コリント人への手紙第一(8)

2022年12月2日

2019年10月13日
聖書箇所:Ⅰコリント2:1~5
説教題:聖霊の力に励まされて生きよう②

おはようございます。今日は前回に続いてⅠコリント2:1~5節の2回目になります。先週は3節迄をお話ししましたので、今日は4節と5節になります。

1:前回はⅠコリント1:1~3を通してパウロの生き方を考えました。それは彼がコリントの町に於ける伝道スタイルは、雄弁で格調高く、この世の知恵を駆使して神の福音をのべ伝える事ではありませんでした。1節に神の証とありますが、これは神の奥義とも訳されます。奥義とは以前知らされなかった神の真理が、時至ってはっきりと示された神の真理という意味です。即ち神がメシヤを送り、人の罪の身代わりとなって私たちが受ける神からの刑罰を代わりにあの十字架の苦しみを通して受けて下さり、信じる者を罪から救い新しい生き方を与える事でした。このような事は人間の理性や知恵によっては、理解しえない、受け入れられない所が多くあります。それ故この福音の中心部分は人の目にもおろかに映ります。しかしパウロは人の知恵を用いる事はしませんでした。人の知恵を絡めて神の奥義である福音を伝えても人は救われないからです。

2:1節で語った理由をここでパウロは述べています。彼の心にあった考えはイエス・キリスト、すなわち十字架につけられたイエス・キリスト以外には何も知らない事に決心したからです。イエス様ご自身がこの世に来られたのはただ一点、ご自身が十字架の死に向かっていかれたことは福音書を通して知ることが出来ます。それは人の罪を救うため犠牲の御業でした。十字架上で血を流し罪のないお方が罪とされ、人間が受けるべき呪いを全てあの十字架の上で負って下さったのです。これは決して失敗した結果ではなく、御業を成し遂げる為に子なる神であるイエスが人としてこの世界に来られたのです。
パウロはこのイエス以外に何も知らないと決心した:これはパウロの生き方でした。即ちいつも主イエスと共に考え、共に歩み、主イエスの心を最優先して生きようとするのが彼の根本的な姿勢だったのです。この土台こそ、知らないと決心した内容です。

3:彼は大胆な、そして非常に精神的に強い人物です。物事の考えや発言もはっきりしています。ローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙を読むとはっきりわかります。
しかし、ここでは以外に見えますが、弱く、恐れ、おののいていた(不安)のです。ここはどう解釈すればよいか、神の前に生きる者として自信家、常に自信に満ち溢れていたというより、むしろ神の前にも人の前にも謙遜な、謙虚な姿であったと解釈する方が自然だと思います。彼が臆病者であったのではなく、福音を語り、福音に生きる者でして健全でした。

4:今日はここからですね。パウロの伝道スタイルが出てきます。それは神の奥義である福音を語る時、あるいは伝える時には、格好よく、雄弁に説得力のある人間的な知恵の言葉を沢山使ったのではなく、御霊とみ力によると述べています。御霊とは別の言葉で聖霊と言います。御霊と聖霊は同じ意味です。(ギリシャ語で言葉が違うので日本語でも御霊と聖霊という風に分けています)このお方が私達の心の内に住んで下さる、聖霊が働きやすい、柔らかな心で生きる時に、聖霊はのびのびと人の心の中で自由に働くのです。そして人は福音に心を開き、救いを受けます。御力とは神の力です。パウロは淡々とキリストの福音をストレートに語ったことでしょう。そうすればおのずと聖霊は働きます。御力とは神の力という意味です。但し私達の心の中に、いじわるや妬み、焼もちがあったら働きませんのでご注意を。

5:この様にしてキリスト信仰とは人間の知恵に支えられるのではなく、聖霊、神の力に支えられるのです。以上が使徒パウロの十字架信仰の在り方です。そして今こそ私たちもパウロの残してくれた信仰、イエスを見上げて生かされようではありませんか。

適用
ではキリスト者は具体的にどのようにキリストを見上げて生きるのかを流れで見ていこう。

①イエスをメシヤと信じた時に、すなわち私の罪の為に十字架上で身代わりの死を遂げ復活したと信じたら、キリストと共に結ばれる。新しい命、聖霊が住んでいてくださった。そして御霊の力に励まされて生かされる。これが先ほど学んだパウロの生き方です。
②御霊の力によってキリストの言葉を実行する。ルカ6:46~49
③具体的な聖書が示す生き方は。マタイ22:34~40
神への愛(自分の御心に沿った考え方や生き方ではなく、神の御心に沿った、考え方、行動、生き方)これを忘れ、自分の御心優先だと神への愛はなくなる。隣人愛(自分と同じように隣人を大切にする生き方)これを御霊の力によってさせていただく。

結び
○エレミヤ29:4~9
常に大きな広い視野と視点をもって生き方をかえさせていただく。あなた方を引いて行った町の繁栄を求めその為に祈れ。
○ピリピ2:5
キリストにある謙遜な心があなた方にもあるようにしなさい。即ちキリストを模範として生きようということです。
イエス・キリストが父なる神のみこころを常に求め、第一としたように、私たちも立ち止まって、自分の思いや考え願いを優先させて生きるのではなく、イエス・キリストの御声を聞いて従っていかされよう。この様に考える人が多くなれば本庄教会は祝されます。あなたは如何でしょうか?