コリント人への手紙第一(22)

2020年11月1日
聖書箇所:Ⅰコリント8:1~6
説教題:知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます 

おはようございます。11月第1週目の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。
今日も続けてコリント人への手紙第一からです。使徒パウロは、この手紙を通して、キリスト者が家庭や社会で、どう生きるか、基本的な教えを残してくれましたので私達にとって非常にありがたい手紙です。特に今日は8章からで「偶像に捧げた肉について」コリント教会の信徒が質問したことに答えている箇所です。

1:読みます。「次に偶像に捧げた肉についてですが」と書かれていますが、この偶像に捧げた肉とはどんなことでしょうか。
その前に、私たちがいただく牛肉や、豚肉は、どのようにして食卓に並ぶのでしょうか?
調べて見たら、まず畜産農家から、行政の認可を受けた、と畜場に運ばれ、病気等が無いかどうかの検査を受けた後、と殺、解体を経て、商品化された後、市場でセリにかけられスーパー等の小売業者を経て、私たち消費者に回ってくる仕組みです。畜産農家や動物を解体する方々、最終的には小売業の皆さんを通して、パックに入った肉を手にします。日本では偶像の神殿に捧げていません。

戻ります。1節にある肉は当然、人間が食べる肉のことで、古代ギリシャ、コリント市民が食べる肉は、まず、諸々の偶像神を祭る神殿に捧げられ、祭司による宗教儀式を経て、解体し、肉が切り分けられます。捧げた人が大勢の人を招いて神殿内で食事会をする。宗教儀式をした祭司の取り分が分けられます。コリントの人々は、神殿で宗教行事を常にしていましたので大量の肉が市場に出回りました。それを市民が購入するシステムです。ですから市場で売っている肉はほとんどが、一旦、神殿で祭司が祈祷した後のものになります。これが偶像に捧げた肉という意味です。

「わたしたちは、みな知識を持っている」これはコリント教会内の、一グループの人が書いて来た文章の一文です。この人たちは10節に在るように、偶像の神はいないのだからといって、神殿内で堂々と食事をします。もう一方のグループは、7節にあるように、信仰をもった後も、偶像に捧げられた肉として食べて、弱い良心が汚されて、心を痛める人がいたのです。
前者の人々は、神について、良く知っているとし、その知識を振りかざし、自分を誇り、偉いと思いこみ、高慢な態度取っていたのです。これはパウロに言わせれば単なる知識であり、人を不幸にするものです。
ただ、この知識について誤解してはいけません。パウロは知識が良くないといっていません。ここで言っている知識は神に関する知識のことで、知識は大いに必要です。私達は他にも、人間について、罪について、救いについて、他の学問的な理解も大いに必要ですから、常に学ぶ必要があります。
しかし愛、これは隣人に対する神から出た愛情、慈愛、善意のことで、人の徳を高め、励まして育てる愛で、これを求めて行かなければなりません。

2:1節の補足で、だれでも愛を持たないで、「神のことについて自分は多く知っている」と言う人がいれば、自分が当然知っていなければならないようなことを、深く知っていないとパウロは指摘します。※たまにこういうキリスト者に出会います。「私は聖書を良く学んで何でも知っている」でもよく聞いてみると、私の経験では、このみ言葉のように当然知っていなければならないことを知らない場合が多いです。
3:2節の逆です。しかし、モシ人が、主に対して、愛をもって尊敬し、快く主に従う従順さ、主の恵みに対する感謝、神に信頼する人は、主とのつながりと、愛を受けるにふさわしいものと認められ、主はその人を自分のものと言ってくださる。このように高慢につながる知識と、謙虚な神への愛に基づく態度では全く逆の生き方に変わってきます。

4:1節で詳しく述べた、偶像に捧げた肉のことをパウロはここから語り始めます。彼らが書いていた内容については「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外の神は存在しない」その通りです。私もそのように知っています。

5~6:コリントには多くの神々とよばれるものがあるけれども、私たちにとっては、一人の父なる神しか存在していないし、この方だけが、万物の源で、私たちはこの方に生かされている。
また父なる神と同じお方でありながら、人としてこの世界に来てくださった、主イエス・キリストなる神がおられ、この主イエスよってすべては存在している。
※因みに主という言葉は神の称号、呼び方のことです。それは唯一の神と同じで人としてこの世界に来てくださったイエス・キリストを指しています。

適用してみよう
〇知識 常に謙虚な態度で、神、聖書、この世の中の様々なことに関する知識を深めていこう。
〇愛 神への愛や隣人への愛が強くされると、人は信仰的にも、人間的にも、学問的にも成長します。常に隣人の弱さを理解して行動できる人に変えられていこう。
〇神 神は唯一で、ほかの神は存在しない。悪霊に惑わされることなく、いつも唯一の父なる神を信頼して生きよう。その為にも神でありながら人となられ、父なる神と私たちの仲介者となられた神、主イエス・キリストを見上げて行こう。

結び
神への愛や人への愛を土台として、様々な知識を深めながら、高慢にならず、イエスを見上げ、それを隣人のために生かしていこう。