コリント人への手紙第一(18)

2020年9月27日
聖書箇所:Ⅰコリント7:1~7
説教題:結婚とは 

おはようございます。9月第4週を迎え共に礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。
6章まで来ましたので、今日から7章に入ります。ここから特にコリント教会の人たちの質問に
対するパウロの答えとなります。7章で結婚、8章、偶像にささげた肉について、パウロの使徒職について、教会の秩序、御霊の賜物、そして15章でイエスの復活、福音理解へと続きます。今日の聖書個所は7章1節~7節迄です。

ところで結婚について語る使徒パウロは結婚していたか?どうか?7章を読むと、この時点では独身であることが分かります。でも彼はユダヤ人パリサイ派の律法学者でありましたので、結婚していたと考えるのが普通です。しかし、この時点で独身の理由は、奥さんが先に亡くなったか、それともパウロのキリスト信仰故に奥さんから離れていったのではないかと考えられます。

1:ここから別の段階に入ります。さて、という言葉がそれを現わしています。
「男が女に触れないのは良いことだ」とあなた方が書いてきたのですが、とありますが、
これは1:11にある、クロエの家のものが手紙を持ってきてそれを読んだということです。
即ちクロエという信者の家の者が、コリント教会の様々な状況が伝えられました。その中身がこれから出てくる質問内容で、その答えをパウロが返事を15章まで書いているのです。

「男が女に触れないのは良いこと」とは、ずばり結婚しない事は良いこと。あるいは結婚したら、性の関係を持ってはいけないとい考えです。こういう人を禁欲主義者と言います。この言葉を見ておやっと思った方もいるでしょう。それは今迄のグループの人たちとは全く逆の立場だからです。

コリント教会の人は肉体や物資は悪で、霊的な事は良いことだという考えが基本にあります。
それ故、肉体で、したことはそもそも重要ではないので、神殿娼婦と性的関係があっても悪い事ではないと考える人達がいたのです。でもこれは神の御心を悲しませていました。神の前に罪です。

もう一方は、肉体は悪で、結婚すると汚れるから結婚してはならない、また結婚した人は性関係を結んではならないと考えました。これもまた極端な考え方で、背景には肉体、物質を軽視する考えで聖書とは反対の立場です。このように2つの極端な考えを持つ人たちがコリント教会の中にいたのです。まずこれを押さえた上で次の言葉を読んでいきましょう。

この箇所はパウロが結婚についての原則的な事を述べている箇所です。ですからエペソ5章にある結婚の奥義や、創世記1章から3章に至る結婚で、産めよ、増えよ、地に満たせというところとは視点が違います。
当時コリント教会が置かた特殊な事情の中で、結婚の消極的な面をパウロが語り掛けています。それ故この箇所では、普遍的な意味での結婚観を述べているのではないので、この点はご理解ください。でないと混乱します。

2~5:男も女もみだらな事をさける為にそれぞれが結婚しなさいと述べています。これは性的誘惑が多い現代日本でも通じるものです。性の失敗から守られる為にも人は結婚することが望ましいと思います。

そして夫も妻もそれぞれが互いの性的義務を果たすことが大切だと勧めます。この箇所を見ると当時の男尊女卑制度の中で、夫も妻も互いに平等であると言っているのは聖書ならですね。

6:肉体は悪で、人は結婚してはならない、また結婚しても夫婦関係を結んではならないと考える禁欲主義者に対してパウロが述べた言葉です。これは譲歩、許可、あるいは容認であり、神が全面的御心として命令している訳ではないと述べています。

7:パウロの結論部分です。彼は今この時を再臨が近いと考えて生きました。そして自分の使命は、キリストの福音を全世界に出て生ることだと考えていたのです。パウロは以前当時の正統派であるパリサイ派に属するユダヤ教の学者で将来を期待されていました。故にキリストを信じる者は悪人、間違いであると判断して、キリスト者を迫害していたのです。ある時、キリスト者を迫害するダマスコに向かう途中、復活のイエスと出会い回心し、キリスト者になります。
そして、身も心も信仰も、整えられて後、キリストの使徒としてユダヤ人、異邦人の救いの為に、3回の世界伝道旅行をしてキリストをのべ伝えました。やがてローマに行き様々な働きをし、福音に生き、聖書(手紙)を書き、生涯を全うします。彼は使徒としての自分の使命を生き抜きました。

使徒パウロは、結婚していたと思われますが、妻が死別したか、あるいはキリスト信仰故に妻の方から離れていったか分かりませんが、いずれにしてもこの時は独身でした。彼を取り巻く緊迫した中ですべての人が独身であることを願ったのであって、決して結婚制度を否定したわけではありません。

しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があると締めくくっています。

結び
今の時代に在って同じように、それぞれ神から与えられた賜物が違います。結婚を望むものは結婚すればよし、何か理由があって結婚を望まないのであればそれで良いのです。結婚が全てであるかのように考える必要はありません。それぞれに主から受けた結婚する賜もの、独身の賜物によって生きることです。
いずれにしても結婚するにしても、しないにしても、どちらであっても、あなたを通して神の素晴らしさがあらわされるような生き方を主は望んでいます。