コリント人への手紙第一(20)

2020年10月11日
聖書箇所:Ⅰコリント7:17~24
説教題:主にある自由人として生きよ 

おはようございます。10月第2週週の礼拝を感謝します。
今、私は新約聖書が書かれた年代順に沿ってメッセージしています。最初はテサロニケ人への手紙、ヤコブ書、ガラテヤ人への手紙、マルコの福音書、そして今コリント人への手紙第一まで来ました。

今日は前回の続きで7章17~24節になります。1節からパウロは禁欲主義者の質問に答える形で結婚について述べています。結婚の勧め、結婚していない人、やもめ、結婚している人に対して、離婚について、それぞれ信者でない夫、妻と結婚した人に対して語り掛けています。

今日は信者でない夫、又は妻を持つ人に対する勧めの続きになります。信者でないものが、あなたの信仰に反対してどうしても受け入れられないから、一緒にいたくないという場合は、離れていかせなさいというものです。その理由は、神は平和を得させるために召されたのだから、人の力では配偶者を救うことはできないから、お互い、相手を無理に縛ってはならない。ではどうすればよいかが17節から語られています。同時にキリスト者の生き方についても語り掛けています。

17:「神から召されたままの状態でいなさい。」召されるとは神に招かれて救いを受けた時のことです。「主から戴いた分に応じて」とは、救いを受けた時の御霊の賜物もありますし、生まれながらの能力、才能もあります。また、今、自分が置かれている環境もあります。それぞれがみな違うのですが、招きを受けた時のままで生きなさいと言う勧めです。15節の「神は平和を得させようとしてあなた方を導いた」ので、信者でない配偶者を救いに導こうとして無理に縛らないことです。

18~19、まずは召された時の状態で生きる事の例を割礼と奴隷のことで説明しています。
18:イエスをメシアと信じて救いを受けた時に、割礼を受けていたらその傷跡を消す必要はありません。割礼とはアブラハムが99歳の時、神から子孫が栄えるという恵みの契約を受けたとき、そのしるしとして、男性が自分の性器の包皮を切り取る行為です。(創世記17章)パウロの時代はアブラハムから、2千年経っていますが、ユダヤ人はその割礼をずっと守り続けていました。
ですからここはコリントに住むユダヤ人キリスト者に言われていることになります。イエス様を信じたときに、すでに割礼を受けたのなら、その傷跡を無理に消すことはありません。

逆にイエス様を信じたときに、割礼を受けていなければ、無理に割礼を受ける必要はありません。ですからここはギリシャ人、あるいは異邦人キリスト者に言われてことが分かります。

19:その理由:新しい契約の時代になって、割礼を受けるか、受けないは取るに足りないことです。重要なのは神の命令を守ることだとパウロは言います。ここは大切ですね。では神の命令を守るとはどういうことか?神のみこころを祈りや聖書の学びを通して理解を深め、イエスならばどう生きるか考え、隣人を愛する生き方、自分と同じように大切にすることです。これが神の命令です。

20:2回目奴隷です。イエス様を救い主と信じた時に自分が置かれた生活環境や立場を大切にしながら生きる様パウロは勧めています。重要なことは何回も述べます。
21:ここで使徒パウロはイエス様を信じたときの立場や状態は気にするなと、当時のローマ社会における奴隷制を引用して述べています。この時代はローマによって支配され、戦争で敗れて捕虜となり、奴隷として売り飛ばされた人が沢山いました。但し奴隷といっても鎖に繋がれて強制労働させられている人ばかりではありません。
むしろ、一般家庭でご主人に仕え、農場で働き、子供の世話、医者、教師、秘書等様々な仕事をする人が多かったのです。そのように奴隷の立場でイエス様を信じたのなら、その立場を気にする必要はないと勧めます。しかし、主人が解放してくれるなら自由人として生きなさい。

22:主によって召された奴隷は、主に属する自由人である。これは皆さん体験していますか?
キリストを信じると、自由になりませんか?キリストを信じたら不自由になると思っていたのが逆に自由になります。同時に自由人はキリストに属する奴隷です。これはキリストだけが私たちのご主人であるからです。奴隷の特徴は主人に忠実です。わたしたちの主人はイエスのみです。

23:なぜキリスト者はキリストに属する奴隷なのか?奴隷は通常、奴隷市場で売り買いされ、主人になる人は買ってくるのです。買い取られたら奴隷はご主人のものです。買われた人に自由はないのです。
イエスは、私の罪の身代わりとして十字架で磔にされ、神の裁きを受け、死んで、葬られ、三日目に復活しました。信じる人を罪から救い、ご自分の民に加えてくれました。私たちは罪の奴隷でしたが、イエス・キリストがご自分の命という高価な代価を払って買い取ったものです。
買い取られた私たちは、罪から自由とされた自由人です。同時にキリストに属する奴隷です。
だから人間の奴隷になる必要はありません。キリストの僕なのです。

24:ここは結びですね。「だから兄弟たちよ、召された時のままの状態で神の前にいなさい」この言葉はこれで4回目ですね、いかにパウロがこのことを言いたいかが分かります。イエスを信じたときの立場や状態を大切にしながら神と共にいて生きよという言葉で締めくくっています。

適用 3つ 端的に
①無理して会社や生活環境を変える必要はありません。勿論学校を辞める必要もありません。あなたを愛している主は、一歩一歩貴方をふさわしい立場や環境に導いてくださいます。

②キリストの所有、奴隷とされた私たちは主イエスに二心なく仕えることを習慣化しよう。
具体的には聖書のみことばを学び、イエスの考えていることを探りながら従う事です。そうすると信仰的にも、人間的にも成長します。この生き方がキリストの証しにつながるのです。

〇社会的使命を意識して生きる
教会もキリスト者にもそれぞれにふさわしい社会的使命があります。常に自分が置かれている地域、町に対して何ができるかを考えて、失敗を恐れず行動することです。

結び
様々な立場や制約の中に在りながらもキリストにある自由人として、神のみ心は何かを常に求め、そして隣人を自分と同じように大切にして生きることを習慣としましょう