コリント人への手紙第一(5)

2019年9月22日
聖書箇所:Ⅰコリント1:18~25
説教題:キリストは神の力、神の知恵②

おはようございます。今日は前回に続いてⅠコリント1:18~25節になります。今迄の流れを確認してまいりましょう。

コリント教会の混乱した様子を伝え聞いた使徒パウロはコリント教会の信者たちに対して、イエス・キリストの十字架のみわざを信じた者は既にキリストの内に入れられて、キリストと連なり、キリストの命を受けている事を認めるのが信仰の基本であると語り掛けます。

 

それからパウロはコリント教会に充てた手紙の本論に入ります。10節ですね。様々な課題がありますが最初の課題は党派間の争いでした。彼らは自分達の考えに合わせて、パウロ派。アポロ派、ケパ(ペテロ派)、キリスト派というグループを作って主導権争いをしていたのです。これに対しキリストの十字架のみわざが空しくならない為に人間の知恵で言葉をもてあそんではならないと語りかけるのです。

そして最も大切なことは、十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても救いを受ける、私たちには神の力であると語るのです。

 

この様に語るパウロでしたが、コリント教会の党派争いの背景にあるのはギリシャ哲学を基にする知恵を重視する傾向があったことを見抜いていました。それ故十字架の言葉を大切にし、この世の知恵の愚かさを語るのです。前回18節と19節はやりましたので今日は20節からです。

 

20:学問をして真理を探究することは素晴らしい事です。私達は常に学び続ける必要があります。そして物事の本質や人としての道理を学ぶことは大変重要です。

しかし20節でパウロは、知者(哲学者)はどこにいるか。学者(律法学者)はどこにいるか。この世の議論家(研究者、理論家、論争家)はどこにいるかと問いかけています。そのうえで神はこの世の知恵を愚かにされたではありませんかと、問いかけているのです。

 

ここでのポイントはこの世の知恵という言葉ですね。これは創造主なる神が存在する事、子なる神イエス・キリストの十字架のみわざを無視している、それ故この世の知恵は愚かであり、無意味だとパウロは言います。別の言い方をすると神の言葉であり、誤りなき聖書を軽んじる姿勢であります。

 

21:この世の知恵は、あらゆる地上的な知恵を持っていながらも自分の哲学では創造主を認める事が出来ないとパウロは断言しているのです。

それ故神はキリストを通して与えられる救いを、不完全で、愚かで足りない所はあるが人を通して語るという方法(宣教の愚かさ)をよしとされたのです。これを受け入れた人はキリストの救いを受けて新しくされるのです。

 

22:この福音宣教の言葉に対してユダヤ人はしるしや奇跡を要求し、ギリシャ人は知恵、哲学を追い求めます。

 

23:しかしキリストの十字架の言葉はユダヤ人にとって躓き、これは憤慨の種であり、腹立たしいということです。彼らにとってはメシヤが呪いの印である木に掛けられる事は有り得ないと考えています。彼らは栄光のメシヤ像ばかりが頭にあり、苦難のメシヤについては理解しようとしませんでした。だから今日でもユダヤ人にとってイエスは詐欺師と呼ばれているのです。一方ギリシャ人にとってキリストの十字架の御業は非哲学的なことで、全く愚かな、たわごとと考えたのであります。

 

24:でもユダヤ人であろうが、ギリシャ人であろうが、これは全世界の人をあらわす言葉です。誰であっても神に召し出された人にとっては、キリストの十字架のメッセージは最も大切であり、ここに神の愛と、人の罪を赦すすべてがあり、キリストこそまさしく神の力、そして神の知恵であるのです。この様にパウロは神の知恵とこの世の知恵の違いを語ります。

 

25:ここは現代訳が分かりやすいので紹介します。というのは、人の目から見ておろかに見えるこの神の救いは、人間の知恵よりもはるかに賢いものであり、人の目から見て、弱々しく見えるキリストの十字架上の死という出来事はどんな人間よりも、はるかに強いからである。ここ迄です。

 

適用

人間は考える事を通してより賢くなっています。様々な発展があります。便利な有り難い社会になりました。しかし、創造主を無視したこの世の知恵の行きつくところは神への愛がない人間中心、自己中心の社会です。そして神の御心に対して反逆する社会です。行きつくところが核兵器であり、戦争して勝利したものが正義という考え方であります。それが神を抜きにしたこの世の知恵の限界です。絶対に創造主なる神を認めない、認めたくない知者で支配されているのです。そしてこの世の知恵は、決してキリストの十字架の死と復活の意味を知ることは出来ないのです。

 

結び

今日、創造主を抜きにした、この世の知恵に頼るのではなく、召された私たちにとってキリストこそ神の力、神の知恵という世界を体験させていただこうではありませんか。その為にもイエス・キリストの十字架のみわざを常に覚えて、そして意味について理解を深め主イエス・キリストに対する信仰と神の恵みに生かされている事をもう一度深く覚えてまいりましょう。