コリント人への手紙第一(48)

2021年5月23日
聖書箇所:Ⅰコリント15:35~49
説教題:キリストの復活と死者の復活②  

おはようございます。ネット配信をご覧の皆様もおはようございます。コロナ禍の中、
礼拝式を開催できること感謝します。ライブ配信準備もありがとうございます。
今日は聖霊降臨、ペンテコステです。もう一度私たちの内に住んでくださる聖霊、そして、助け主として、とりなし、支えてくださる聖霊の力を再確認して歩んでいければ幸いです。

さて、先週はキリストが眠った者の初穂として、死者の中から復活したのは、我々信者が復活する為である事を学びました。しかし、コリント教会の中には、死者の復活を信じない人がいてパウロに問いかけてきます。これに対するパウロの答えが今日の35節から49節になります。

●35:問いかけ(死者の復活への反論、あざけり)
当時ギリシャ人の考え方の背景にあったのは、この肉体を悪とみなし、霊を善とすることです。
そして霊魂の不滅と死後における霊魂の解放を信じていました。ですから彼らにとって「死者が体をもって復活する」のは、あざけりの対象でしかない、ばかばかしい話でした。
又、ユダヤ人の中にも、死者の体の復活を地上の体がそのまま元に戻ると考えていた人もいたようです。ですから、キリスト者になったとしても、パウロが教える死者の復活を受け入れない人もいたのです。

そこでまず、この記事を読んで思い出す青書箇所があります。使徒17:18、32.パウロのアテネ伝道の時です。アテネでエピクロス派とストア派の哲学者が、パウロをアレオパゴスの丘、政治の中心地に連れて行き、死者の復活について話を聞いた後の態度、発言がここに在ります。ここを見るとギリシャ人の考え方の背景が分かります。
・質問:死者はどのようにして(どんな方法でその内容)又、どのような体で甦るのか?彼らにしてみれば、そんなのは、あり得ないこととして問いかけているのです。

●36~49:パウロの答え
・36:開口一番、愚か者よ、コリントの人達(ここを読むとイエスが教え語られた、ヨハネ12:24 一粒の麦の話が思い出されます)まことに、まことに、あなた方に言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら豊かな実を結びます。」古い物が死ななければ新しい命は生まれない。死者の復活の原則は人間も同じ。それが分からない、あなた方は愚か者だ!

37:私達の体は、のちに出来るからだではなく(これは復活の栄光の体のこと)それとは大きく違って、ただの体であるが、やがて、死ぬことによって初めて新しいからだ、命に変る。
これはいつ起こるか?今でしょではありません。キリストの再臨(携挙)の時です。

38:神による新しい創造
ここは私達の地上の体と、将来における私達の栄光の体とのつながりについて述べています。
私達がキリストの再臨の時、栄光の体に復活する時は、全く別の私達になるのではなく、私達のこの体が栄光の体に変って復活するのです。但し神が御心のままになさることであります。

39:私達はそれぞれ多種多様なものとして神に造られた存在です。だから、人間、獣、鳥、魚
皆違います。
40~41:天上のからだ(天体、星々の輝き)と地上の体の輝きはみな違う。

●新しい展開 死者の復活はキリストの似姿と同じように変えられる(以下詳細)
42 死者の体の復活は、朽ちるもの(滅びる)から、朽ちない(滅びない)ものへ変えられる。
例:そのまま私たちに適用できる。
43:卑しいものから栄光あるからだに、弱いものから、力あるものによみがえらされる。
44:血肉の体から、御霊に属するからだに変えられる。(御霊に属する体は幽霊ではなく、私達の体が栄光の体に変るということです)

●アダムとキリストの対比
45:アダマー(土)が、神から息吹を受けアダム(生きる者)になった。しかし、最後のアダム(イエス)は命を与える御霊となった。死んだ人々を新しい命に返す御霊なる神の役割を果たされたのです。
46:最初にあったもの、血肉(アダム)後のもの(イエスは後に来る)
47:来たところ 第一の人⇒地上、第二の人⇒天
48:土で造られたもの、土に似ている 天の属する者は、天に属する方に似ている。

●結論 35節の質問に対するパウロの答え
49:私達の体は土でつくられ、この地上生涯が終わったら土に返るものです。
でもこの体は、キリストが再臨する時、瞬間的に栄光の体、即ちキリストと同じ似姿へと変えられるのです。これが35節で彼らが、馬鹿にしていた事に対するパウロの最終的な回答です。

同時にこれこそが私達キリスト者の希望です。再臨(携挙)はいつか、誰もわかりません。今日かもしれない、明日かもしれないのです。でも必ずキリスト者を迎えに空中に来ます。
これに対して、キリストの地上再臨は7年間の患難時代が終わりの時と言うのが分かっています。そして再臨のキリストは反キリストに攻撃されて苦しんでいるときに、イスラエル人を救い、やがてオリーブ山に立ち、反キリストとその軍勢を、たちどころに滅ぼし、その後、キリストを中心とする千年間の王国時代へと続きます。そして最終的には白い御座の裁き(ここにはキリスト者は経ちません)新天新地へとつながります。やがて世界はこのようになります。聖書の終末論です。

終わりに
主と同じ栄光の体に変えられるのは、他の聖書箇所にもありますので、そこを見て結びにします。ピリピ3:20~21 私達の卑しい体を、ご自分の栄光に輝く体と同じ姿に変えてくださるのです。399頁 これは再臨でも地上再臨ではなく、その前にある空中再臨の方です。その為にもキリストの再臨(携挙)を待ち望もう。キリストの復活と死者の復活②はこれで終わります。 
来週は私達が変えられる場面です。お祈りいたしましょう。