ヨハネの黙示録(10)

2019年1月27日
聖書箇所:黙示3:1~6
説教題:目を覚ましなさい 

今日は7つの教会にあてた手紙の中で5番目のサルデス教会から学びます。地図を見てまいりましょう。
1:サルデスはテアテラの南にある町で、「残された者」という意味があるようです。町の特徴は5つの道路の合流地点にあり、活気ある商業の町です。毛織物と金細工も盛んであったようです。町の人々は裕福な生活をしていたのです。又この町は険しい丘の上に建てられ難攻不落と言われていました。他から侵略されることがなかったのです。そこから油断が生まれ安心しきってしまい過去2回占領されました。
同様にサルデス教会も安全であったため他からの迫害等の攻撃はなかったようです。これは良い事でありますが人々の信仰ものんきになり、やがて怠慢な生活に慣れきってしまったのです。以上がサルデス教会の背景です。

次にイエスの紹介。聖霊と教会を支配するお方がこういわれる。イエス様の指摘の内容。教会の様子を全部知っているイエス様は、最初ほめていません。普通は教会の良いところを必ず褒める、称賛するのがイエス様の姿勢ですがラオデキヤ教会とサルデス教会については褒めていません。

これだけ見ても彼らの霊的堕落ぶりが分かります。教会の雰囲気が無気力、沈滞ムード、世の中と妥協した信仰生活でした。豊かさの中にあってよかったのですが。彼らはその中にあって自分の欲望の為にだけ生きたのでした。自分第一、イエス様の事はずっと最後の頃にやっと見えてくる。その湯な信仰生活だったのです。それをイエス様は知っていました。

一方町の経済は活発で、信仰者たちも金儲けに一生けん命だったので、生きているように見えましたが、その実、信仰的にはイエスの目から見たら死んでいたのです。理由は先ほど申したように、自分たちは豊かである、町も高台にあり他からの侵略はないと思い込んでいたのでしょう。また信仰者は、迫害もないし、経済も豊かなので心配ないと思い、この世の事に目を奪われイエス様に対する信頼は忘れてしまっていたのかもしれません。

2:イエス様の勧め
目を覚ませ:信仰的に堕落している彼らに向かって信仰の心をもって生きよという命令です。
目に見えない所で悪魔は巧妙に働き堕落させようとします。
死にかけている人を力付けよ:信仰的に無気力な人に対して。働きかけよ。
全うされたとはみていない:これからやるべき事があるでしょ。

3:信仰の原点に立ちなさいという事。主の恵みを受けた事を思い出せ。思い出し続けよ(継続)
固く守れ。守り続けよ(継続)
悔改めよ。方向転換。一回きりの決断。
もし、信仰の目を覚まさなければイエスは直ぐに来る。これはイエスの再臨の事ではなく、悪に対するイエスの速やかな裁きのことです。痛い目に合わせるという事。分からせる為に。いつ裁きがあるか分からない。こういう箇所を読むと誠実に生きることの大切さを思わされます。
4~5:しかし、サルデス教会の中にも、人数は少ないがその衣を汚さなかった人々がいる。白い衣を着ている、この白はイエスによって、日々、罪を悔改めつつ、キリストと共に聖とされている人々がいたと言っている。即ち主イエスと共に生きる人々がいたのです。こうして教会の中をイエス様はきっちりと隅々までご存知です。私たちも日々、イエスに祈り、またイエスの声なき声を聞きつつ、お従いするような信徒とされたいと切に願っています。

6:キリストと聖霊様はおなじ方です。このお方の語り掛けに耳を傾け、御心に従いたいと思います。自分の思いや願いを優先するのではなく、主のみこころに従っていければ幸いです。

適用 実は死んでいる
これは厳しい言葉です。彼らは人の目には生きていたように見えたのです。でもイエスの目はごまかせません。
自分に照らしてみるとどのような事でしょうか。
信仰が形式的になり、イエスへの感謝や感動がない。
イエスを証する力が沸いてこない。
イエス様と生きた個人的で親密な交わりがない。その為、力が出てきません。
周りが気になり頑張って信仰熱心なふりをしても、心は空しい。
そんな経験はありませんか。もしあるならば、今こそ信仰の目を覚まして主イエスだけを見上げて信頼する生活に切り替えてまいりましょう。
表面的に生きたように見えても死んだ信仰では力がありません。単純にイエスを信頼する生活を取り戻しましょう。祈りやみことばを通して主イエスの力をうけましょう。

むすび
私たちはそれぞれ弱く小さな存在です。誰も同じです。でも弱いながらも主の前にも、人の前にも誠実に歩もうとするならば、主は力を下さいます。
聖霊の力を受けて歩むことが出来ます。今週も黙示録にあるサルデス教会の失敗を学び取りながらその失敗を繰り返さないものでありたいと願います。

その為にも今日の聖書箇所は私達に対するものでもある事を理解しましょう。その為にも私たちも信仰の原点に立ってすべてを知っているイエスを見上げて歩んでまいりましょう。信仰の目をもち、目を覚ましていくことです。今週も主の恵みが豊かにありますように。