コリント人への手紙第二(23)

2021年11月28日
聖書箇所:Ⅱコリント11:5~15 
説教題:パウロと偽使徒達②  

おはようございます。今日も愛する兄弟姉妹と共に主を礼拝出来る恵みを感謝します。
またライブ配信で礼拝を主にしているあなたもおはようございます。お元気でしたか?
場所は違っても同じ時間に同じ主を礼拝出来る恵みを感謝します。
さて今日からアドベント(待降節)です。クリスマス迄静かに主イエスの誕生を待ち望みつつ
覚えて行きたいと思います。来週からクリスマスメッセージをしますのでご期待ください。

さて、今日は11章5節から。まずはここに至るまでの背景を考えて見ましょう。
使徒パウロの働きを通して設立されたコリント教会は様々な課題(問題点)を抱えていました。
それはパウロが次の町へ移動すると、こっそり偽の使徒達コリントに来てパウロの福音(キリストの十字架の死と復活)と違うことを教えるのです。その影響を受けた人によって教会が混乱し、分裂にまで発展したのです。他にも多くの問題が次々とパウロに報告され彼は心を痛めます。
それで彼はコリント充てに手紙を書き、訪問し指導しますが悔改めには至りませんでした。

しかし、幸いにも、しばらくしてパウロの2通の手紙(コリント人への手紙第一、涙の手紙と呼ばれるもの)を通して多くの信者たちが罪を悔改め信仰生活が回復していきます。そこで書かれたのが今読んでいるコリント人への手紙第二です。ここまで良いでしょうか?
そこで11章は10章に続いて、パウロに尚、強硬に反対する人たちに対する警告とパウロ自身の生き方を述べています。
※因みにこの使徒とはキリストに任命され、遣わされたものと言う意味です。初代教会時代限定の賜物で、特別の力を持っています。キリストの12弟子やパウロ、バルナバ、主の兄弟ヤコブがそれにあたります。また今は立派な働きをする牧師、伝道者であっても使徒とは呼びません。もし自分を使徒という人がいたら偽使徒です。
はい、それではパウロが何を言っているか整理して、自分たちへ適用したいと思います。

皆さんにお聞きします。パウロが伝えなかったイエスの話や、異なる霊、異なる福音を聞いておかしいなあと思った時どうしますか?答えは聖書を文脈に沿って読み、出来るだけ比喩的解釈はしないで字義通りに、著者が何を言おうとしているかを頭に入れながら聖書を読むことです。そうすると少しずつ本物と偽物を見分けることが出来ます。それが出来ない時は聖書信仰に立つ指導者と共に学び、信仰に立つ本を読む事です。そうすれば惑わされることは少なくなります。

5:この大使徒は、パテロやヨハネなどの12使徒を指して言っているのではなく、パウロの後からコリントに来て教会員をまことしやかな言葉でだまし、教会をかき回した人たちに対し皮肉を込め大使徒たちと言っています。勿論パウロはこの人たちに劣ってはいません。

6:偽使徒達は弁舌さわやかで話は旨いです。それに対してパウロの話し方は下手だと偽使徒達は言います。でも知識、中身において彼等と違って彼はあらゆる面で優れています。
7:ここから11節まではパウロの生き方、コリント教会で働いた時の基本スタイルについて述べています。何故かというと、この点を偽使徒の影響を受けた信者たちは指摘したからです。ご存じの様にコリント教会は使徒パウロを通して設立された教会です。と言うと最初は信者が少ないというのが一般的ですね。信者が少ないということは献金が少ないということです。献金が少ないと、伝道者の生活が成り立たないということです。

※この原則は今も同じで、信者が少ないと献金が少ないので牧師の生活が成り立ちません。当然のことながら、奥さんが働くか、牧師自身も仕事をして収入を得る事になります。私も妻とゼロから栃木県益子町で20年開拓伝道をしていましたが、その時は普通に会社勤をし、結婚式司式をして生計を立てました。会堂も自分達で立てましたが、ほとんど持ち出しばかり。それが現実です。

パウロが報酬を受けないで働いたのは教会員の経済的負担をなくす為でした。でも偽使徒たちに騙されたコリント信者はそこをついてパウロを攻撃したのです。他の使徒たちと違い教会員の献金で生活していないからパウロは偽物だというのです。また、エルサレム教会員を助けるといいながら献金をごまかしていると言いふらすのです。何してもパウロを悪く言うのです。

※ですから何をしても悪く言われる人は、パウロを覚えて気にしないでください。またイエス様は何を言われても、ただ黙々と十字架を忍び、苦しみを受け続けたイエスを見上げて行きましょう。
パウロの問いかけ:報酬を受けずに福音をあなた方にのべ伝えたのは罪を犯したからでしょうか。これは反対する人たちへの反論です。パウロが教会員の負担にならないようにしたことを逆に攻撃したからです。

8:勿論パウロは一流の天幕作り職人として働いて収入を得ていました。それと他の諸教会からの献金によって支えられていたのです。あなた方の言葉を使って言うならば「奪ったお金」で生活の糧を得ていたのです。このように彼らの言葉を引用しながら端的に述べています。

9:ここはパウロの伝道スタイルが書いてあります。使徒と言っても、お金が無ければ生活を賄い切れません。でもコリントではどんなに生活に困ってもお金を貰わなかった。理由は他の諸教会の兄弟姉妹たちが十分に支えてくれたのです。マケドニヤ(コリント北の地方)から来た兄弟たちによって支援を受けていたのです。この生き方をこれからも貫く。

10:アカイヤ地方(コリント)では、信者の負担をかけない為、報酬を受けない、この生き方を彼は誇りとしていました。天幕造り職人として生計を立てる。これが基本的な生き方でした。
11:それだけ余計な負担をかけないようにと言うパウロのコリント教会への愛から出ている行動であります。今日はここまでです。

適用 ※パウロはこの時、たぶん独身だと思います。だからそんなにお金必要ないと思う方がいるかもしれません。確かに一人に掛かる生活費は少なかったと思います。でもパウロの生き方を見ればわかりますが、彼は自腹を切って金を出し様々な社会的弱者を助けていたと思います。
ガラテヤ2;10(376頁)だから自分のお金が不足する時もあるのです。けちけちして自分の為だけにお金を貯めこむのは彼の生き方は全く違うのです。

結び:以上が使徒パウロのコリントにおける生き方でした。あなたはみ言葉を通してどのように自分の生き方を変えていきますか?