ヨハネの黙示録(3)

2018年10月28日
聖書箇所:黙示録1:9~20
説教題:栄光のキリストとヨハネ

ヨハネの黙示録3回目になります。前回は1:8までやりました。黙示録は手紙です。ヨハネが迫害の中にあるアジヤの7つの教会にあてた手紙です。内容は難しい、訳の分からない書物ではなく、当時の教会の兄弟姉妹達にとって励ましと希望に満ちた手紙です。特に2章から3章までの7つの教会については叱責、励まし、称賛の箇所は栄光のイエスご自身が直接語っているもので重みが違います。今日黙示録を読んでいる私達に対し語り掛けているものと理解すべきです。そうです。私たちにとっても励ましと希望の手紙なのです。そのような視点に立って考えてまいりましょう。

前回7節の言葉について説明が不足していたので補足します。皆様に資料を配布しましたのでご覧ください。黙示録から未来について大まかな流れを知ることが出来ます。具体的にいつかはわかりませんが、①空中再臨(2つの解釈あり4章~5章)②大患難時代黙示6章~18章③キリストの再臨、黙示録19。1章7節の意味はキリストの再臨についてです。マタイ24:29~30を開いてください。次にダニエル7:13~14、ゼカリヤ12:9~10④千年王国、黙示録20、キリストの直接統治による平和な時代、黙示20:11~キリスト者を除く人全員が復活し白い御座の前に立って裁きを受ける⑤キリスト者への約束、新天新地。黙示21章~22。こう見ると黙示録は分からない書物ではなく非常に分かりやすく励ましと希望の書である事が分かります。
9:誰がいつ何処で書いたか
○ヨハネは偉くなかった。大先生ではない。主にある兄弟。
イエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている。クリスチャンは繁栄して成功するのが祝福されていると教える指導者がいます。間違いです。祝福されたクリスチャンであっても、必ずしも繁栄するとは限りません。苦難があり、キリストの御国の一員とされ、そして忍耐を持って生きぬく。これがキリスト者であります。ですから今、苦難のある方、あなたは信仰が弱いから苦難があるのではなく、主の恵みの中に生きている証拠です。
○ヨハネが80代後半で書いた。
紀元95年頃。この時にはパウロは伝道していましたか。ペテロは元気で活躍していましたか。兄のヤコブはどうでしたか。いやパウロやペテロは30年前に殉教の死を遂げています。ローマ皇帝ネロの時代です。ヤコブはそれよりも更に数十年前に殉教の死を遂げています。イエスと共にいた仲間はもう誰もいません。あの時イエス様はこうだったよねとか、5千人以上の人に給食した時の奇跡はすごかったねとか。何が何だか分からなかったよとか、話しできる人は誰もいないのです。寂しいですね。どこで書いたか。パトモス島。もうそろそろ天国だし、観光地の島でゆっくりしたいよねと言ってパトモス島に行ったのでしょうか。そうではありません。流刑の島です。皇帝ドミティアヌスは自分を神であると認めろと人々に要求しました。自分を礼拝しろと迫ったのです。そうすれば平和に生きる事が出来ます。でもユダヤ人とクリスチャンは皇帝に膝をかがめませんでした。それ故、エペソで伝道していたヨハネは捕えられ、島流しされて、鉱山で働かされていたのです。優雅に余生を味わっていたのではありません。昔の日本でいうところの佐渡島、八丈島送りになったというところです。今日はここまでにします。次回10節以降やります。
○あなたは今日の聖書箇所を通して何を適用しますか。
これからの時代について聖書はきっちり示していますので不安を持つ必要はありません。
資料見せる。この歴史観、未来。キリストは支配者である。この確信をもって生きよう。