ヨハネの黙示録(4)

2018年11月4日
聖書箇所:黙示録1:9~20
説教題:栄光に輝くキリストとヨハネ②

今日はヨハネの黙示録4回目になります。前回は1:8まででした。黙示録は使徒ヨハネが迫害の中にあるアジヤの7つの教会にあてた手紙です。内容は難しい、訳の分からない書物ではなく、当時の教会の兄弟姉妹達にとって励ましと希望に満ちた手紙です。本日の箇所は使徒ヨハネがパトモス島で栄光のイエスと出会い、イエス様から現在、未来の事を書き記せと命じられました。それでは進めてまいりましょう。9:パトモス島、10~16:栄光のキリスト、17~20:倒れるヨハネとキリストの命令。
○9:使徒ヨハネが黙示録を書いた時は既に80歳を超えています。この時代になるとかつての友達は誰もいません。ペテロやパウロは30年前に殉教の死を遂げています。またお兄ちゃんのヤコブはもっと前に殉教死しています。かつての仲間は誰もいません。使徒ヨハネはエペソで奉仕していましたが、ローマ皇帝を神として礼拝しない為、パトモス島に島流しになりました。鉱山労働をさせられていたと言われています。皆様に地図をお渡ししたのでご覧ください。右側にエペソ、スミルナとあります。7つの教会宛てに手紙を書きました。彼は今エーゲ海に浮かぶ孤島パトモスにいるのです。しかもイエスにある苦難と御国(イエスの御国の一員として)忍耐にあずかっています。ここを見ると苦しみあるのがキリスト者の生き方である事が分かります。ヨハネもそうでした。あなたは如何ですか?そして彼はイエスを神であると証した為に流刑となりました。

○10~16:栄光のキリスト
10:主の日にヨハネは御霊に導かれ自分の後ろからラッパの音のような大きな声を聞いた。
11:声、読む。これは栄光のイエス・キリストの言葉であります。
12:振り向くと、7つの金の燭台があった。燭台とは暗いところを照らす道具です。
13:7つある燭台の真ん中に。読む。人の子の様な方。これは人間の様だと言っているのではなく。メシヤを表す称号です。イエスは自分の事を人の子と好んで呼びました。
福音書には実に80回以上出て来るようです。
14~15:読む。目は燃える炎のよう。完璧な知識、誤りなき洞察力。
16:右:権威。7つの星⇒20節にある7つの教会。キリスト教会を支配しているのは昔も今も
イエス・キリストです。両刃の剣が出ており、裁き主としてのキリストを表しています。顔は太陽の様であった。ご自身の栄光の現れ。神の臨座による輝き。

○17~20:倒れるヨハネとキリストの命令。
栄光に満ちたイエスを見た時ヨハネは倒れる。死者の様になった。以前変貌山でイエスの姿が変わった時にはヨハネ達はひれ伏し恐れました。でもイエスはここでもヨハネに励ましの言葉を述べています。
①恐れるなと声をかけて下さる。
②初めであり、最後である。イエス・キリストの神宣言。父なる神と子なる神であるイエス・キリストの一体性。神が天地創造の時から新天新地に至るまで歴史の全てを支配している。
③十字架で死んだがいつまでも生きている。死を打ち破り復活し、永遠に生きている。
④死とハデスの鍵を持っている。死に対する権威と死者が行く場所に対する権威を持っている。
鍵とは開け閉めするもの。支配の象徴である。
19:命令。見た事、今ある事、この後に起こる事を私が啓示するから書き記せと命じたのです。現在そして未来に起こる事を書きなさいという事です。この事から私たちも当時の教会の様子を通して、自分たちに適用し学ぶ事が出来ます。未来がどうなるか黙示録を通して知ることが出来ます。未来については4章から22章についてです。
20:7つの星はみ使い達。7つの燭台は7つの教会の事。教会は本来暗闇を照らす存在である事を確認しましょう。これが秘められた意味(奥義)の解き明かしです。み使いと教会の真ん中にはキリストがいる。キリストこそ教会のかしらです。ここまでです。

適用
○栄光に満ちたイエス様
私たちが福音書で知っているイエス様は愛と恵みに満ちたお方です。
しかし、黙示録では栄光に満ちたイエス様の姿があります。両方我らが救い主イエス・キエイストです。ここではヨハネは栄光のイエスを見て、恐れて倒れてしまいましたが、決して恐ろしい方ではありません。優しく「畏れるな」と語り掛けて下さいました。またご自身が神であることを宣言されました。更に続けて十字架で死んだ後、復活し今も生きていて語り掛けます。
栄光のイエスは今、父なる神の右に座して、私達の歩みを全てご存知であると共に私たちを執り成し、いつも共にいて下さる神です。
しかしやがてイエスは地上に来られるときには裁き主として戻ってくるお方でもあります。このイエスの全体の姿を聖書からよく理解しようではありませんか。

○燭台
燭台とは闇を照らし、明るくするものです。その役割を果たすのが地上にあるキリスト教会であります。建物のことではありません。建物は教会堂の事。実は私たち一人ひとりが教会なのです。聖霊を宿し、キリストの体に連なる私たち一人一人が教会なのです。それは燭台として世の中を照らす使命がある事を覚えましょう。貴方も私も自分の置かれたところにあって世の光として周りを照らす存在です。この自覚をもって歩ませていただきましょう。この為には私達の内に住まわれる聖霊がよく働いてくださることがポイントです。主に信頼し、み言葉を蓄え、このような場合にイエス様だったらどのように行動するかをいつも考えながら歩みましょう。

結び
初めであり、終わりなるイエス・キリスト、このイエスこそ天地創造から新天新地に至るまで歴史の全てを支配しているお方です。イエスに信頼を寄せて歩ませていただこうではありませんか。