コリント人への手紙第一(27)

2022年12月4日

2020年12月27日
聖書箇所:Ⅰコリント9:24~27
説教題:朽ちない冠を受ける為に

おはようございます。今年は静かなクリスマスでしたが、いよいよ今日は今年最後の礼拝式となりました。私事ですが、次男の正信兄弟が皆様の祈りに支えられ、先週月曜日に無事退院し、本庄で療養しています。お蔭様で少しずつ安定しています事を感謝しています。どうぞ続けて祈りに覚えてくださると感謝です。

さて今年はコロナ一色した。本庄でも26日現在120人の方がコロナに感染し、ました。保健所情報では23日現在7名の方が入院、10人が自宅、宿泊所で療養しています。私達も無関係ではないので、接触を減らす為に急遽クリスマスキャンドルサービスと元旦礼拝を中止にしました。今後も最大限の警戒をして行きます。また礼拝は浅香兄弟の奉仕によりライブ配信ができるようになりましたので、こちらも是非ご利用ください。出来ない事を嘆くより、できる事を感謝しながら歩んでいければ幸いです。

それでは聖書箇所を読みましょう。聖書箇所はⅠコリント9:24~27。
9章はパウロがイエス様から使徒に立てられているにもかかわらず、あえて権利を使わないで、コリント教会の奉仕をしてきたことが述べられていました。又、彼は自由ですが、より多くの人を救いに導くため、全ての人の奴隷になったと述べています。

具体的には、ユダヤ人にはユダヤ人のように、律法を持たない人(これを異邦人と呼びます)自分はキリストの律法を持っているけれども、律法を持たない者のようになりました、そして弱い人には弱いものとなりました。幾人かでも救うためと告白しています。

彼はキリストの福音の恵みを受ける者としての生き方を大切にしていました。23節の福音の恵みとは、イエスがこの地上の世界に来られ、私達を罪から救い、自由、新しい命にあふれて生きる者とする為に、私の罪のために死んで葬られ、よみに下り、三日目に復活しました。これを信じて救いの恵みにあずかり、主イエスと共に生きる、これが福音の恵みであり、常に彼の願いでした。その流れを前提にしてキリスト者の生き方を24節からのべています。

24:コリントはアテネに近い町です。「競技場で走る」というとオリンピックを思い浮かべる方がいるかもしれません。「走っても賞を受けるのは一人だけだということを知らないのか。あなた方も賞を受けられるように走りなさい」と勧めています。「賞を得られるように走りなさい」とは他の信者よりも立派な人になる為、頑張って伝道して一番多く人を救いに導きなさいという事でしょうか?勿論そういう意味ではありません。地上の生涯を終えた時に主イエスから「よくやった忠実な僕」と言われるような生き方をしなさいということです。別の言葉でいうとキリストの救いの恵みに感謝し、主が喜ばれることは何かを考えつつ実践して生きよという事です。

25:そのためには、節制、又は自制しなさいと勧めています。信仰者には常に自分の弱さや罪との戦いがあります。敗北者になってはなりません。私達は聖霊によってコントロールされ、イエス様の御心の中を生きるようにされる必要があります。そのことをパウロは競技者にたとえて勧めています。彼らは「朽ちる冠を受ける」為に懸命に節制して勝利のために打ち込み、栄誉、栄冠を目指しています。一位の人に与えられる栄誉の印が「冠」です。これはオリーブや松の枝で編んだ冠でやがて朽ちるものです。

でもキリスト者が目指すべき冠は朽ちない冠なのです。この冠はたとえで、実際頭にかぶるものではありません。後の世でキリスト者にそれぞれ与えられる報いで、例えば、千年王国の時に受ける位や立場が考えられます。又、新天新地における報いも考えられます。

いずれにせよ、この報いは人と競争して一番になる為に一生懸命競争して、頑張って得るものではありません。イエス様と共に歩む中で主が認めて下さる報いです。
私たちが受ける報いの印については他の言葉でも表されています。栄光の冠Ⅰペテロ5:4、命の冠黙示2:1、喜びと誇りの冠Ⅰテサロニケ2:19、義の冠Ⅱテモテ4:8。このような朽ちない冠を主が与えてくださいますので主を見上げて歩んでまいりましょう。

26:「ですから」と、今までのことをまとめ、パウロは自分貫いてきた生き方をのべます。それは目標がはっきりしている生き方、又ボクシングでパンチを打つのに空振りばかりする打ち方はしません。ここもたとえですが、彼は寝ても覚めてもイエス様が喜ぶ事を考えていました。

目標がはっきり定まった、空振りしない生き方とは、具体的にどんな生き方でしょうか?私達が昔教えられた、伝道最優先の生き方ではありません。勿論、みことばを伝え、救いの恵みを分かち合い、共にイエスの声なき声を聞き、地域を愛し、住む市民と共に生きる、賜物を生かし社会や地域の繁栄に生きる、それがイエス様の生き方に繋がります。困っている人がいたら手を差し伸べ、悩んでいる人がいたら話を聞き、共に生きる、これこそ私たちが優先する生き方であり、目標がはっきり定まった、空を打つような空振りしない生き方です。

27:パウロは自分を律して(体を打ちたたいて)主に服従してきたのです。そうすれば他の人に伝えておきながら自分自身が失格者のようになる事は有りません。

適用
朽ちない冠を受ける生き方は、聖霊の励ましを受けながら、救いの恵みを受けた者として、いつもイエスと交わり、声なき声を聞いて生きる、イエスのように神を愛し人を愛する生き方へと目標をしっかり定めることです。地域の繁栄を祈り、求め、行動することです。

結び
私達も、キリスト信仰者として、後の世で与えられる報いである、「朽ちない冠を受ける」ことが出来ます。その為にも、主イエスに服従する生き方、これが一番楽しく、明るく、のびのびしています。ぜひ来年も、聖書から学びつつ、聖霊に励まされつつ、イエスに似たものとされてまいりましょう。そして、救いの恵みを人々と分かち合い、地域の繁栄のために歩んでまいりましょう。