マルコの福音書(6)

2022年12月13日

2016年7月24日
聖書箇所:マルコ1:21~28 
宣教題:イエスの権威 

マルコの福音書6回目の学びになります。前回はペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの二組の兄弟たちがイエスの御業を見てこのお方こそ真の神が人となられたお方、キリストであると確信してひれ伏し弟子になったことであります。どのような事を見たのでしょうか。そうです。ガリラヤ湖で
「深みに漕ぎ出し網をおろしなさい」という言葉を受けて網をおろしたらその通りに多くの魚が獲れた事でありました。皆さんはイエス様のどのような姿を通してこの方こそ神であると信じたのでしょうか。

聖書箇所から学んでいきたいと思います。
1:21~22 権威ある教え
今日の聖書箇所はガリラヤ地方の町カペナウムで起こった出来事です。イエスはすぐに安息日に会堂に入って教えられた。この日は安息日とありますので土曜日の出来事です。この時代もユダヤでは当然安息日には会堂で礼拝を捧げるのが普通のことでした。モーセ五書と預言書が朗読され、そのあとにメッセージが語られたのです。イエス様の礼拝に集いました。そして会堂管理者から頼まれて聖書の解き明かしをしました。これが教えられたという事です。
人々はイエスの教えに非常に驚きます。会堂の中がざわつくくらいに驚くわけです。律法学者の話とは全く違っていたからです。律法学者の話は昔のラビ(教師)の教えを長々と引用し、あの先生はこう言っていた。この先生はこう言っていたという、過去の話ばかりを引用し、自分が神から体験的に示された事は語れませんでした。それが律法学者の話です。民衆にとってはつまらなかったのです。一方イエスの話は神の権威をもって話していたので人々の心に感動しました。

1:23~24 反応する悪霊
ところがイエスの行動を快く思わない者がいました。彼の行動に対して必ず邪魔が入ります。これは世の常でもあります。23節:汚れた霊の存在です。これを別の言葉でいうと悪霊と言います。悪霊は人ではありません。み使いが堕落した存在です。この悪霊の頂点に立つ者は悪魔とか、サタンと呼ばれる存在です。悪霊は悪魔の子分で、結構多くいます。今日の聖書箇所の場合は悪霊がある人の内に住んでいるのです。悪霊がこの人を通して大声で叫んでいます。言葉が荒っぽいですね。「ナザレのイエス、主導権を握ろうとして言います。我々にかまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だろ」と言うのです。彼らは自分たちの末路、最後を知っています。最終的にはイエス様に滅ばされる事を知っているので、恐れているのです。
神の聖者とは神の第一の使者で、聖霊によって特別な力を受け、使命を受けて神から使わされているものという事になります。
※ここで誤解の無い様に言いますがこの言葉はこの人を通して悪霊が話した言葉です。またもう一つは、悪霊はイエス様にやがて滅ぼされる立場にありますから、私たちは悪霊を殊更恐れる必要はありません。また、この周りには悪霊がうようよいるとか言われて恐れる必要もありません。

1:25~26 悪霊追い出し
彼を叱ってとは、この人をしかりつけたのではありません。ここも誤解しやすい所です。汚れた霊即ち悪霊をしかりつけて「この人から出て行け」と神の権威をもって言われました。すると汚れた霊はその人にひきつけを起こさせて出ていったのです。ひきつけとはけいれん状態になる事です。
この人は投げ倒されましたが全くありませんでした。ルカ4:35に平行記事があります。

1:27~28 人々の驚き
これを見た民衆はまた大きな驚きにつつまれイエスの言葉の権威について論じあったのです。こうしてイエスの評判はたちまちガリラヤ全土に広がってきました。

適用
○何かを始めようとすると妨害が入る
イエス様はバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた後、荒野で悪魔の試みを受け諸入りしました。この後弟子たちを迎え人々に神の言葉を教えていきます。人々は驚きをもってイエスの話に耳を傾けるのですが妨害が入ります。悪霊どもです。必ず前に進ませまいとする勢力が妨害します。
同じように私たちが新しく何か始めようとする場合に前に進ませない勢力が働くときがあります。勿論自分たちの未熟さゆえの場合もありますが、今日の様に悪魔、悪霊どもが神の栄光を現わさせまいとして妨害する時があります。勿論悪霊の存在を侮ることは出来ませんが、あまり極端に構えて恐れる必要もありません。祈りとみ言葉の力によって乗り越える事が出来ます。

○病気と悪霊の違いを見抜く
私たちは思い込みをして病気の場合でも悪霊につかれて気が変になったとか見てしまい人を傷つけてしまう場合がありますので注意が必要です。何でも悪霊のせいにして悪霊につかれているとか断言してはなりません。多くの場合は病気によって悪霊につかれた症状に見える場合がありますので慎重に見極める必要があります。
私も今までの経験では悪霊と思われるものと関わったのは一度だけです。

しかし、同時に悪霊は人の様々な弱さに働いて人に入り込むときもあります。しかしそんなに数多くはありません。彼らはイエス様の時代から滅ぼされていますからだいぶ数は減っています。彼らは堕落した天使ですから一度滅ぼされたゾンビの様にまた生き返って数が膨大に増えるわけではないのです。また彼らは自分が最終的に滅ぼされることを知っていますから最後の悪あがきをしているだけです。故にそんなに神経質になる事は必要ありません。神社や寺の近くは悪霊がうようよしているからとか言って清めの油を注ぐ必要は全くありません。
騙されないでください。同時に悪霊は今の時代はいないのだと考えるのも悪魔の罠であります。

結論
人生は様々な時に妨害が入ってうまくいかない者です。自分の足りなさも有り、神の訓練の時もあります。同時に悪魔、悪霊の巧妙な罠もあります。彼らは最初から嘘つきであり人をだます存在です。私たちの内には聖霊様が住んで下さっているので悪霊が住む事はありません。しかし時々悪霊に上手に操られる事はあります。しかし神のみ言葉の力と聖霊の力によって悪魔、悪霊共に勝つことが出来ます。
また今日の聖書箇所を見るとイエスは神の権威に満ちている方である事が分かります。同時にイエスは愛と命に満ちているお方です。言葉をもって悪霊を追い出すお方です。今週も権威に満ちているイエスを見上げて歩んでまいりましょう。