マルコの福音書(10)

2022年12月13日

2016年9月11日
聖書箇所:マルコ2:1~12
宣教題:「子よ、あなたの罪は赦された」

おはようございます。今日も共に礼拝をお捧げ出来る事を感謝します。初めての方も感謝します。
先週は火曜日~木曜日まで1年ぶりに宮城県の震災被災地である仙台、石巻、南三陸町を訪問しました。今回は私たち夫婦と谷矢さんと小幡さんも一緒に行きました。今回は仙台バプテスト神学校を訪ね、石巻の「キリスト教会祈りの家」の皆さんと良い交わりが出来て感謝でした。特に娘と息子を津波で亡くされた方2名から話を伺う事が出来ました。信仰によって乗り越えている姿から大きな慰めと励ましを受けました。南三陸町でも二人から津波があった時の話を沢山聞くことができて良かったと思います。様々な人と交流が出来て大きな成果を得た旅となりました。あや子姉妹や谷矢さん、小畑さんにも聞いていただければと思います。思い切り話してくださると思います。

さて今日はマルコの福音書から10回目の学びになります。前回は1:40~45でツァラアトという皮膚の病気に冒された人がイエス様から言葉をもって癒されメシヤにしかできない業をなしたイエスこそ本物のメシヤ、救い主であるとマルコは記録しました。彼に対して「わたしの心だ、きよくなれ」と語り掛けると、たちどころに彼の皮膚は元通りになったのです。まさしくイエスはメシヤ救い主です。

続けて2:1~12から「子よ、あなたの罪は赦された」と言う題で話します。ペテロのしゅうとめの病気を癒し、次に重い皮膚病の人を癒しましたのでイエス様のうわさは、たちまち知れ渡っていきました。

2:1では数日たってと書かれていますが、どのような事が起こったのでしょうか。町の名前はカペナウム、ガリラヤ湖の近くの町です。家におられる事が知れ渡ったとは、文章の流れから言ってシモン・ペテロの家だと思われます。考古学的な調査によれば当時のカペナウムの家は、せいぜい9坪くらいの小さな平屋の家が一般的であったと言われています。9坪は畳18畳分です。この会堂の3分の一以下でしょう。ここに多くの人が集まっていました。
2節の言葉から推測すると40、50人はいたと思われます。ここでイエス様は人々に神の言葉を話していました。このような場面を頭に描きながら何が起こったかを考えてみたいと思います。皆さんは2千年前のユダヤのガリラヤ湖畔のカペナウムの小さな家の近くにいるとします。3つの区分で考えます。①2:1~5中風の人が担ぎ込まれてきた。②2:6~10イエスと律法学者の問答、③2:11~12中風の人の癒し

①2:1~5中風の人が担ぎ込まれてきた。
中風とは病気の名前で、中気とも言います。脳こうそくなどの後遺症で手足の自由が利かなくなり動けなくなる病気です。言葉が今まで通り話せなくなる事もあります。この中風の人が4人に運ばれてきました。勿論4人はイエス様の話を聞いてイエス様なら癒してくださると考えていたからです。でも中に入れません。どうしたか。屋根をはがしてこの人を寝せたまま彼をつり下ろしたのです。イエスは彼らの信仰を見て「子よ、あなたの罪は赦された」と言葉をかけました。これはイエスこそ彼の罪を赦す権威があるのだと宣言したのです。そして病の癒すことによってイエスのメシヤとしての存在が証明されるのです。実はイエスの発言・言葉は律法学者にも聞こえる様に言っている言葉です。イエスは律法学者がここにいる理由を知っていました。イエスがメシヤ救い主であるかどうかをはるばるエルサレムから調査に来ているのです。ですからこの時の空気は非常にピリピリする緊張した空気が張りつめていた環境でした。律法学者たちが冷たい視線でチェックしているのです。この様な環境の中でイエスは「子よ、あなたの罪は赦された」と宣言したのです。雰囲気が少しつかめてきましたでしょうか。

②2:6~10イエスと律法学者の問答
先ほど申し上げた通りに、ここには律法学者達がいました。彼らはユダヤ教の専門家、当時の社会の宗教指導者でもありました。何故ペテロの家に数人も押しかけていたか。これが分かるとこの聖書箇所の言わんとする事が良く読み取れます。それは当時ユダヤ人の間に盛り上がっていたのはメシヤ待望運動でした。救い主が来られる事を真剣に待ち望むことでした。そして彼らの間にはメシヤらしき人物が現れた時にとる当時の行動パターンが決まっていました。
第一段階 観察 沈黙 メシヤらしき人の行動を(6~7節:心の中で理窟を言うのです。読む)
第二段階 次に質問攻めにして確かめる。
第三段階 メシヤかどうかを最終的に評価する。
この聖書箇所ではまだ第一段階でした。6~7節:心の中で理窟を言っていますね。イエスに語り掛けないでしょう。観察しているのです。彼らの言う通りに、確かに神お一人しか罪を赦すことは出来ません。この点では彼らの理解は正しいのです。しかしイエスに対する理解は間違っていたのです。何故ならイエスこそ神が人となられた神であるのに認めなかったからです。イエスはこの時の彼らの心の中の理屈を見抜いていました。
9:どちらが優しいかと挑戦状をたたきつけているのです。

③2:11~12中風の人の癒し
罪の赦しの権威を持っているイエスは「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」この言葉を聞いて彼はすぐに起き上がり、出て行きました。即座に癒しが起こったのです。イエスの言葉に力があります。これがメシヤとしての権威があるという事です。

適用
○信仰からくる愛 
4人の行動力を見習いましょう。あきらめない信仰を見習おう。人を助けたいと言う愛を見習おう。

○罪と病の関係 罪責感(自分を強く責める人)の強い人は病気になる人が多い。
日本人は真面目なのでこの傾向が多くあります。あなたはいかがですか。是非イエス様から声をかけていただき赦しの声を聞いてください。そうするともっと自由で明るく生きる事が出来ます。

まとめ
イエスは赦しの宣言をするお方です。あなたの罪も赦すと宣言しその通りにしてくださるお方です。お祈り致しましょう。