コリント人への手紙第二(20)

2021年11月7日
聖書箇所:Ⅱコリント10:1~11 
説教題:基督の柔和さと優しさをもって

おはようございます。今日も共に礼拝を捧げる為、集まることが出来感謝します。
またライブ配信で共に礼拝を捧げているあなたもおはようございます。お元気ですか?
今朝も同じ時間に礼拝を捧げる恵みに預かり感謝します。

さて、先週まで8章~9章から献金について、コリント教会とエルサレム教会の関係をもとにして5回にわたり学んでまいりました。
具体的にはエルサレム教会の兄弟姉妹を援助することを目的とした指定献金についてです。何故エルサレム教会への指定献金なのか?当時彼らは、飢饉や自然災害による貧しさ、ローマの支配やユダヤ教の迫害によって貧しい状態に追い込まれた日が続きました。これに心を痛めたパウロは異邦人教会に指定献金を募ったのです。それに答えたのが、マケドニヤ諸教会やコリント教会でした。

彼らはユダヤ人から受けた霊的な恩恵にたいして、貧しいエルサレム教会の兄弟姉妹達に経済的恩返しをする為に心を砕いてその奉仕に励みました。このイスラエルへの恩返しの原則は現代に生きる私たちにも適用できる使命です。私たちの信仰もまた同様にイスラエル人に支えられています。旧新約聖書はユダヤ人によって書かれました。私たちが聖書から受けている恩恵ははかり知ることが出来ません。ところがいつの間にか、キリスト教会はその恩を忘れています。今後は機会あるごとに恩返しが必要です。コリント教会の人々がしたわざの原則は今も生きています。

 さて今日は10章1節からですが、ここから今までと全く違う話が展開してまいります。
コリント教会の多くの人は自分の罪を悔改め、パウロを受け入れ、変えられていたのですが、
尚、一部の人たちは偽使徒たちによる影響を受け、パウロに対し悪意をもち教会の働きを妨害し混乱に陥れる人がいました。ここからは、その人たちへの厳しい言葉になります。
ここから私たちもパウロが何を言っているか整理して、自分たちへ適用したいと思います。
特に6節までが一つの塊になっていますので今日はその箇所を中心に見て行きます。

1:さてと、ありますから話はがらりと変わります。使徒パウロを疑い信用しない人たちは未だに攻撃します。顔を合わせている時のパウロは弱々しく、話はたいしたことないのに、離れていると強気だというのです。パウロは彼等の言葉を受け止め、キリストの柔和(謙遜)さと優しさ(思いやり)をもってお願いする。このお願いするとは、嘆願する、懇願する他に、慰める、励ます、力付けるという意味があります。
ここではいちいち相手に腹を立てることなく対応するパウロの器の大きさがあります。即ちキリストの心を心として生きる姿です。

2:コリント教会の多くに人は悔改め変えられたのですが、偽使徒たちの言葉をそのまま信じてパウロを悪人とする人もまだいたのです。その証拠に「パウロは肉に従っている」として盛んに攻撃するのです。ここでいう肉は、人の弱さや生まれながら罪を犯しやすい人の性質を指しています。それに対してパウロは、教会を混乱させる者たちに強硬な姿勢で臨むと警告します。
でもコリントに行った時にはそのような強気の態度をとらなくても済むようとも語っています。

3:私は肉にあって歩んではいても、これは文字通りにこの体をもって生きているけれども、肉に従って歩んではいません。この肉は罪を犯しやすい人の性質である肉に従っていきるのではなく神に従って生きるものと言う告白です。

4:ここは信仰による霊的な、目に見えないものとの戦いがありますが、大きく要塞、砦として人の心の中心にあるものです。そしてこれに対しこの戦いの武器は肉、即ち人間の努力や頑張りで勝てるものではありません。み言葉、祈り、聖霊の力、主により頼む信仰の力によるものです。

5:神に敵対するその悪の要塞(私たちが持っている心の中の、諸々の推論、理屈、考えから)この壁となる、神のみこころを阻害するもの、これこそ私たちの内に在るもので、真に戦うべきものです。他人ではないのです。このような心の要塞、基地との戦いは最大のテーマです。具体的に。

①様々な議論、神の考えではなく、ただ自分の考えを正しいとする考えから出る議論。
ずっと議論してばかりで何年たっても結論が出ないで前に進まない議論。
神の御心抜きの議論。議論の為の議論。どこまでも人間中心で神を抜きにしての合意。

②あらゆる高ぶり、これが人を駄目にする傲慢な態度です。常に上から目線で人を見るので自分の傲慢さに気が付かない。私たちの内に潜んでいる。こういう人は友達をなくします。

③すべてのはかりごと。策略。たくらみ、企てと言う意味です。全てが神のみ心を悲しませ、神の意志に逆らうものです。

私たちの心に在る、この悪の要塞と、戦い、抑えて、悪の要塞を打ち破りキリストに服従する必要があります。一生を通しての戦いになります。この罪との戦いに勝利する為に、主の力に押し出されて、打ち倒し、取り押さえ、キリストに服従させる。

6:この箇所は分かりづらいので柳生直之先生の個人訳で紹介します。
そしてあなたたちの服従が確実なものになった時、それでもなお従おうとしないものたちを、わたしは厳しく処置するつもりで有る。
適用
人はうわべをみて人を評価します。私も昔ある牧師夫人に、出会うなり外見を見ていきなりこき下ろされたことがあります。非常に不愉快な思いをしました。人に対して失礼な言葉を発する背景には背景にあるのは高ぶりです。自分は優れていると考えています。そうすると相手を低く見てポロリと人を見下す言葉が出て来るのです。これが人の肉で、罪を犯しやすい罪の性質ということです。全ての人の心の中に在る悪の要塞です。
結び
私たちもそれぞれが持つ、人の心の中にある悪の要塞が、みことば、祈り、聖霊の働きによって打ち破られ、パウロが持っていたキリストの柔和さと優しさを備えるようなキリストの僕でありたいと願っています。