コリント人への手紙第一(1)

2019年8月18日
聖書箇所:Ⅰコリント1:1~9
説教題:教会は誰のもの

2つほど見ていきましょう。

1:神の計画によって召されたパウロ

使徒:キリストの代理人として派遣された特別職の人を指す言葉です。パウロはイエスから直接使徒に召し出されて、任命を受け、生涯を捧げた人です。これは誰も反論する余地がありません。

彼はキリストの代理人なので特別の権威を持っていました。しかし彼はキリストの権威を自分の欲望を満たす為に使う事は一度もなく、すべてはキリストの栄光のために用いたのです。

 

今の時代に使徒職は存在するでしょうか。答えはノーです。現代は使徒職に召されている人は一人もいません。ところがアメリカや日本でも自称使徒という人物はいます。最近東京などで良く見られる使徒的教会と称して、特別集会を開催し、じょうずに人々を支配するカルト教会が日本の教会に入り込んできていますので気を付けて下さい。彼らには特別なキリストの代理者としての霊的力も賜物もありませんので。

しかしこの手紙を書いたパウロは本物の使徒職です、権威や力を持っています。

 

2:コリントにある神の教会とは。教会とは誰のものでしょうか。信徒一人一人のものでしょうか。

牧師の物でしょうか。役員の物でしょうか。いずれも違います。所有者は三位一体の神のものです。

 

使徒20:28 パウロがエペソ教会の長老たちに語った言葉の中にこうあります。読みます。270頁、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会をぼくさせる為に・・・。子なる神、イエス・キリストの血によって買い取られた神の教会とあります。そうすると教会の所有者は三位一体なる神という事になります。牧師の立場は群れの監督として神に立てられた存在です。

 

コリント人への手紙を読んでいくとこのような問題だらけの教会でよく神の教会って言えるなと思ってしまいます。しかしイエスの十字架の血によって買い取られたので神の教会です。地上の教会は全て、聖化の途上にありますので問題を抱えています。本庄教会も昔は混乱する事が多い教会でした。そう考えると私たちは誰もコリント教会を駄目な教会だと言える立場にはありません。

 

今、日本の教会にも牧師や指導者に対する非難中傷があります。それは自分の考えている牧師のイメージと違う場合が多くあります。例えば牧師はこうあるべきというその人の持っている固定観念から外れると非難中傷をします。しかもパリサイ人的な思い込みと頑なさをもって攻撃的になるので事は複雑になります。

結果的にコリント教会と同じに内部分裂や中傷非難合戦が繰り返され、信徒も牧師も疲れ最終的には教会閉鎖となっていきます。これが今の日本の中に多くあるのでキリスト教会は勢いがないのです。結果的に一般の人が寄り付かなくなってしまうのです。

 

そのようなまちがいを繰り返さない為にもコリント人への手紙を学ぶ事は大切なのです。

この箇所を通して私たちもキリストの血によって買い取られた一人一人、神の所有とされている事を確認しながら歩んでまいりましょう。

そしてコリント教会の現実を通して、その間違いから教訓を学び取り、同じ失敗をしない教会として歩ませていただきましょう。