コリント人への手紙第一(35)

2021年2月21日
聖書箇所:Ⅰコリント12:1~11
説教題:御霊の賜物を知ろう  

おはようございます。今日のチャペル礼拝もライブ配信されます。準備OKですか。はい、ありがとうございます。という訳でインターネットを通して礼拝している本庄教会の皆さん、また他教会の皆様おはようございます。お元気でしたか?共に聖書から学んでまいりましょう。
前回まで11章から4回にわたり礼拝の被り物について、主の晩餐の意味や執り行いについて学んできましたが、今日から新しい展開で御霊の賜物についてパウロは丁寧に教えているところから学んでまいりましょう。12章~14章になります。

1:さて、パウロがどうして御霊の賜物について長々と書いていると思いますか?そうです。コリント教会の人たちは御霊の賜物(カリスマ)理解が足りませんでした。14章で異言の賜物の事が出てきますが、これは異言の理解が偏っていたことが原因で教会の中が混乱したのです。

彼らが礼拝の時に語っていた異言は、使徒の働き2章ペンテコステの時、使徒達が、外国のことばで語りだしたのとは違って、意味不明の言葉を無秩序に、又、恍惚状態になって語りだしたのです。それが最もすぐれた賜物であると考えていました。そういう背景がありパウロは「御霊の賜物について知らないでほしくありません」と述べているのです。よく理解して欲しいということです。

御霊はイエスをメシヤと信じた人の中に住まわれます。それを御霊の内住、聖霊のバプテスマを受けると言います。その時に主は御霊の賜物がそれぞれの信者に相応しく与えます。知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒しの賜物でここでは9種類出てきます。御霊の賜物(カリスマ)です。皆が何らかの賜物を受けます。ですからここで述べている御霊の賜物は私達が生まれながら持っている才能や能力、勉強や訓練によって身に付けた実力とは違いますので混乱しないようにしてください。聖霊が主権をもってそれぞれの信者に授けるものですから、Aさんは賜物があるけど自分にはないといってねたむ性質のものではありません。

2~3:コリントは偶像の多い町で、信仰的思いのある人は偶像神殿に連れていかれ祭司、神殿娼婦、偶像崇拝者が恍惚状態になって叫んだり、踊ったりして神々と一体となっているかのような光景を見たかもしれません。そこに魅力を感じた人は、後にキリスト者になっても、異教的な者とわかっていながら、教会でも恍惚状態になる事が信仰的、霊的な事と考えていたようです。

しかし、御霊を受けて語る人は、だれも「イエスは呪われよ」又は「イエスは捨てられよ」とは言わないのです。では何というか?聖霊に導かれ「イエスは主です」と言うのです。「イエスは私の救い主」と告白している人こそキリスト者です。自分はキリスト者だが、どうしても「イエスは主です」告白できない方はいますか?そうです。いません。そのような人はキリスト者ではありません。教会はイエスを主と告白する人たちの群れでありますから。

4~7:御霊についてパウロが述べています。
4:御霊の賜物の種類は色々あってコリント第一12章だけでも9つ紹介されています。その賜物を与えるのは御霊なる神です。それぞれの人格、能力、才能を見極めて御霊が主権をもって与えるものです。主権者が御霊なる神ですから、賜物が与えられないからと不満を持つ立場にない。
5:御霊の賜物を用いての奉仕は色々ある。誰に奉仕するか?主イエス様に仕えるのです。
6:働きは色々あるが、同じ神が御霊の賜物を与えて働きを活気付けるのです。このように三位一体の父、御子、御霊なる神が賜物を信者に分け与えるのです。

7:では御霊の賜物が信者に注がれるのは何の為でしょうか?そうです。皆さんに利益をもたらす為です。例えば本庄キリスト教会が恵みにあふれて成長する為です。埼玉北部の諸教会、埼玉全県下、関東、日本、アジア、世界中の諸教会が喜び溢れて成長するため御霊の現れが与えられるのです。

ですから御霊の賜物を受けた人はそれを有効に生かしてイエスの栄光が現わされる為に用いる必要があります。出し惜しみや、隠す必要はありません。また人に自慢や誇る事をしてはなりません。又、Aさんに御霊の賜物が注がれているのに、自分に無いからと妬みをもってはなりません。皆の利益のため、教会が成長し、神の栄光が現れる為に神が主権をもって与えております。

8~11:御霊の賜物の種類 ここでは9つ紹介されています。
・知恵、知識の言葉、2つとも深く広い知的な賜物で聖書理解を深めて正しく伝える賜物です。
・信仰、これはすべての信者に与えられている信仰と言う意味ではなく、奇跡を生み出すような別次元の信仰、※例えば祈りと信仰だけで2千人の孤児を養ったジョージュ・ミュウラーはこの賜物を受けていたと思われます。

・癒しの賜物、文字通り人のために祈ると病や心が癒される賜物です。
・奇跡を行う力、特別に大きな神の力が注がれて神の業が現わされることです。
・預言、神の言葉を預かり聖霊の導きで正しく人々に伝える賜物です。聖書の説教、メッセージが該当します。牧師はこれが無いと務まりません。
・霊を見分ける力、※例えば、他の人が語る言葉が神からのものか、即ち聖霊から来ている言葉か、悪霊が上手に語っているのかをその霊を見分ける賜物です。

・種々の異言、異国の言葉や意味不明の言葉を語ることです。特に後者は、他の人には意味不明です。何故なら、異言の賜物は人に語るのではなく神に向かって神を讃える言葉です。パウロも異言の賜物を受けていました。でも異言には偽物もあり、悪霊が働き、神を呪っている場合がある。コリント教会の人々は異言を重要視していましたが、すぐれた賜物であるとして誇っていたのです。この異言は個人の徳は高めるが教会全体の徳は高めないので低いのが現状です。

・異言を解き明かす力、人々が異言で話してもそれを解き明かす賜物を持つ人がいないと教会は混乱します。他の人にその意味が分からないから。ですから礼拝では解き明かしの賜物を持つ人が一緒にいなければ語ってはならないのです。でないと、全く皆の利益にはなりません。
適用
貴方はどんな賜物が与えられていますか?是非、与えられている事を確認して兄弟姉妹の成長や利益のために生かしてください。そして主の栄光が現わされます様に祈ります。
結び
御霊の賜物は14章まで続きます。私達も、御霊の賜物についてよく知り、無知であってなりません。しっかりと学んで、主の僕として、力が発揮される様な生き方をさせてもらいましょう。