クリスマスの目的

2022年12月23日

2022年12月04日
参照聖句:ヨハネ3:16~17
説教題:クリスマスの目的
松井田クリスマス

本庄市からまいりました吉田孝と申します。お招きいただきありがとうございました。今日は皆様とともにクリスマスの意味を通して自分とどう関係あるかを考えてみたいともいます。
さてクリスマスってどんな日でしょうか?私の子供のころは杉の木でクリスマスツリーを作りケーキとカレーを食べる日でした。でもこれはクリスマスとは直接関係なくて、実は今から二千年前に神が人を罪から救うためイエス・キリストをこの世界に人として生まれさせお祝いする日だと後から知りました。
但しキリストが生まれた時は全世界の人がお祝いする雰囲気は少なくて、むしろ後から命を狙われるような危険もあったくらいです。イスラエルのナザレという小さな村の家畜小屋で数人の人にお祝いされただけの寂しいクリスマスでした。
また具体的な誕生日も本当のところはだれも分かりません。ただ後になってキリスト教会の指導者が12月25日と定めて誕生をお祝いする日にしたのが今も続いています。

何故12月25日にしたか?それはこの日が冬至の次の日だからです。冬至は昼の時間が最も短いです。これから後は太陽が光を増して明るい時間帯が増えてくることに合わせたのです。キリストも多くの人を照らす光なるお方だからです。そんな意味で12月25日をキリスト誕生の日と決めたのですね。因みに今年の当時は12月22日(木)です。

もう一つ大切な事。12月24日クリスマスイブは、クリスマスの前日ではなくクリスマスのイブニング(夜)の意味です。イエスが生まれた地方では一日の数え方は日没から次の日没までと決まっていました。ですから24日の日没は暦の上では25日のクリスマスと言う事になります。

こちらを見てください。ヨハネの福音書3章16節。この聖句は非常に有名で「聖書の中の聖書」とか「小さな聖書」等と言われたりします。皆さんが誇りとする群馬県出身の新島襄先生は、この言葉を読んで「これは新約聖書の富士の山、富士山で有る」と言い、あの有名な宗教改革者マルチンルターは「これは聖書の縮図、又小さい福音書である」といったとのことです。何故ならこの短い言葉の中に聖書の中心メッセージすべて入っているからです。

まず、最初に17節を見てください。これがクリスマスそのものの意味です。「神が御子を世に遣わされた」神とは、この世界とすべてのものと人間を造られた創り主、創造主のことです。御子はイエス・キリスト、神がキリストを2千年前に人としてこの世界に送られたのがクリスマスの意味です。私たちが親しみをもって真の神が理解できるよう私達と同じ人間としてこの世界に遣わされたのです。
何故この世界に遣わされたのか?その目的は、御子によって世が救われるため。御子はイエス・キリスト、世は人間のこと。即ち、イエス・キリストを通して人が救われる、神が御子をこの世界に遣わされた。これがクリスマスの目的です。

あなたを救う為、この世界に神の御子イエスを人間として生まれさせた。また注目すべきは救われるという言葉です。何からの救いでしょうか。貧乏からの救い。借金苦からの救いか。実は私達が抱えている最も大きな課題からの救いです。なんだと思われますか?それは私たちの命の事と
生き方です。あなたや私の心の中にあって最も嫌な部分、完全に解決できない部分は何ですか?
最終的には死の問題から私達を救ってくださるのを救いと言います。
では人生の悩みの根本は何処から来ているか?それを聖書で私たちがだれでも持っているのを罪と言います。これは的外れという意味で、創造主なる神によって造られた人間がその神を見上げないで別のほうを向いて生きていることを罪と呼んでいます。ここから救われ新しい命を受ける事を救いと言います。

1.神は 16節。この神は日本人が作った八百万の神ではなく、私たち人間とこの世界のすべてを無から創られた創造主のことで、唯一神とも言います。日本ではなじみがないかもしれませんが本当の神は唯一絶対者でこよなく人を愛するのは真の神です。

2.実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
ひとり子はキリストのことで、父なる神が特別に愛するご自身の比類なきひとり子の神イエスを人としてお与えになったほどに私たちを愛された(大切にした)と言う事です。ここで注目したいと言葉は、①実にお与えになった②ほどに。そして③愛という言葉です。これは親が自分の命を犠牲にしても尚子供を大切にする思いと行動を示す言葉です。
※先日妻の友達が自分の息子の腎臓移植の為にためらいもなく自分の腎臓を提供しました。こういうのが本当の親の愛で、神が人を愛する愛と似ています。

3.それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。
残念ながらすべての人は神の前に生まれながら罪(的外れ)の性質を持っています。これが私たちの最大の悩みで有り大きな課題ですね。
キリスト者であるか、そうでないかに関係なく。罪は一生私たちの心から消えません。完全に克服することはできないのです。それ故死んだら終わりではなく、神の前に出て人生の総決算、審判を受け、義とされない人は最終的に滅びます。永遠の地獄です。

では、滅びることなく永遠の新しい命を受けるにはどうしたら良いのでしょうか?それは一方的に神によって赦される(免除)しかないのです。人間の努力で神の前に正しいとされる人はだれもいません。神の側から罪がないと認めてもらうのが唯一の方法です。

その為イエス・キリストが人として神から遣わされたのがクリスマスです。①キリストはあなたの罪の赦しの為、神の刑罰を一身に受けたのが、誕生から33年後。十字架刑により死なれた②葬られた③三日目に復活し④今も生きておられるこれを信じるだけで救われる。これが御子を信じる者と言う意味。信じて救いを受けた人の報いは罪が赦され新しい命を受けます。これを聖書で救いと言います。信じた人全員が受けます。
※私も18歳の時にこの3つ、イエスを救い主と信じて新しい命を受け人生が明るくなりました。50年たちますがこの救いは今も変わりません。来年69歳になりますが、私に与えられた使命がたくさんあって毎日フル回転です。死ぬまでフル回転ですね。生き方の中心は人の為に生きる事です。これがキリスト者の生き方の特徴です。自分の楽しみは後からついてきます。

以上で私の話は終わりですがあなたの心でイエスを救い主と信じ受け入れたらあなたの心に新しい命と罪の赦しを受けてあなたに新しい人生が待っています。今ここでイエスを信じようと決心した方は手を挙げてください。一緒に心の中で祈りましょう。お祈りします。