コリント人への手紙第一(33)

2022年12月4日

2021年2月7日
聖書箇所:Ⅰコリント11:23~26
説教題:聖餐式の制定

おはようございます。今日もチャペル礼拝とライブ配信の礼拝になります。インターネットを
ご覧の皆さん、お元気でしたか?共に聖書から学んでまいりましょう。

11章で女性が礼拝で被り物をする習慣から創造の秩序、男と女の違い、礼拝の在り方について本質的な意味を学びました。そして先週は主の晩餐(略して聖餐式)の乱れを通してパウロの指摘から学びました。

具体的には金持ちたちが貧しい兄弟姉妹を顧みず、われ先に主の晩餐の食事やぶどう酒を飲み、中には酔っ払っているものまでいる始末でした。神の家族である教会で貧しい人を顧みない行為では、主の晩餐の意味を正しく知ることが出来ません。その点を指摘してパウロが教えたのです。
さて、今日は聖餐式の制定という題で、23節から学んでまいりましょう。

23:使徒パウロはユダヤ的背景が少ないギリシャのコリントで福音宣教をしました。天地創造の神を伝え、人が創造主により目的をもって造られた事、人は神の前に生まれながらにして罪人である事、神の独り子yesがこの世界に人として来てくださったこと、そして人の罪を赦す為に身代わりとして十字架上で死なれた事、三日目の復活、イエスを救い主と信じたら救いを受ける。

救いとはイエスとつながり、罪の赦しと新しい命を受けること、水のバプテスマを受け、主の晩餐を通してパンを食べ、ぶどう酒を飲むことによって、キリストの裂かれた体、流された血潮を通して十字架のみわざを覚える福音「主から受けたことをあなた方に伝えます」という意味です。

その伝えた内容は、「即ち、主イエスが渡された夜、パンをとり」これはイエスが十字架につけられる前の晩に弟子達と過ぎ越しの食事を共にした、最後の晩餐のことです。「渡される夜」とは、ユダの裏切りによってイエスがユダヤの律法学者や祭司長たちに渡された夜のことです。

23後半~24:ここは、キリストを救い主と信じた者がこれから執り行うべき、主の晩餐の制定のことであります。主の晩餐、これを聖なる晩餐式、略して聖餐式と呼んでいます。正式には20節にあるように主の晩餐と言います。この時、主イエスはパンをとりました。

24:感謝の祈りを捧げた後、パンをとり、裂いて、こう言われました。(読む)パンはキリストの体を表し、具体的には、十字架につけられ体が裂かれ、人類の罪の身代わりとして死ぬ事です。私達の罪の為に十字架上における苦しみの御業ですね。「私を覚えてこれを行いなさい」と命じました。これから後に起こるキリストの十字架の死を記念する。モーセ時代に行なわれた過ぎ越しの食事も、神の裁きが過ぎ越された事を記念する食事でした。
※私達も礼拝のたびイエスの十字架のみわざを起こし救いの恵みを覚える必要があります。

25:新しい契約。
まず、この晩餐式では食事が始まるときに清めの杯と、裁きの杯を2杯飲みます。そして食事をします。この場面は、食事の後とありますので3杯目、贖いの杯と呼ばれるものです。「この杯は」イエスの目の前に在る杯「私の血による新しい契約です」今まで神の民は律法と言う契約の中に在りました。
しかしイエスがこれから信仰者と結ばれる契約は新しいものであるというのです。ではこの赤いぶどう酒は何を表しているか。神の御子キリストが流される血を表しています。罪のない神の子が人の罪の身代わりとして流す血の事によって、人の罪を赦すという新しい契約。私達はイエスをメシヤと信じるだけで救われる神の一方的な恵みの業であります。

「飲むたびに、私を覚えてこれを行いなさい」キリストが十字架上で流された血潮を覚え、記念するのです。何を。罪のない神の御子yesが、人としてこの世界に来て私の罪を赦す為に十字架上で血を流して死んでくださった。これを週の初め毎に思い起し、赦しと自由を再確認するのです。

こうして私達は週ごとにリセットされ、新しくなるのです。神の前に出て救いの恵みを覚える時に、ここにはコリント教会のような貧富の差は出てきません。皆一同神の前にへりくだることを覚えさせられます。

26;ここは結びの部分です。それ故、私達は聖餐式で、パンとぶどう酒を飲む毎にイエスがなされた十字架の御業を覚え、神の子イエスの体が裂かれ、罪のない方の血が流され、贖いのみわざが成就したこと、救いを受けたことを確認しつつ、新たな次の2点を覚えます。

○主が来られるときまで続けていく
目には見えませんがイエスが今ここにいます。「主が来られるまで」とは何ですか?そうです。遍在の神であるキリストがこの世界に戻ってくるときまでです。携挙により私達を空中に引き上げ、次は目に見える形でこの世界に戻って来ます。そして世界に正義をもたらし、治める。その時迄キリスト教会は聖餐式を守り十字架のみわざをパンとぶどう酒を通して記念し、覚え続けます。

○主の死を告げ知らせる
同時に聖餐式は主イエスの死を告げ知らせることになります。キリストの十字架のメッセージです。よい訪れのメッセージ(福音)を語り続けることに意味があります。これがないと十字架抜きですから、キリスト教会とは言えません。教会の使命は福音宣教と社会貢献の2つです。この2つが両輪でキリスト教会の使命です。どちらが欠けてもだめなのです。

結び
以上、私達の教会でも礼拝や聖餐式が秩序をもってなされているか、聖書から点検してまいりましょう。そしてイエスの十字架のみわざをパンとぶどう酒を通して正しく伝えてまいりましょう。間違っているところは大胆に直していきましょう。
その為にも聖書からキリストの福音をよく学び、それぞれ皆さんが他の人にイエス様を正しく伝えていけるようなりたいと願っています。お祈りします。