コリント人への手紙第一(38)

2021年3月14日
聖書箇所:Ⅰコリント13:1~7
説教題:賜物を受けても愛がなければ  

おはようございます。ライブ配信は準備OKですか。はい、ありがとうございます。という訳でライブ配信を通して礼拝をささげている皆さん。おはようございます。今日もご一緒できることを感謝します。聖書箇所はコリント人への手紙13:1~7。

さてコリント人への手紙第一12章から御霊の賜物について学んできましたが、前半は御霊の賜物9つを紹介、28節以降で新たに2つ、援助と管理の賜物が加えられました。御霊の賜物は、イエスを救い主と信じた後に与えられるものです。この賜物をそれぞれが主によって相応しく与えられ、生かしていくことによりキリストの教会は建て上げられて成長していきます。

そして前回の締めくくりでパウロは、より優れた賜物を熱心に求めなさいと勧めています。賜物は主から与えられると共に求めていく事も必要です。より優れた賜物は今の時代に適用するなら、預言、癒し、霊を見分ける、援助、管理の賜物等が考えられます。

今日はその続きで、パウロが、はるかにまさる道を示しましょうと述べています。文脈では12章31節後半から新たな展開になります。注目すべきは、はるかにまさる賜物と言わないで、はるかにまさる道といっています。道は私達が目的地まで行くのに必要なものですから、ここでは御霊の賜物を生かす土台と解釈することが出来ます。ではその土台とは何でしょうか。

そうです。愛ですね。しかも皆様ご存じのように、この愛は人から出るものではなく、神から出る愛。一方的に、相手から見返りを期待しない愛。別の言い方で、イエスが人を愛し仕えた生涯、そして、人を罪から救うため、自ら十字架に掛かり、苦しみ、神の刑罰を身代わりに受けた十字架刑こそが神からの愛です。

1:パウロは人の異言やみ使いの異言(一般の人には理解しにくい、神と語り合う言葉))で話しても、愛がなければ、うるさいどらやシンバルと同じです。どらも、シンバルも、大きな音を響かせる楽器で同じようなものです。愛が無ければ本来持つ異言の賜物が生かされないという譬えです。実にこの愛こそ御霊の賜物を生かす道で、同じような書き方が3節まで続きます。

2:預言の賜物や、あらゆる奥義に通じ、知識があり、山を動かすほどの信仰があったとしても、愛がないなら無に等しい。預言は神から言葉を預かり人に福音を伝える賜物。奥義や知識は隠された神の真理や神についての深い知識を語る事。山を動かすほどの信仰は、文字通り、富士山や筑波山が東に100m動くのではなく、通常出来ない事を奇跡の賜物を通して可能にする信仰。

でも優れた賜物を受けても、隣人を大切にする愛がないなら無に等しい。隣人愛とは人が持つ、生まれながらの愛ではなく、神から受けて育つ愛のことです。パウロはコリント教会の兄弟姉妹達にその神の愛を求めよと勧めます。当然私達にも勧めています。

3:持っている者すべてを分け与えても愛が無ければ何の役にも立たない。自己犠牲を通して慈善事業をしてもと言うことです。神の愛をもって分け与えるのでなければ役に立ちません。
体を引き渡して誇ることになっても、これは愛の行為に潜む人間の誇る思いをのべています。主に在って良い業をしても誇りやおごりがあったら何の役にも立たないのです。やはりそこにはいつも神から出る愛を受け止めつつ、謙虚に生きることがキリスト者に必要な道なのです。

4:ここから、有名な神の愛について具体的な言葉が出てきます。この愛は私達が生まれながら持っている自己中心的な愛ではなく、イエスを信じて聖霊のバプテスマを受け命で繋がったところから出てくる愛で、人に見返りを求めない性質です。この愛を求め続けて生きる事が、御霊の賜物を生かす、はるかにまさる道なのです。そして愛はすべて相手を受け入れる事から始まります。

積極的な言い方 対人関係
・寛容⇒忍耐強く我慢強い
・親切⇒人に情け深い

~にしない 否定的な言い方 対人関係
・妬まない⇒嫉妬心を持たない(時々教会で見られるトラブルの原因になるもの)
・自慢せず⇒誇らず、おごらず、自分を立派だとは思わない、人から評価されなくてもOK。
・高慢にならない⇒高ぶらず、いばらず、人を見下すことをしない(上から目線の物言い)
・礼儀に反しない⇒失礼な振る舞いをしない
・自分の利益を求めない⇒自分の権利や物事に固執しない柔らかな心を持つ。
・いら立たず⇒人に対する恨みや怒りを遅くする事。怒りっぽくない。
・人がした悪に心を止めず⇒人の悪を数え立てない。10倍膨らまして悪く言う人もいます。
・不正を喜ばず⇒欠点や弱点を見つけて喜ぶのではなく、その人の良いところを見て喜ぶ。

積極的な言い方 対人関係
・真理を喜ぶ⇒真理を得て素直に喜べるのは幸いですね。
・すべてを耐え⇒どんなことが起こっても耐える。
・すべてを信じ⇒燐人の最善を信じる
・すべてを望み⇒希望を抱く
・全てを忍びます⇒忍耐する。

以上が対人関係における神の愛の姿勢です。これを100パーセント出きる人は誰もいません。イエス様だけです。そしてこの愛は、もともと私達には備わっていません。イエスの十字架と復活のみわざを通して救いを受けた時、聖霊の力によって愛の一歩を踏み出せるのです。
是非、イエスの愛が増し加わるよう、祈り求めてまいりましょう。そうすれば私達に与えられている賜物に磨きがかかり、もう一歩イエスの栄光を現すことが出来るようになります。そうすると結果的にキリスト者の使命である宣教と社会的責任を果たせることに繋がります。

結び
賜物を受けても愛が無ければ意味がありません。もう一度、自分に注がれている御霊の賜物を確認し、より優れた賜物を求めましょう。そして土台である神の愛が増し加わるように願いましょう。これこそ私達が生涯にわたって求めていくべきものであります。お祈りしま