マルコの福音書(9)

2022年12月13日

2016年9月4日
聖書箇所:マルコ1:40~45 
宣教題:わたしの心だ。きよくなれ。

おはようございます。先週は夏休みをいただき年1回他の教会で礼拝を捧げる事が出来感謝します。今年は嵐山チャペルの礼拝に出席しました。様々な事を学ばせていただきました。本庄教会の宣教は牧師の原稿を読む形でしたので創世記からでしたが皆さんいかがでしたでしょうか。またマルコ福音書に戻ります。聖書箇所はマルコ1:40~45で、ツァラトに冒された人が癒された場面でス。ここから聖書は何を私たちに語り掛けているか順を追って学んでまいりましょう。

1、絶望 40節
 ツァラト、昔の聖書はらい病と訳されていました。キリスト教会では、らい病=罪の象徴の様に教えてきた歴史があります。しかしこれは誤解から来るもので間違いでした。今日らい病という言葉は差別用語、不快用語ですから一切使ってはなりません。ハンセン氏病と言います。数十年前まで極端な誤解と、恐れがありましたので歴代の政府は隔離政策を取り、ハンセン氏病の夫婦の女性が妊娠したら堕胎をして子供が生まれないようにしました。人権を踏みにじり苦しみを与えるような事を繰り返してきたのです。日本では今も完全には解決していない問題です。またライ菌から出来るハンセン氏病は感染力も弱く聖書のツァラトとは違う病気で、今は特効薬もあり完治します。もし未だにハンセン氏病に対する誤解と偏見を持っている人がいたら是非考え方を直して下さい。

そのような訳で相応しい日本語訳が無いので03版の聖書ではそのままヘブル語のツァラトという言葉で統一しています。マルコ福音書は新約聖書ですのでレプラと言うギリシャ語ですが03版聖書では全てヘブル語のツァラトという言葉に統一されていますのでこの点をご理解ください。

ではツァラトはどのような病気か。詳しくはレビ記13章、14章にあります。これは人間の体の皮膚に出来るものです。直る時もあれば直らない時もあります。また人の体だけでなく、服、織物、編み物、革製品、家の壁にもできました。これだけでも今のハンセン氏病とは違う事が分かります。

似たような症状がでたら祭司に見せ、診断してもらう事が必要です。そしてツァラトであると宣言されたら、その人は、自分の衣服を、引き裂き、髪の毛をぐちゃぐちゃに乱し、口ひげをおおって、「汚れている。汚れている」と叫んで一人で住まなければなりませんでした。イエス様の時代もまたこのようにしなければならない時代でした。ですから、ツァラトと宣告された人の心は深い悲しみと絶望状態なります。どうですか皆さん。あなたが、本庄駅前で自分の衣服を引き裂き、髪の毛をぐちゃぐちゃに乱し(髪の毛が無い人はぐちゃぐちゃにする必要はありません)、口ひげをマスクでおおって、「汚れている。汚れている」と叫んだら周りは引くでしょ。絶望とはこのことです。

2、懇願 40節
でも彼には希望が湧いてきました。イエス様のうわさを聞いたからです。イエスこそ待ちに待ったメシヤ・救い主が本当に来られたのかもしれないと期待したのです。彼は勇気を振り絞って人々の中に出て行きます。周りは大騒ぎです。彼はイエスのみもとに来てひざまずき懇願します。ルカ5:12を見るとひれ伏してお願いした。「主よ・・・」と書かれています。これはイエスを真の神であると信じて礼拝しているのです。そして遠慮しながら言います。「おこころ一つで、私をきよくしていただけます。」彼は素直になってイエス様癒してくださいとストレートに言えないのです。何故か。彼はツァラトを患って以来、人から優しい親切な言葉をかけてもらったことがなかったと思われます。ずっと人と交流はなく、家族の愛情から遠く離れた生活が続いたのです。「主よみこころでしたら、きよくしていただけるのですが」とイエスに訴えました。ここが彼の今迄の辛い生活を表している言葉ではないでしょうか。ストレートに自分の感情を表せないのです。精一杯の懇願する姿がここにあります。

3、癒し 41~42節
でもこれからがイエス様は素晴らしい点です。言葉だけで彼を癒しました。まず彼に触るのです。ツァラト患者に触ると汚れるとされていました。イエスはそれをお構いなしで彼を深く憐れみ、手を取って彼に触れて言います。「わたしの心だ。きよくなれ」イエスの心は「私はあなたを愛している」という心です。きよくしていただけますと言う、彼の願いに対してきよくなれと答えたのです。メシヤの権威を持っている印として言葉だけでツァラトを癒したのが主イエス・キリストです。創世記には真の神はことばだけで世界を創り全てを支配している神である事が分かります。イエス様も言葉一つで人を癒すことを通してメシヤ・救い主である事を証明したのです。癒し主です。

4、結果 43~45節
人々が騒ぎ立てるとメシヤであるイエスの姿が伝わらないので、又、キリストの時ではないので、今回の癒しの業を人々に言わないよう彼に厳しく口止めしました。そして当時のルールにしや従い祭司に見せる様命じました。しかし彼はこの喜びを我慢する事が出来ずに人々に触れ回ってしまったのです。イエス様の心とは反対方向に物事が進んでいってしまいました。

今日の聖書箇所から適用してみましょう。
○イエスは私たちの心と体を癒す救い主です。
この記事を読むと、絶望状態に陥った人をイエス様が救ってくださった事が分かります。私たちに対してもイエスは救い主であり又、癒し主です。しかも心と体を癒してくださるお方です。イエスを救い主と信じると救いを受け新しい命が与えられます。その証拠に聖霊が内に住まわれます。キリストと一つになりますのでこの世にないキリストの平安を心に受けます。
今自分が絶望状態だと思っている人がいたら、イエスはあなたに「わたしの心だ。きよくなれ」と語り掛けあなたを全人格的に癒しますからイエス様に信頼して歩んでまいりましょう。

結び
今はマルコ福音書が書かれた二千年後です。私たちは新しい契約の時代に生きているのです。十字架に掛かり、死んで、葬られ、三日目によみがえり、今日も生きておられるイエスを見上げて歩んでまいりましょう。そしてツァラト患者に対して惜しみない愛の心を表して、「わたしの心だ。きよくなれ」と語られたイエスと共に歩んでまいりましょう。