コリント人への手紙第一(40)

2021年3月28日
聖書箇所:Ⅰコリント14:1~6
説教題:愛・預言・異言  

おはようございます。ライブ配信準備はOKですか。はい、ありがとうございます。ネットを通して共に礼拝をささげている本庄教会の皆さん、友達の皆さん、そして本庄教会に関心をもってくださる皆様おはようございます。これからの時間宜しくお願いします。

さて、今週は受難週。イエス様の最後の一週間です。十字架の身代わりの死のみわざを通して、主の苦しみをもう一度覚えたいと思います。そして来週は十字架の御業の結果、三日目の復活、イースターを祝うことが出来る恵みを感謝します。今年もコロナの中で特別な行事はありませんが、復活のメッセージ、又、卵を配る予定です。お楽しみに。聖餐式も執り行う予定です。

今日の聖書箇所は14章ですが、ここは12章から始まる御霊の賜物の続きです。13章で、すべての賜物の基礎である愛について考えました。どんなに賜物が豊かで、賜物を生かした働きをしていても、愛が無ければ、無意味だとパウロは言います。では聖書のいう愛とは何か?ここは2週間前の復習ですね。13章4節~7節の特徴:対人関係の行動が伴う
●積極的な言い方 
・寛容⇒忍耐強く我慢強い。・親切⇒人に情け深い
●何々しない 消極的な言い方 
・妬まない⇒嫉妬心を持たない。時々教会で見られるトラブルの原因に嫉妬があります。
・自慢せず⇒誇らず、おごらず、自分を立派だとは思わない、人から評価されなくてもOK。
・高慢にならない⇒高ぶらず、いばらず、人を見下すことをしない(上から目線の物言い)
・礼儀に反しない⇒相手に失礼な振る舞いをしない
・自分の利益を求めない⇒自分の権利や物事に固執しない柔らかな心を持つ。
・いら立たず⇒人に対する恨みや怒りを遅くする事。怒りっぽくないように努める。
・人がした悪に心を止めず⇒人の悪を数え立てない。10倍膨らまして悪く言わない。
・不正を喜ばず⇒欠点や弱点を見つけて喜ぶのではなく、人の良いところを見て喜ぶ。
●積極的な言い方 
・真理を喜ぶ⇒真理を得て素直に喜べるのは幸いですね。
・すべてを耐え⇒どんなことも耐える。投げ出さない。・すべてを信じ⇒燐人の最善を信じる
・すべてを望み⇒希望を抱く。・全てを忍びます⇒忍耐する。
以上が神の愛の定義ですが100パーセント出来る人は誰もいません。十字架上で愛を完成したイエス様だけで、この愛は、もともと私達に備わっていません。イエスの十字架と復活のみわざを通して救いを受け、聖霊の力によって一歩踏み出す時に、愛が育ってきます。
●次に先週の復習、いつまでも残るもの信仰、希望、愛について。13章13節がポイントです。
①信仰
信仰は神への信頼、神との人格的な交わり。当然、私達が新天新地に移されてからも、神への信頼と人格的な交わりは強まるので、信仰はずっと続く事になります。
②希望
新天新地は真の希望であるキリストと父なる神が共におられるところであります。故に希望に満ち溢れた場所なので、キリストに在る希望はずっと続き、失望に終わることはない。
③愛
愛はすべての基礎で道です。それ故この神の愛こそが最も優れておりいつまでも残るものです。
何故か?愛は神のご性質だからです。33歳のキリストの公生涯に於ける言葉、態度を振り返る時、分かります。敵対する人を赦し、迫害する者のために祈り、最終的に人の罪の身代わりに十字架上で苦しみを耐え忍び、メシヤとしての役割を果たして呪われた者としての死を成し遂げました。ここに神の愛があり、信仰、希望、愛の中で一番すぐれているのが愛です。

●今日は14章1節から、パウロは最も優れている愛を求めなさいと命令しています。生涯に亘り求め続けなさいという意味で、12章31節で愛を「はるかにまさる道を示しましょう」13章13節では「その中で最も優れたものは愛です」14章1節で「愛を追い求めなさい」と勧めていますので、如何に愛を求めて生きる事が大切か分かります。愛の定義は13:4~7です。

●続いて、パウロは、これ以降ずっと預言と異言について語っています。
今日は時間の関係で6節までになります。まず言葉の定義から。
・預言は未来の事を予め語るというよりも、聖霊によって、聖書に示された神の言葉の意味を解き明かし、神のみこころとご計画、取り扱いを人に伝える賜物です。これは個人的な会話の中でも出来ますし、少人数の集まりで聖書を解き明かす事や礼拝の中で御言葉を解き明かし、神の御心を分かりやすく伝える賜物です。この賜物は教会全体の徳を高め、教会を成長に導きます。

この預言の賜物は牧師や教師の立部でなければ出来ない訳ではありません。聖書を学んで意味を理解し、日常生活に適用して教える賜物なので、それぞれがこの賜物を求めていくことが重要です。12章31節には「より優れた賜物を熱心に求めなさい」ありますので求めましょう。

・続いて異言、これは神への祈り、具体的には、通常一般の人には分からない言葉で、神との幸いな時間を過ごすことが出来ます。しかし異言は個人の信仰の徳は高めますが、言葉の意味が分からないので教会全体の徳を高める事は出来ません。預言と比較してより優れた賜物とは言えません。

1:預言と異言の賜物の特徴をのべましたが、預言を熱心に求めよとは今述べた理由からです。
2:ここも先ほど説明した通りです。神に向かって話すので教会員は誰も理解できません。聖霊に導かれて神の奥儀、真理を語るものだからです。
3~4:預言の優れている点、●人を育てる:教会全体が健全な信仰に導かれ成長する●勧め
神の前に心を新たにされ、我に返る。●慰め:人の状況を変え悲しみから喜びに変える神の力。

5:異言と預言を比較して、預言の賜物の優位性をのべています。預言は皆に分かる聖書の真理を皆に分かる言葉で解釈し、適用して語り掛けるので、信仰の成長に役立ちます。一方、異言は解き明かしできる人がいなければ何を話しているかわからない。結果的に教会全体の益に繋がらない。
6:結論部分、
パウロは異言の賜物を受けていました。しかしコリント教会で話しても解き明かす人がいなければ何の益もないので語りません。それは会衆に対して、神のみ旨を現す啓示の言葉や、知識、預言の言葉をわかる言葉で語らなければ何の益にもなりません。このように異言に対し預言の方が教会成長の視点から優れているとのべています。6節以降もずっと預言と異言の話を展開しています。ここまで語る背景はコリント教会での礼拝が神の秩序に基づかない、異言が語られていた為に混乱していたことがあげられます。
結論:イエスの十字架の救いの意味を明確に語る預言、そして愛を求め続けるキリスト者になろう。