ヨハネの黙示録(21)

2019年6月23日
聖書箇所:ヨハネの黙示録21:1~8 
説教題:新しい天と新しい地に向かって 

先週はヨハネの黙示録20:7~15を通して千年王国が終わってからの事を学びました。最終的に悪魔は神に反逆しエルサレムに攻撃しますが、直ぐに神の力によって打ち破られ、永遠に火と硫黄の燃えるところで苦しむようになります。ここにはあの獣と呼ばれる反キリストと偽預言者も既に入れられています。
もう一つは、白い御座の裁きについて。いのちの書に名前が書き記されていない人が、最終的に神の前に復活して裁きを受けるところでした。白い御座の前に出て自分の行いに応じて裁かれるのです。因みに白き御座の裁きは私たちと関係はあるのでしょうか。そうです。私達が白い御座の裁きに会う事は有りませんので、ご安心ください。この場面は罪人の最終的な審判ですから。

さて今日は21章です。千年間キリストによる世界支配が終わった後のこと。そうです。新しい天と新しい地、永遠の世界がいよいよ始まります。
よくテレビで見る話として葬儀の時に、あなたは今天国でゆっくりしている事でしょうとか、今天国で好きな酒を飲んでいるとか、好きな音楽をやっているとか。弔辞を読む人が結構多いです。クリスチャンも黙示録20~21章を学んでいないと、そういう人たちと同じレベルの話しかできない事になりますので、ここはしっかり学んでおきたいところです。新天新地は千年王国で予行練習をした後、私達が確実に行く所ですから。

1:新しい天と新しい地 この新しいとは時間的に新しいという意味ではなく、質的に全く新しい天地が誕生するということです。創世記1章1節で創造された世界から千年王国の世界ではなく、即ちこの地上とは全く違うのが新天新地です。どうしてか。以前の天と以前の地は過ぎ去りとあるからです。今の天地は千年王国の後に崩れさるのです。
関連する新約聖書を開きます。
○マタイ24:35、イエスが言っています。この天地は滅び去ります。しかし私の言葉は滅び去る事がありません。
○Ⅱペテロ3:10~11、しかし、主の日は盗人の様にやってきます。その日には天は大きな響きを立てて消え失せ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地の色々なわざは焼けて崩れ去ります。

○もはや海もない。新天新地には海はありません。泳げなくなるので残念と思う人もいるでしょう。現実的に海は人にたくさんの恵みをもたらしてくれる所です。
しかし聖書で海は否定的な意味でつかわれる方が多いですね。何故か?海は常に揺れ動き、人を寄せ付けず、危険なところでもあります。それ故破壊的な力の象徴として使われているのです。
でもいのちの水の川がありますのでご安心ください。
そういう事で、全く質的に新しい天と地、いのちの水の川が流れている所が私たちの未来に用意されています。

2:新しい天と地の中心は聖なる都、新しいエルサレムと呼ばれるところです。今、神のみもとを出て天から下ってくる光景をヨハネは見ます。整えられた後、完成された後に天から降りて来る。整えられる事をヨハネは「夫の為に飾られた花嫁に」たとえています。これは罪のない世界を比喩的に言っていると思います。ドレスは白なので汚れがないことを現わしています。

では新しい天と新しい地に関する事を聖書の他の箇所は何と言っているでしょうか。
○ヘブル11:9~10。アブラハムは信仰によって生きた人です。彼は約束された土地に他国人の様にして住み、待ち望んだのは、固い基礎の上に建てられた都でした。即ち黙示録21章の新しい天と新しい地を待ち望んでいたのです。彼は千年王国、そしてその先の新天新地まで見ていたのです。
○ヘブル12:22~24.天にあるエルサレム。無数のみ使いによる大祝会。
天に登録されている教会⇒全てのキリスト者のこと。
全うされた義人達の霊⇒旧約聖書時代の聖徒たち。
万民の審判者である神、新しい契約の仲介者であるイエス。
この方々がおられるところが新天新地です。
○ヨハネ14:1~3.場所を備えるイエス。場所を備えたらまた戻ってくるイエス。ここが新天新地なのです。

この場所がやがて整えられて天から下ってくるのです。救いを受け、そして死んだら天国だという低次元の話ではありません。非常に希望に満ちたところが新天新地です。今日は量が多いので2節までです。

適用
聖書はしっかりと未来を示しています。
これからの流れを確認しましょう。
○いつかわかりませんが、キリストの空中再臨があります。この日を待ち望みつつ、自分らしく、人と比較せず、使命に生きるのがキリスト者の生き方です。淡々として地味かもしれません。しかしそれは問題ではありません。しっかりと自分に示された人生を生きることが大切です。
○やがて7年間の患難時代があります。反キリストが力をふるい様々な悪事を働きます。
○7年間の患難時代の終わりにキリストが地上再臨して反キリストとその連合体を打ち滅ぼし、千年間の王国を築きます。
○千年が終わり、悪魔の最後の反逆もたちどころに滅ぼされ火と硫黄の燃えるところに永遠に閉じ込められます。
○全ての人が復活し、いのちの書に名の記されていない人への白き御座の裁き。
○その後永遠の新天新地へと続きます。この世界観をしっかり押さえて生きましょう。

結び
如何に生きるか。恵みではなく頑張りで生きようとする信仰は、律法的になり、他人の事が気になり、人を裁く信仰となりますので、このような信仰の在り方は捨てましょう。この生き方はキリスト信仰を歪め、キリストの心とは違った方向に行ってしまいます。
一方アブラハムは神の恵みの中で信仰によって生きました。私たちも同じです。信仰と恵みの中で生きるのです。そうすれば平和な一生を送れます。