子全員が出そろいます。

マタイはキリストをメシヤと信じて弟子になりましたので救いを受けました。別の言い方では新生、ボーンナゲンしているという事です。かつてのマタイはどのような生き方をしていたのでしょうか。また新しくされた彼はどのように生きたでしょうか。また彼の人生の課題は何だったのか。この辺を探ってまいりましょう。平行記事マタイ9:9~14 ルカ5:27~32にあります。

1、古い人マタイ 13~14
イエス様は中風の人を癒した後、ガリラヤ湖のほとりに出て行かれました。そして多くの人々を教えていました。アルパヨの子レビ(マタイ)は所得税を集める人ではなく収税所に座って通行税を集める人です。と言っても今の税務署職員とは全く違いますので誤解の無い様にお願いします。
今から二千年前のローマ帝国がユダヤを治めていた時代に、南北に通る大きな道がありました。この道を様々な商売人達が通ります。この商売人に対して通行税を集めるのが収税所であります。交通の要所になっていました。
当時は入札と言いまして税金を集めたい人が多くいました。入札した人が仕事を請け負いました。何故か?一定金額をローマに納めればあとは取りたい放題です。ですから取税人は金持ちになれました。但し同じ国民に対してあくどい事をするので人々から嫌われていました。嫌われ者のマタイだったのです。彼は15節にあるように取税人と呼ばれ蔑まれていました。罪人とは犯罪者というより遊女、売春婦の事を指している言葉です。ですから皆女性です。

2、新しくされたマタイ 14
マタイは以前からイエス様の話を聞いていたと思います。そして心惹かれていたのではないかと思われます。話、考え方、姿格好あらゆる面でこの方こそメシヤに違いないと考えていました。丁度ここにイエスが前を通りました。そして声をかけます。「私についてきなさい」これが私に従いなさい。私の弟子になりなさいという意味です。有名な言葉「我に従え」、するとマタイはすぐに立ちあがりキリストの弟子になります。これがマルコの福音書では5番目の弟子誕生場面です。因みにルカ5:28によるとマタイは何もかも捨て、立ちあがってイエスに従ったと有りますので取税人の仕事をきっぱり辞めた事になります。
彼はこの時にイエスをメシヤと信じて救いを受けましたので心の中は新しくなりました。新生、ボーンナゲンしたのです。15節を見ると家を開放して新しく生まれた誕生パーティをしています。彼の心の変化が良くわかります。確認したいのは食卓に着かれたとはテーブルに椅子ということではないので、ここは頭を切り替えて下さい。当時の食事をするスタイルは左ひじをついて寝そべって食事をします。仲間も駆けつけました。これはマタイが変えられた事を物語っています。自分の家に友達を招いて食事するのは親しさの印です。彼はイエスと出会い新しくされましたので人生が変えられて性格がオープンになりました。以前の取税人仲間、罪人を沢山家に招きました。
罪人は遊女、売春婦の事で人々から蔑まれていました。でもこのような人がたくさん集まりました。イエス様、弟子たちも招かれて食事にあずかります。イエス様が主賓ですね。イエスがこの場に招かれていると言うのは人を分け隔てしない愛の人である証拠です。マタイは生き方が変えられました。これこそキリスト者の生き方です。あなたは救いを受けて生き方が変わりましたか。

3、彼の課題
人生には様々な課題があります。マタイの場合も大きな課題がありました。当時の宗教指導者(パリサイ派の律法学者)がパーティ後のマタイとイエスの行動を監視していたのです。彼らが集まって来てイエスの行動を逐一チェックするのです。この時は食事している姿を見てユダヤ教の伝統に違反していないかを良く調べています。具体的には取税人、罪人と一緒のテーブルで食事をすることはパリサイ人にとってありえないことでした。そこで3段階の方法で監視します。
1段階、観察、沈黙、黙って観察している。心の中で話している。2:6の段階ではこれでした。
2段階 審問、質問、マルコ2:16で質問攻勢が始まります。ここでは弟子に語り掛けています。
3段階 評価 最終的にメシヤかどうかを確かめる。彼らはイエスを悪霊の頭ベルゼベルに取りつかれていると断定して激しくののしります。マルコ3:22
マタイをイエス様によって人生が変えられてよかったねとは評価しませんでした。逆に難癖をつけます。16節。イエスの答え。マタイたちは道徳的には病人なのです。だから心の医者である私が必要なのです。私は自分を正しいと思い込んでいる人を招くために来たのではなく、へりくだって神の前に自分を罪人だと認める心を持つ人の為に来たのですと語り掛けました。

今日の話を自分たちに適用してみましょう。適用
○生き方が変わる。イエスを信じるとキリストの命を受けるので、救いが与えられ、人生観が変わります。人生観が変わると生き方が変わります。それを見る周りの人に証となります。
○賜物を生かして生きる。人には主から受けた賜物がある。それを発見して生かし使い切る。
○自分を正しいと思いこむな。へりくだれ。でないとパリサイ人の様に傲慢な心になってしまう。

結び 招きと応答
イエスは今日も、私たちに対して我に従え、私に従いなさいと招いてくださっています。これは何をするにも自分の考えや思い、計画を優先する事ではなく、立ち止まってイエスの心を優先して生きる生き方です。
イエスの心を優先して生きるとは、自分に与えられている賜物を発見しそれを生かす人生です。
例えばマタイであれば、肉体労働よりも書く方が得意でした。彼はガリラヤ湖で魚を取るよりもペンを使って正確に記録し、文章を書くことの方が能力を発揮できるのです。彼はユダヤ人を意識してイエスの生涯を書きました。今それはマタイの福音書として、多くの人に読まれています。あなたにも様々な賜物が与えられています。それを発見して主にあって生かされてまいりましょう。