コリント人への手紙第一(30)

2022年12月4日

2021年1月17日
聖書箇所:Ⅰコリント10:23~33
説教題:すべて神の栄光を現す為に

おはようございます。今日からコロナ感染が収まるまで当面の間、教会の公式な集まりは日曜日午前の礼拝だけにします。実は日曜日役員会の時までは何とかできるかなと考えていたのですが、状況が一変に変わり本庄市における昨日のコロナ感染者が20名、16日現在合計201人の方が感染しています。そんなことで落ち着くまでの対応として日曜午後の礼拝と平日の集会は2月一杯すべて中止にしてしました。
但し、ネット環境がある方の為にライブ配信していますので是非活用いただければと願っています。よい点としては都合の良い時間帯に礼拝出来ることですね。またこれに伴いまして、ライブ配信が安定する迄、浅香兄弟に協力をお願いしています。

さて、今日の聖書箇所はコリント人への手紙第一10章23節~33節です。特にここで使徒パウロはコリント教会のいわゆる「強い信者たち」に対してキリストに在る真の自由や、生き方、偶像に捧げた肉について、信仰の無い人との関わり、キリスト者の隣人愛について具体的に教えています。これは当然私達の生き方にすべてつながるものですから適用できます。

23:「全てのことが許されている」これはコリント教会の、所謂、強い信者の発言です。何をしても許されて自由なのだという考え方です。当然パウロはキリスト者がイエスによって罪から解放され自由の身になったことは認めています。でも確かに、すべては許されて自由にされましたが、その自由を思いのままに振舞うことには反対しています。それは、すべての人の利益になる訳ではないし、その人の品性が高められるわけではないので。よって自由にされても節度ある生き方を求めているのです。

24:そして、キリスト者は、自由を行使するにあたって、自分の利益を求めず、他の人の利益を求めて生きよと勧めています。常に隣人の幸せを願いつつ生きるのがキリスト者の基本姿勢なのです。この生き方の方向性は現代に生きる私達も同じです。他の人の利益、幸福を求めて生きるならば一時的に不利益を被ることがあったとしても、長い目で見ると、必ず隣人愛に生きる人は幸福につながるように主が導き、祝福してくださいますのでご安心ください。

25~30:ここは8章から続く、市場に売っている肉を食べることに関する話です。当時のコリントの町で販売されている肉は、ほとんどが一旦偶像の神殿に捧げた後、市場に出回り人々が購入して食べる仕組みでした。でもこの流れがコリント教会の徳に弱い信者と言われていた人にとっては悩みの種となっていました。特に弱い信者とは、几帳面で、こだわりが強い人々で、強い信者から後ろを押されて食べたことで心を痛めることが度々あったのです。

これに対してパウロは、市場で売っている肉を良心の問題として扱うことをしないで食べなさいと勧めます。26節の勧めの根拠は、詩篇24:1、50:12「地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの」のみ言葉です。主が作られたものすべては良いものだという前提を優先しています。これは、「すべての物は清い」と宣言したイエスの言葉(マルコ7:19)やテモテ4:4「神が作られたものは、みな良いもので、感謝して受ける時、捨てるべきものは何一つありません」の勧めとつながります。
でも27~28にあるように、キリスト信仰者でない者がキリスト者を食事に招待した時、「これは偶像に供えた肉です」と言ったら、その人の良心を傷つけない為に食べないように勧めています。たかが肉ですが、ここは信仰に関することでしたので意味を持っていたので食べる事を控えました。

29~30:新改訳2017聖書を読む。ここは柳生直行訳が分かりやすいので紹介します。29:「しかし」と貴方たちは言うだろう。「何故、私の良心が他者の良心によって左右されなければならないのか」30:私が感謝して食べるものについて、どうして人から文句を言わなければならないのか。
ここで教えられることは信仰者の立場は、食べ物は、すべてそれ自体で汚れているということはないで有り難くいただくことが基本です。ローマ14:14のパウロの言葉も根拠の一つです。「私は主イエスに在って知り、又確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ何かが汚れていると考える人には汚れているのです。」

31:28,29の問いに対するパウロの答え、結論部分が31~33。飲む事、食べる事も含めて私達のとる態度は、こうですという彼の勧めの言葉です。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにもすべて神の栄光が現わされる生き方をしなさい」主に対する私達の応答も、自分の生き方を通して神のすばらしさを表されるような生き方に繋がっているだろうか?ここは主から問いかけられている言葉ですね。

32~33:あなた方の生き方が周りの人の躓きにならないようにしなさい。私パウロもそうしています。私も回りの人が救われるために、自分の利益を求める生き方ではなく、多くの人の利益になるように努めている。このように使徒パウロは自分以外の幸せのために生きたのです。

適用すべき点として、私達の生き方の点検してみよう
〇私はキリスト者として、どれくらい、自分以外の人の幸せを願って生きているか。又は行動しているか。24節と32節。
〇結果としてどれくらい自分の生き方を通して神のすばらしさが表されているだろうか?31節。100%このように生きていますという人は誰もいません。でも、もう一度自分の生き方の方向性を点検してキリストの素晴らしさが現わされるような方向に向かっているだろうか?
もう一度点検して一歩でも二歩でも前進して生きる事を目指していこうではありませんか。

結び
コロナ禍の中で、もう一度じっくり自分の信仰の生き方、歩みを確認し、主の栄光が現わされるような生き方となります様に。