コリント人への手紙第一(28)

2022年12月4日

2021年1月3日
聖書箇所:Ⅰコリント10:1~13
説教題:私達への教訓

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年はコロナ対策で仕事や生活スタイル、教会の集まり方も大きく変得ざるを得ませんでした。
でも礼拝はYouTubeのライブ配信も出来ましたし、午後の礼拝も恵みの内に行なわれています。聖書を読む会も密をさけ時間を短く効率よくして実施しています。工夫しながら取り組んだことにより、結果的に広がりが増えたことは感謝です。

また、様々なところで決断を迫られた1年でもありました。新しい年になっても、コロナが直ぐに治まらないので、人との接触を最小限に減らし、最大限の対策をする必要があります。特に私のように65歳以上の高齢者が、感染すると、重症化する危険が高いので警戒する必要があります。

さて、聖書を共に学んでまいりましょう。聖書箇所はⅠコリント10章1節~13節になります。宣教題は「私達への教訓」です。いよいよ手紙全体16章の内10章まで来ました。今日の箇所は旧約聖書に書かれたモーセ時代にイスラエル民族が歩んだ道を通し、使徒パウロがコリント教会信徒に語り掛けている場面です。同時に現代に生きる私達へのメッセージでもあります。

まず、1節~4節迄、イスラエル民族の出エジプト40年間の旅における、神の恵みについて、5節~10節迄、40年間荒野の生活の中で主の恵み深い取り扱いを受けても、尚、罪を冒し続けるイスラエル民族について、11節~13節、コリントの教会員に対する教訓と励まし。当然、私達への教訓でもあります。

●1節~4節 神の恵みの業について
パウロが語っている言葉は、旧約聖書の出エジプト記と民数記の引用です。旧約聖書を読んでいない人にはさっぱりわかりませんので、聖書箇所も一緒に説明します。
ヨセフを除くヤコブの子どもたちは同じヤコブの息子ヨセフをエジプトに売り飛ばしますが、後に来た飢饉からヨセフの活躍により一族皆が救われました。これは神の不思議な御計画でした。

しかし、400年間がたち、イスラエルの民はエジプトで増え広がりましたが、ヨセフを知らない王の時代になると苦しみを受け続けます。時至り。神はモーセを指導者として立て、イスラエル民族はエジプト脱出に成功し約束の土地であるカナンの地に帰る道が開かれました。しかし民族大移動なので、数週間で行けるところ何と40年もかかってしまったのです。1節~10節には、その荒野での生活のことが書かれていますので順番に説明します。

1:これから書く事は大切な事なのでよく知っていてほしい。パウロ達の先祖、イスラエル人は雲の下にいて、皆、海を通っていきました。エジプトを脱出する時の、雲の下とはモーセ達が神の臨在のもとに導かれ進んだということです。特に海辺で宿営していた時、後ろにエジプトの軍勢が迫ってきました。しかし絶体絶命のピンチの中でも神が海の水を分けて彼らは海の底を歩いて脱出しました。(出エジプト記14章参照)
2:1節の事をモーセに結ばれるバプテスマを受けたといっています。バプテスマは、浸す、沈めるという意味があります。これによってイスラエル人が神に仕える為、聖別、取り分けられたのです。これはクリスチャンがイエスを救い主と信じてキリストにつくバプテスマの雛型になります。

3:約束の地を目指した民族大移動でしたが、彼らは荒野で40年間、食べ物をどうして得たのか?目に見えない霊的なものだからと言って霞を食べていた訳ではありません。超自然的な神の御業によって与えられたマナを食べたのです。朝になると天から降ってきた(出エジプト記16章参照)

4:水はどうしたか?霊的な飲み物も超自然的に備えられた水が岩を打って沸き上がりました。(出エジプト17章、民数記20章参照)彼らについて来た岩によって必要な水が絶えず与えられたとは、新約の解釈ではイエス・キリストを指し示し、永遠の命を下さるイエス・キリストの雛型です。

●5節~10節、罪を犯し続けたイスラエル人。
ここから話が変わります。40年間主の直接的な恵みを受けが、彼らは偶像礼拝、不品行、不平不満、神を試みる、4つの罪を犯し続けた結果、イスラエル人は死に絶えました。以下は具体的。

5:20歳以上で出エジプトした民はカレブとヨシュア以外全員死に絶えた(民数記14:26~参照)
6:悪を貪り主に不平を言い、つぶやいた彼らに罪に主の火が燃え上がった(民数記11:1節~参照)
7:モーセがシナイ山で十戒を授けられた時、偶像礼拝と不品行に走ったイスラエル人の罪(出エジプト32:1~6節参照)
8:モアブの女達と偶像礼拝と不品行の罪を犯し2万3千人神に打たれて死んだ(民数記25:9参照)
9:神とモーセに逆らい不平不満をぶちまけ毒蛇にかまれて死んだ(民数記21章4節~9節参照)
10:モーセとアロンに向かってつぶやき、14700人死んだ(民数記16章41節~50節参照)

●11節~13節、コリント教会員及び私達への教訓
11:世の終わりに望んでいる私達への教訓、使徒パウロは終末を意識して歩んでいました。
現代はもっと終末、別の言葉で、世界の完成は確実に近づいています。
12:ですから、今こそ、自信満々の強い人たちは、その強さゆえに倒れないように気を付けなさ
い。その為に謙虚にされなさい。
13:同時にコリント教会には信仰の弱い人達もいました。これは几帳面過ぎる人々のことです。この人たちは試練があると自分には耐えられないと考えてしまいます。しかし神は耐えられない試練に合わせないから安心してください。耐えられるように脱出の道も備えるから大丈夫だと励ましのメッセージを神は下さるのです。
適用
●荒野でイスラエルの民にマナや水が必要な分だけ備えられたように、私達に対しても、日々の生活に必要な物を、主は必ず備えてくださる神です。
●私達は救いを受けても罪が完全に消え去ったわけでなく、依然として罪は残っています。誘惑に対しても弱いものです。頑張り信仰は捨てて、謙虚に主を信頼し、聖霊の力を受けて歩もう。
結び
今日の聖書箇所は、世の完成が近い、終末時代に生きる私達への教訓でもあります。
この新しい年、主の前にも人の前にも謙虚にされようではありませんか。
又、傲慢な心が砕かれる様、祈りつつ歩んでまいりましょう。試練や誘惑はありますが、神は真実なお方ですから、必ず脱出の道を備えて、耐えることが出来る力を与えてくださいます。今年も、この教訓を覚えながら、憐れみ深い主に信頼して歩んでまいりましょう。