ヨハネの黙示録(24)

2019年7月14日
聖書箇所:ヨハネの黙示録21:21~27
説教題:聖なる都エルサレム②  

前回は、神のみもとから出て天から降りて来る聖なる都新しいエルサレムはどのようなところかを見ていきました。私達が想像もつかない巨大な建物、しかも立方体である事、12の宝石で飾られている事を知らされました。この聖なる都エルサレムの様子は22章5節まで書かれています。

今日の箇所は21章21節~27節で、天の御国がどういうところか、具体的な事がまとまった形で書かれているのはここだけなのでしっかり見ていきましょう。
ましてや我々が将来行くところなので尚更関心がありますね。そして人から天国はどのようなところですかと聞かれたら、自信をもってヨハネの黙示録21章9節~22章5節から話していければ幸いです。それではお読みします。

21:都の門は12あります。ここはとてつもなく大きな真珠で出て来ます。今迄人が見たこともないような大きな真珠です。一つの真珠から門が出来ている。この地上に住む私たちの今までの常識で考えると有り得ないような真珠が出ています。しかし、ここも見たことがないからと言って比喩的に捕える必要はありません。そのまま読むことですね。

21:都の大通りは透き通ったガラスのような純金で出来ていた。この世のものでは表せない輝きで満ちている所が都の大通りです。ここが神のみもとから降りて来る新しいエルサレム、永遠の住まいなのですがほんの一部にしかすぎません。現実に移されたら圧倒されるような素晴らしく、栄光に満ちている所、それが聖なる永遠の都エルサレムです。

22:聖書で都というとまず思い浮かべるのは何でしょうか?そうですね。神殿です。神殿は創造主なる神ご自身が臨在する聖なる場所です。そこで人々は長い間礼拝を捧げてきました。
 聖書を調べてみると①ソロモンがたてた神殿②バビロン捕囚後に立てられた神殿③これから建てられる神殿(患難時代の時に)④千年王国の時に建てられる神殿、合計4つです。しかしイスラエル民族と共にあった神殿は天の御国で新しいエルサレムにはありません。そこは三位一体の神がおられ神ご自身が神殿となって下さって臨在してくださるので建物としての神殿は必要ないのです。

23~25:他にもない物があります。それは太陽も月です。三位一体の神の栄光が明かりとなり、照らしてくれるので太陽や月は必要ありません。人々は都の光によって、地の王たちはその栄光を携えて都に入ります。
そして夜がないので都の門は閉じられる事がないのです。でも眠くは有りませんのでご心配なく。今迄の体とは全く違う栄光の体に変えられるので。睡眠導入剤は必要ありませんから幸いです。

26:こうして人々は諸国の栄光と誉れを携えて都に上ってきます。

27:しかし天の御国は恵みと信仰によって救いを受けた者以外は入ることが出来ません。
今日はここまでですが、もう一度確認しましょう。12の門がある。それは巨大な真珠で出来ている。神ご自身の御臨在があるので神殿はない。
神ご自身の栄光で照らしているので太陽も月もありません。
夜がないので門が閉じる事は有りません。
ここが私達に約束されている未来の天の御国、新しい天と新しい地、聖なる都新しいエルサレムなのです。
21:5節まで新しい天と新しい地、聖なる都エルサレムは続くのです。次回になります。

適用
今日は私達がやがて移されるところをほんの少しだけ見ていきました。なぜほんの少しだけなのか
私達が永遠の世界を待ちわびながら希望をもってこの地上の生涯を生きる為です。
そして天国とはどんなところと聞かれたら自信をもってヨハネの黙示録21章9節~22章5節
迄を開いてお伝えしようではありませんか。しかもこれは天の御国のほんの一部であることも伝
えられると幸いです。

結び
永遠の新しい天と新しい地、聖なる都エルサレムを受け継ぐ条件は何でしょうか。それは恵みと
信仰によって救いを受けているかどうかであります。これこそ小羊の命の書に名前が書かれる条件
です。
そして救いを受けた人の地上に於ける生き方は、生かされている間、一日一日をこの地上の生涯を
大切に生きることです。あとどれだけ自分が生きるかは誰もわかりません。だから人生は面白いの
です。
しかも生き方の中身が重要です。それは自分の事だけを考えて生きるのではなく、常に隣人愛に生
きる事ですね。
そして自分が住んでいる地域、又は本庄児玉郡市の繁栄を願い、祈り、何らかの働きを通して貢献
する。 これが私達の生き方であります。お祈りしましょう。