コリント人への手紙第一(19)

2020年10月4日
聖書箇所:Ⅰコリント7:8~16
説教題:結婚と離婚 

おはようございます。10月第1週を迎え共に礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。今日は聖餐式も行います。
さて、今コリント人への手紙第一から学んでいますが、この手紙は異教社会にあるキリスト者が実際的、具体的生活をどう生きるかについてよく教えてくれます。ですから私たち異邦人クリスチャンにはこの手紙を学ぶことが大きな益となります。
先週から7章に入りました。1節の男は女に触れないのが良いことだ、即ち結婚しない方がよいと禁欲主義者の現実的な質問に対するパウロの答えから学びました。但しここでパウロが述べる結婚観は、エペソ人への手紙5章や創世記1章~3章にある普遍的な意味での結婚観とはやや趣が少し異なります。コリント教会の置かれた状況の中で消極的な結婚観をのべていますのでこの視点に注意して読んで下さい。

今日は前回の続きで8~16節迄になります。聖書を読んでいて素晴らしいと思うのは、聖書は理想的な、私たちに手が届かない事のような事がかかれているのではなく、人間社会の現実的実際的な中にあって生きる人々の信仰が沢山書かれています。この箇所も現実の結婚や離婚について取り上げているので、興味深いことです。

8:結婚していない人と、やもめへの勧め。
やもめとは結婚していたが、途中で夫や妻に先立たれた人のことです。日本のことわざに、男やもめにウジが沸く、女やもめに花が咲くと有ります。男は奥さんが死ぬと身の回りに手が回らず、不潔になる、一方妻は、夫が死んで、夫の身の回りの世話をすることなく、その分自分の身が綺麗になる。よく現実を言い当てていることわざです。
パウロは結婚していない人と、やもめに対して、私の様にしていられるなら、独身が良いと述べています。その理由は、キリストの再臨が差し迫っている状況下で、独身の方が行動しやすく都合がよい、便利であります。これは一面に於いては確かにそうですが、全面的に神の御心とは言えません。独身の賜物が無ければ無理な話です。9節の言葉です。

9:しかし、自制する事(独身の賜物)ができないなら、結婚しなさい。その理由は欲情が燃えて罪を犯すよりは、はるかに良い事です。結婚しないで異性関係で罪を犯し、周りの人に迷惑をかけるより、はるかに良いことです。これは現代日本においても、同様であり、性的罪を犯さないために結婚することは消極的理由でありますが大切なことです。

10~11:結婚している人に対する命令
命じているのは主イエスである。パウロがイエスの言葉を引用しています。パウロもイエスが語られたことを良く知っていたのでしょう。引用文はマタイ19:6の「人は神が結び合わせたものを引き離してはなりません」という言葉です。故に妻も夫も互いに別れてはいけません。まさしく結婚は、神が結び合わせたものなので、人の側で無理に引き離すと双方に様々な傷が残ります。ここは信者、未信者を問わず適用できる言葉です。

11:仮に別れた場合、パウロの勧めは、再婚せずにいるか、又、放縦に戻って好き勝手に走る事をさける為、夫と和解する事を勧めています。和解はできればそれに越した事は有りません。いずれにしてもここは、極端な禁欲主義者が、自由気ままな振る舞いをするコリント教会特有の問題がある中で語られた言葉なので私たちがここを適用するに当たっては、様々なケースがあることを理解したうえで対処しる必要があります。主に祈りつつ導きを求めて一歩一歩進むことです。

いずれにしてもこの11節の勧めは1節から始まる禁欲主義者に対する流れの中で語られている言葉なので全部を私たちは適用するには無理があります。様々な事情で離婚せざるを得ない場合があるからです。例えば夫の暴力(言葉も含めて)パワハラ、酒乱、博打好きで給料を入れない、働かない等様々です。やむを得ないで離婚する事があります。その時、私たちは当人を前にして安易に正論を言って裁いたり、責めたりしてはなりません。むしろ、癒されるように祈り、寄り添う事が重要です。

12~16そのほかの人 どちらか一方がキリスト者の夫婦の場合について。信仰ゆえのケース
例えば最初はどちらもノンクリスチャンでしたが、妻が先にクリスチャンになるケースがあります。又、女性クリスチャンが多く、男性クリスチャンが少ないので女性は未信者の男性と結婚する時が多くあります。やがて年数がたち、夫が一緒にいる事を望んでいる場合離婚してはいけない。逆のケースもあります。12節と13節に書いてあります。これを言うのは主ではなく私です。私だと一ランク劣るというのではなく、主はこれに対して言及されないので、という意味です。

14:12節、13節の理由:それぞれ信者でない夫、又、妻は聖なるものにされている。これはキリスト者になったという意味ではありません。「聖なる」とは神の御用の為に取っておかれる事。未信者の配偶者である、夫、又は妻、子供、家族は聖なるものとされている。結婚関係を大切にする夫や妻の生き方によって、家族は神の為に取り分けられ、聖別されてくる。これは配偶者が未信者の夫婦の場合大いに励まされ、慰められる御言葉です。本人が聖別されるだけでなく、未信者の配偶者にも神の祝福が及んでいきますので、今、このケースに当てはまる方は共にある配偶者を更に大切にしてください。

15:しかし、片方が、あなたのキリスト信仰に対して自分は耐えられないので、離婚を申し入れてきた場合は逃げる相手を縛らないことです。離れて行きたい人は、安心して離れて行かせなさい。主が全て取り計らってくれるので安心して下さい。このケースでは最終的に離婚は認められます。
16:理由は、相手を救うためと称して、無理やり一緒になってもどうなるか分からないからです。

以上、結婚と離婚について、私たち日本のキリスト者にもそのまま適用できる大切な内容です。

15:結論
ここでの結論は15節の、平和を得る為に私たちを召してくださったということです。結婚、離婚について考える時、自分中心に考えるのではなく、どのような状況に置かれても、神は私たちが平和に暮らせるように召されている。そのことを最優先する信仰の生き方を願っているのです。私たちは神から遣わされた平和の使者という自覚が必要です。間違ってもトラブルの使者にならないでください。