コリント人への手紙第一(11)

2019年11月3日
聖書箇所:Ⅰコリント3:1~4
説教題:肉に属する人 

おはようございます。今日は前回に続いてⅠコリント3:1~4節から学んでまいりましょう。コリント教会は使徒パウロの伝道によって設立されたキリスト教会です。でもパウロによって設立された教会であっても健全に成長していた教会ではありませんでした。多くの課題を抱え、争いが絶えない教会で、それぞれが自分の知恵を誇り、自分の立場こそ正当だと主張していたのです。

3章1節~4節ではコリント教会員の現実の姿を神の視点で見ています。
1:さて兄弟たちよ。改まって次の段階に入る時の言葉使い。本題に入るよ。
御霊に属する人とは、特別に優れているキリスト者ということではありません。イエスを救い主と信じた時に聖霊、御霊を受けています。信者の心の内に住んでいます。これは信者がイエス・キリストの内に入り、キリストに一体とされているということです。信仰者は誰もそうです。
それを前提にして、御霊に属する人の信仰生活は自分の力に、より頼まず、聖霊の導きや力を信頼しながら生きるクリスチャンのことです。様々な弱さや失敗をしながらも、自分の考えや思いを優先して生きるのではなく聖霊の導きに従って神の御心の内を歩もうとする人を「御霊に属する人」、御霊に属するクリスチャンとも言います。

でもパウロはコリント教会の人に対して御霊に属する人のようには話せなかったと述べています。ということは彼らが主に忠実ではなかったと言えます。
ではパウロはどのように関わったか。肉に属する人。御霊に属する人の反対用語です。この人はキリストを信じて、救いを受け、洗礼を受けている人です。にもかかわらず、イエス様の心を第一とせず、聖霊の導きを求めないで、常に自分の考えや思いを最優先して生きる人。この人達の心に聖霊は住んでいますが、心の中心に置いていない、端の方に追いやられているので、聖霊様が活躍できる要素がないのです。それ故主イエスの力を味わう事が出来ない寂しいクリスチャン生涯を送っていたのがコリントの教会の人たちでした。でも自分達こそ信仰的であると思い込んでいたのです。残念な姿でした。

キリストにある幼子も、肉に属する人と同じ意味です。これはまだ信仰持って間もない人というのではなく、信仰歴が10年、20年、30年たっても主イエスとは考え方や生き方が似ていないでイエスの御名を汚している人の事です。このいう人が多く集まる教会はいつもごたごたして争いが絶えません。
今の私たちの本庄キリスト教会はこのみ言葉に照らして見るとどのような状態なのか、よく考えて、自分の生き方を変えていかなければなりません。このような事を言うとある人は直ぐにaさんとか、bさんはどうかと考える人がいますが、自分の事を吟味するのが最優先です。信仰生活が長いか、短いではなく、いつまでも肉に属する人、キリストにある幼子か、御霊に属する人かを点検、吟味する必要があります。
2:コリント教会の人たちは信仰生活が何年たっても、乳を飲むような幼いレベルでした。固い食物、すなわち信仰の広がりを持てるようなところまでは、進んでいなかったのです。そして未だに信仰生活の深さ、広がりを持てるようなところに行けませんでした。パウロの指摘。今でも無理です。とても悲しい状況だが、自分は一生懸命やっているという感覚。

3:成長しない。肉に属しているその証拠は妬みや争いが絶えない。妬みはギリシャ語で熱心という意味もあります。教会の中で一生懸命、熱心に奉仕に取り組む言葉、素晴らしいです。しかし聖書的なことを良く知らない熱心さでなくまた聖霊様からくる熱心さでなく、人間的な熱心なので必ず出てくるのが、自分は一生懸命奉仕しているのにあの人はやっていない。おかしいとか言って裁きが始まります。あるいは奉仕出来ないと信仰生活でないように思い込む。コリント教会の人は自分達こそ熱心で、御霊に属する人と思っていたかもしれません。でも人を裁き妬みや争いがあるのは肉に属する証拠だとパウロは言います。そのような人は結果的に、ただの人、すなわち御霊を持たない人の様に歩んでいるだけだと結論付けています。
4:もう一つ、肉に属する証拠は、教会の中でグループ、派閥を作る事。神に立てられた牧師を引きずり落そうとすることをし出します。コリント教会はパウロ派、アポロ派、ケパ派、キリスト派でした。そして自分達こそ最も神に喜ばれる信仰者の集まりだと誇るのです。これではキリスト教会が廃れます。キリスト教会の組織は群れを指導する人達が神に立てられそれを信者が承認し、一つの群れとして運営されることです。教会の中で二つ、三つに割れる様ではイエス様の栄光は表せません。人も来なくなりますね。魅力を感じないから。パウロはこれも肉の人、ただの人のやることだと言っています。
適用  
ではどうしたら肉に属する人から抜けだせるか。考えて、実行してみよう。
①肉に属するキリスト者だと周りの人とトラブルを起こしてばかりなので、イエスの栄光を現わせないと認めるか。認めないか。どちらですか。
②このままのクリスチャンで終わりたくない。肉に属するクリスチャンとはサヨナラして成長したいと願うのか。それともそのまま現状維持か。どちらですか。
③キリストと一つにされている。キリストの内側に一体とされている自覚を深める。1節のキリストにあるという御言葉を認めるか、認めないか。どちらですか。
④聖霊様、助けて下さい。あなたの導き、御心に従いますと聖霊に、より頼んで生き続ける。
⑤結論 そうしたら御霊に属するキリスト者とされる。
結び
私達はコリント教会の有様を見て笑うことは出来ません。日本のキリスト教会でも至る所で同じことをしていますから。このような教会は同じ体質を持った人が集まるので同じ事を繰り返します。そして段々力を失い、そのような教会が地上からなくなります。
では私たちはどうするか。今から聖霊様が心の中心に住んで下さるように願っていこう。その為にも自分の考えや、思いを優先させて生きるのではなく、イエス様の心を最優先させて生きる御霊に属する人と願って、実践させて変えられてまいりましょう。