ヨハネの黙示録(5)

2018年11月18日
聖書箇所:ヨハネ黙示録2:1~7
説教題:初めの愛に生きよう

  
おはようございます。先週は洗礼式がありましたので黙示録は1回お休みしました。今日から2章に入ります。ここからアジア州の7つの教会に対する手紙の部分になります。地図をお配りしましたがエペソ、スミルナ、ペルガモがずっと道路でつながっていたようで、最後はラオデキヤで輪形になります。今日は最初の教会であるエペソ教会に対するキリストのメッセージになります。因みに7つの教会に対する手紙の書き方、パターンはほぼ同じです。
①宛先 〇〇にある教会のみ使いに書き送れ。
②差出人キリスト○○が言われる。
③賞賛 わたしは○○を知っている。
④叱責、非難 しかしあなたに言うべき事がある 
⑤警告、あなたは○○せよ 
⑥差出人 耳のある者は御霊が(聖霊)イエスと聖霊は同じ神である。
⑦約束 勝利を得る者に。この流れに沿ってエペソ教会に対するキリストの言葉を見て行こう。
1:宛先 エペソとは好ましいという意味。
ローマ帝国内のアジア州にある港町で当時第一の商業都市。人口25万人。ここは異教的な礼拝の中心地として有名なArtemis神殿がありました。作物がよくとれる。豊穣の神。また歴代ローマ皇帝礼拝用の神殿もありました。使徒パウロ達はこのエペソで第2次、第3次伝道旅行の時に伝道しています。使徒20:31には3年間訓戒したと書かれています。この伝道によって紀元55年誕生しました。やがてエペソ教会はアジア州で最も有力な教会に成長していきます。

教会のみ使いに書き送れ:7つの星は教会に遣わされている天使。神の言葉を人々に伝える役割があります。み使いはキリストから受けた言葉を教会に伝え、み旨を伝達するのが役割です。このメッセージが使徒ヨハネに伝えられて書かれるのです。神⇒キリスト⇒み使い⇒ヨハネ⇒教会
1:差出人はキリスト
右手、権威を表す。7は完全。全体を表す、星はみ使い。キリストのメッセージを伝える存在。金の燭台は暗闇を照らすキリスト教会の事で、7つの教会はバラバラではなくキリストの体に連なっている一つ体なる教会であります。そして教会は奥義であり、新約時代に現わされた神の御心、地上にあって貧しく小さな存在であるが神の計画の中にあって神の光を輝かせる存在で、神が今も生きて働きておられる事を闇の世にはっきり表していく存在であります。この教会の支配者が初めであり終わりであるキリストであります。

2:賞賛 わたしは○○を知っている。
私は知っている。何を知っているのか。エペソ教会がキリストの命にあふれて生きる信仰の歩みを知ってほめているのです。この順番は大切。まず評価してほめる。次に課題を示す。これと逆でまず課題を指摘して人の欠点からズバズバいう人がいますが、イエス様はそのような手法は取っていません。まずほめています。何をほめたか①読み方は、行ない、即ち労苦と忍耐を知っていると読んだ方が分かりやすい。キリスト者の生き方の現実は労苦(痛みを伴う働き)と忍耐が多いです。何故か。そのようにキリストが生きたから。これがキリスト信仰者の本質的な生き方である。こうしてイエスの恵み、愛、豊かさを味わえる幸がある。②エペソ教会の信徒たちは何が正しいか悪いか。主のみ心に沿っているか。そうでないかを知って生きた事。当時も偽使徒達が多くいました。それ故エペソ教会も悪戦苦闘していたのです。これはパウロがエペソ教会の長老たちに別れの説教をした時(使徒20:27~30)後に凶暴なオオカミが教会に入り込んであなた方をかき回すと預言している。この通りエペソ教会に偽使徒や偽教師が入り込み教会をかき回したのです。

偽の教えは例えば※キリストを信じただけでは救われない。又は信じただけでは足りない。ユダヤ人と同じように割礼を受けないと本物でない。またキリストを信じるだけでは聖霊のバプテスマを受けないとか。また目に見えない霊が善で、肉体、体はそもそも悪であるから、肉体がしたことは何をしても許される。又キリストの復活は肉体が栄光の体によみがえったのではなく、霊とか精神が復活したのだと教えます。そして復活のキリストの霊は私についている、私こそメシヤ、キリストであるから私を信ぜよともっともらしく語ります。
現代も偽教師は巧妙に話します。日本、そして世界中で、エペソ教会で起こったような事は今も起きています。聖書のみことばに巧妙に混ぜ物をし、言葉巧みに語る。そして信者の心を支配し、コントロールして金銭欲、名誉欲、支配欲を満足させて行くのです。
エペソ教会の信者はパウロの教えをよく学んでおりましたので人を惑わす偽使徒を見破り撃退したのです。これは大変な事であります。良く聖書を理解していなければ出来ません。この点をイエス様は褒めています。

3:彼らの信仰の忍耐をよくご覧になり、悪しき教えに対し、疲れ、くじける事無く取り組んだのです。またエペソ教会に書き記せと言われる方は主イエスです。実に良くエペソ教会の様子をご存じであると驚かされます。教会設立が紀元55年なので実に40年間にわたり見守ってきました。本庄教会の主もイエス様ですので60年間、主はずっと見守っていてくださっていました。何故なら私達の教会もイエス・キリストが支配し、イエス・キリストが愛してやまない教会だからです。

4:しかし同時に彼らはイエスから非難、叱責されています。
正義感あふれる教会は、時間がたつと共に、他人の欠点に敏感になり、いつの間にか人を裁きまくる教会へと変質してしまったのです。人を赦し、愛するおおらかさが消えて、裁き中心の教会になってしまいました。冷たい正統主義ともいうのでしょうか。こうなると教会は息苦しいですね。○○さん。あなたは毎日朝5時に起きて1時間聖書を読んで、また1時間祈ってから仕事していますか。○○さん。今日の服装は少し派手ではありませんか。髪の毛は茶髪にしてはいけません。
それぞれ個人の判断に任されていることまでいちいち口を出してくるのです。その人にとっては正義ですから。そしていつのまにか、信仰の喜びを失い、形式的になり、外見だけが重要になってきます。やがて自分の教会が最も聖書的、他は間違っていると言って他のキリスト教会も裁くようになります。こうなったら切捨て教で人は去っていくばかりです。
何故そうなるか:初めの愛から離れてしまったから。初めの愛とは何か?キリストが私の内に住んで下さっている。そしてキリストと命のつながりを大切にしている、具体的にはキリストの愛の中で生きる。神への愛、人への愛に生きる。彼らはいつの間にかこの初めの愛を忘れてしまいました。
適用
○エペソ教会への賞賛と叱責は自分たちへのメッセージであることを自分がよく認識しよう。
○イエス・キリストは私達の教会も良く見守って下さっているのでイエス様ならどうするだろうかをいつも考えながら主イエスを大いに信頼して親密に生きよう。
結び
初めの愛それは、イエスが私達の内におられる、主イエスとの交わりを大切にすることです。主が喜ぶ事をいつも求めながら、初めの愛を離れずに歩んでまいりましょう。その為にも原則を大切に。