コリント人への手紙第二(25)

2022年1月9日
聖書箇所:Ⅱコリント11:16~23
説教題:パウロの誇り 

おはようございます。2022年1月9日、今日も皆様と共に礼拝を捧げる恵みに預かり感謝し
ます。またネット配信を通して共に礼拝を捧げているあなたもおはようございます。早くも1月第二回目の礼拝となりましたがお元気でしたか?貴方と共に礼拝出来る恵みを感謝します。

さて、今日はⅡコリント11:16~23からです。偽使徒たちに騙され本物の信仰から遠く離れてしまったコリント教会の人々は、高慢になり、自分の知識を誇り、教会内でいくつかのグループを作ってそれぞれが自分勝手な道を歩んでいました。こうなると教会はキリストの体とは程遠い存在になってしまいます。
この事を聞いたパウロは彼らに手紙を書き間違いを示していきます。それがコリント第一の手紙でした。又訪問して信仰を正しましたが一向に悔改めがありませんでした。しかし、しばらくして多くの信者たちが罪を悔改めた知らせがテトスを通して届きます。
この知らせを聞いて彼は喜んで手紙を書きます。それが、今、私たちが読んでいるコリント人への手紙第二です。読み進めて今日は11章16節まで来ました。ここはどんなことが書いてあるかと言いますと、パウロの後、コリントの町に来た偽使徒達の影響を受けた人たちがまだ残っていました。そしてパウロを悪く言うのです。
その人たちに向けて、あるいは偽使徒たちに向けて書いているのが今日の箇所です。10章~すべて彼らに対する言葉です。13節に偽使徒達はキリストの使徒に変装するが驚くに及ばず、サタンでさえも、光の光のみ使いの様に変装すると述べています。今日はこの続きす。

16: もう一度言いますが誰も私を愚か者だと思わないでください。ここは11章1節に続いて、もう一度繰り返しています。それは依然として信者の中には偽使徒の騙しから解放されていない人がいたので、パウロは偽使徒たちの誇り高ぶりをコリント教会から全部取り除いてしまおうと考えました。でもおろかだと思うなら、そのまま、聴いてもらってかまいません。その代わり私が手前味噌を並べても辛抱して聴いてくださいね。そんな感じの意味になります。

でもパウロは自分の業績や自分の義を自慢して誇るのではなくキリストに在る苦しみや悩みを誇りとしています。こういうのがいいですね。今日は時間の関係で24節までを見て行きます。

17:これから話すのは主が語らせようとしておられることではなく、あくまでも愚か者の一人よがりにすぎませんがと、先に断りを先に入れています。

18:多くの人が肉によって誇っている、自分を良く見せて鼻にかけて得意になっている連中が何と沢山いる事かと偽使徒達やだまされているコリント教会員の人たちを皮肉っています。

19:あなた方は大変賢い、とはコリントの人たちに向かっていっている。だから私のような愚か者の話を最後まで我慢して聴いてくれるよねと言っています。面白い言い方をしています。

20:ここもその続きで、偽使徒から被害を受けた中身を語ります。その証拠に、今も偽使徒たちに騙されているコリント教会の一部の人たちは、だれか(偽使徒)に奴隷にされても、食いつくされても(偽使徒達から多額の謝礼を巻き上げられた事)強奪されても(上手にお金を持っていかれる)威張られても(力のない人ほど、実力があるように見せかけて威張ります)顔をたたかれても(暴力的になり脅すのが彼らの特徴)そこまでされてもあなた方はよく忍耐していますね。

21:言うのも恥ずかしいことだが、私も彼らと同じように傲慢にふるまえばよかったのに、弱虫なのでそのようにふるまえなかった。だが自分のやったことを誇る人がいるから、私も愚かになって負けずに自慢しよう。

22:ここから偽使徒とは違うパウロの誇りが出てまいります。彼は自分の業績や義を誇ることなく、使徒の歩みの中でキリストの苦しみに預かったことを喜んで誇りとしているのです。
そして最終的には自分の弱さを誇ります(30節)ここが彼の言いたいところなのです。なぜ弱いのが誇りなのか、聖書の世界は逆転の人生で、弱いところに聖霊が働き強くするのです。強いと考えている人に対して神はそのままどうぞ、ご自由に言う事になります。結果が逆になります。

偽使徒達はヘブル人ですか?私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。使徒パウロは生粋のヘブル人でベニヤミン族に属しています。勿論アブラハムの子孫です。

23:ここがパウロの最も言いたいところで、偽使徒達はキリストの僕ですか。狂ったように言いますが私はキリストの僕として彼ら以上です。それは自分の実績や義を誇りとしないで、キリストの僕として、迫害や苦しみを経て今に至っている事、キリストの十字架の苦しみを自分も負っている。これが使徒に任ぜられ歩んでいる使徒パウロの最大の誇りです。

ここまでですが、自分たちの生活に適用してみましょう。
●コリントの人たちは偽使徒の教えをそのまま信じて逆に神から遠く離れた存在となってしまいました。あなたがこの場にいたら何が偽使徒から守られる確かな拠り所になるでしょうか。考えてみよう。

●世の中には偽物と本物の情報が入り混じっています。偽情報から良い結果は生まれません。誤解と偏見、争いが出てきます。ではどうしたら正しい情報を手に入れ、この世の中で賢く行動することが出来るでしょうか。考えてみようではありませんか。
●貴方の誇りは何ですか?自分の実績や自分の正しさですか。考えてみよう。
結び
偽物をつかまされたコリント教会の人たちは、間違いを改めましたが、成長するには時間がかかったと思います。私たちも聖書から神について、イエス・キリストについて正しく理解し、成長していくには時間がかかります。それ故いつもイエスのみこころを求めて生きる。そうすれば必ず開かれた人生、恵みの人生が待っています。是非イエスに信頼し一歩一歩成長させていただきましょう。

本庄教会も目先を見ると課題が多く暗い未来かのように見えます。しかし神は無から有を創って下さるお方です。奇跡をなさるお方でありますから、自分の弱さを認めつつ、神に信頼し一歩一歩前進することが大切です。成長に近道はありません。