コリント人への手紙第二(32)

2022年3月6日
聖書箇所:Ⅱコリント13:5~10
説教題:自分自身を吟味せよ

おはようございます。2022年3月第1週の礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。また、ネット配信で礼拝を捧げているあなたもおはようございます。この時間を共有できる恵みを感謝します。近い将来同じところに集まって礼拝出来る日が来ることを願っています。

メッセージの前に嶋本さんの葬儀報告をします。3月2日無事に葬儀が執り行われました。午後1時から火葬も無事に終わりました。教会からも3名の方が火葬場に行ってくださり、また長岡さんたちが留守番してくれたので感謝でした。息子さんも教会の方が多く来てくれたので感謝していました。

神の家族として本庄教会の姿勢が良い証になったと思います。お疲れ様でした。遺骨は私が預かり、後日パウダーにして土のちり棚保管を予定しています。今回の葬儀で感じたことは、人はいつ召されるかわかりません。よって嶋本さんの様に家族に対して自分が死んだら牧師に連絡してくださいと話しておけば後の事がスムーズにいく事を確認しました。そんなわけで「私の葬儀の備え」に記入して家族に渡しておくことも必要です。そうすればあなたの意思が尊重されます。もう一つは公正証書遺言を作っておくことです。是非実行してください。

 

それではこれから30分、共に聖書から学び、聖書が私達に何を教えているか理解を深め

主イエスに従っていけるよう、そして、みことばを自分の生活に適用する時間にしたいと思います。

今日は「自分自身を吟味せよ」と言うテーマで考えたいと思います。

 

振り返ってみますと、偽教師に惑わされたコリント教会に対するパウロの勧めの言葉は13章10節で終わります。10章からなので彼は非常に長い文章を書いています。と言う事はそれだけコリント教会の人たちに対し、惑わしを見破ってキリスト者として成長して欲しいと願っていたことが分かります。普通の人なら、未だに自分を攻撃して、悪く言いふらされると見捨ててしまうかもしれません。でも彼はそうせずキリストの愛をもって関わっていたところがすごいところですね。

 

5:ここは前回からの続きで三回目のコリント教会訪問を前に、以前から罪を犯し続けている人たちに対し今度行った時には容赦しないで裁きを下すと述べています。10節迄結びのところです。

 

あなた方は自分自身が信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさいと問いかけています。これは今までの振る舞いに対し、教会の中で党派心をもち自分の正義を主張し平和がかき乱し、分裂分派、礼拝が秩序正しく行われず、不品行の行ない。そして偽使徒達に惑わされ教会が間違った方向に行ってしまった。そういう事を振り返り自分自身を吟味しなさいということです。

 

基本的な問いかけは、もう一度、自分自身の内にイエス・キリストがおられるかどうかということです。聖霊と言う形を通してイエスが自分の内に住んでおられる。これがキリスト者です。「自分はクリスチャンだが、どうも私の内にはキリストが住んでいないようだ」と言う人はいますか?もうあなたの内にキリストが住んでいなければあなたはクリスチャンではありません。キリストをメシヤと信じた人の内には誰にもキリストが聖霊と言う形で住んでいてくださいます。この自覚をもって生きるのがキリスト者の生き方です。

6:ここはパウロたちが攻撃を受けたことへの反論でもあります。彼は自己を振り返って自分たち自身は吟味にたえるような生き方をしている。その事は、あなた方にも分ってもらえると思う。

 

7:パウロがコリント教会を愛する思いが書かれています。我々はあなた方がいかなる悪をも行わないように祈っている。自分たちがどう思われようとかまわない。自己弁護をすることなくひたすらコリント教会の成長を願うパウロの生き方はコリント教会を食い物にした偽使徒達とは全く違います。とにかく彼らに主に在って正しい生き方をしてもらいたいだけです。

 

8:真理に逆らったら何事も前に進まない。どのような党派も、個人の利益の為に他ならない。

これはコリント教会の兄弟姉妹たちの生き方を見ると一目瞭然です。しかし真理、ここを福音と言う言葉に置き換えると分かりやすいです。キリストの為なら目的を果たすことが出来るのです。

 

9:ここもパウロのコリント教会員に対する愛が現れている。自分が弱くてもあなた方が強ければ喜ぶ。彼にとって自分の立場はどうでも良いのです。彼の願いはコリント教会員の成長だけです。あなた方が完全な者になる事を願っている。完全とは回復と言う意味です。

 

10:10章から始まるコリント教会の悔い改めていない人への最後の思いが出ています。彼はキリストから受けた権威を乱用したくありません。厳しい処置をとらなくて済む事を願っている。権威は建てるために在るのであって、倒すためではないのだ。これが使徒パウロの権威の用い方。

 

適用

①5節:私たちの内にはキリストが聖霊と言う形を通して住んでいてくださっています。ですから何かの行動をするときには自分の思いを優先させ直ぐ行動するのではなく祈って、聖霊の声なき声に耳を傾けて行動することが大切です。

 

②10節:権威は人に対して、振りかざし、追い込んでつぶすのではなく、建て上げるために在ると思う必要があります。私たちも様々な場面で人と関わる時にその人の成長、組織が立てられる事を願いながら育てていけるような思いをもって歩んでまいりましょう。

結び

5節~10節では主が私達に対して、パウロを通し信仰に立って歩んでいるかどうか自分自身を吟味しなさいと問いかけています。

私達は神の導きによってそれぞれが本庄キリスト教会の一員に加えられ、ここで礼拝を捧げ信仰の歩みをしています。それは別の言い方をすると、キリストの体なる教会を共に建て上げていく、共に信仰的にも人間的にも成長させていただく事になります。この思いを持つことが重要です。その為にも自分はキリストの体である本庄教会、神の家族の一員とされている自覚を持つ。自分の内にはキリストが聖霊と言う形を通して住んでくださっていることを自覚、吟味する。

 

皆さんはどうせ自分は教会の中や社会の中で役に立たない存在と思っている人がいるかもしれません。そうではありません。あなたはキリストの心を世に現わしていく大切な存在です。