コリント人への手紙第二(15)

2021年10月3日
聖書箇所:Ⅱコリント8:1~7
説教題:恵みのわざ  

おはようございます。ライブ配信礼拝の皆様もおはようございます。皆さんと共に礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。配信奉仕もありがとうございます。

さて、コリント人への手紙第二は半分が過ぎました。この手紙を理解するにあたり少し考えて見ましょう。コリント教会はパウロたちが設立した教会でありましたが知恵や知識を求める信仰熱心な人々が多く集まっていました。しかし、教会がキリストの体であり、相互の信頼や愛によって成り立っていることを忘れ、互いに自分を誇り、正義や優位性を主張したので分裂していました。
それぞれがキリストの体一部で、補うあうべき存在であることを忘れてしまうと教会内部が混乱していきます。そのことを知らされたパウロは手紙を書きましたが、それがコリント第一の手紙です。しかし彼が期待していたような成果はありませんでした。彼らが罪を悔改めが無かったのです。

そこで彼はエペソに帰った後、もう一度手紙を書きます。これが2:4にある涙の手紙と呼ばれているものです。でもこの手紙を通しても、最初は反応がありませんでしたが、しばらくしてテトスからコリント教会の人たちが罪を悔改めたという知らせが届いたのです。キリストの十字架のみわざによる救いについて、キリストが私の罪のために死んで、葬られ、よみがえられた福音について、教会について、悔改めを通してもう一度よく教えられたのだと思います。
そしてパウロは喜びの内にもう一度手紙を書きます。今私たちが読んでいる、コリント人への手紙第二です。ここまで手紙が書かれた事情や背景を理解して読むと聖書理解が深まりますので心がけて学んでまいりましょう。

そこで今日は8章1~7。この8章と9章には献金についてまとめて書いてあります。コリントの人たちはパウロが献金を集めて自分達で不正に使っているとか、吹聴する人がいたので、もう一度丁寧に献金について正しく理解し、恵みの業である事を知って欲しいと願い幅広く教えています。ここから私たちも献金について学び、恵みのわざを理解するキリスト者でありたいと願います。

1:パウロはコリント教会に対し献金について教えるのに、他の教会を例にして教えています。自分が属する教会だけを見ていると、ここがすべてかのように思えて、偏りが出る場合もありますので他を知ることは大いに参考になります。マケドニアの諸教会はコリントの北にある地域です。但し当時の教会は専用の会堂を持たない家庭を開放し家の教会でした。

ここで神の恵みを知らせると言っているのは、献金の恵みについてです。恵みとは相応しくない者に与えられる神からの一方的な良いものと言う意味で、人はあらゆる良い物を創造主なる神から一方的に受けています。人の体や能力、健康、生きるのに必要なものすべてを受けています。その愛に応えて神に喜んでお返しするわざが献金です。
しかし悲しいかな。クリスチャンであっても、神から預かって任されていることを忘れ自分のものであると思い込む癖があります。この考えは捨てなければなりません。

まず献金とは何かを考えよう。今も述べた様に、第一にすべては主のものです。
詩篇24:1地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの。

それぞれ主の物を一時的に任され預かっているものの中から、定期的に金銭で主にお返しするのが献金です。キリスト教会の運営はすべて教会員の献金によって賄われています。献金が多くささげられれば教会会計は安定し、少ないと教会の運営に支障をきたします。

そこで大切な基本的なことは自分も教会の一員で、教会会計や運営に関わっている所属意識、又は当事者意識が必要です。恩恵は受けるけど、献金はしたくありませんと言う人が多いと教会運営は成り立って行きません。又、自分の都合が悪くなると教会を変える人が多いと教会運営はなり立ちません。そんなことを考えて、自分が所属する教会を大切にしたいものです。

恵みの業について基本を考えよう
1,3節、自ら進んでする。自発的にすること。命令する人はいません。イエス様と相談して決めてください。本庄教会では月定献金、集会献金、感謝献金、指定献金の種類がありますがそれぞれ自分で決めてしてください。これらすべてが教会会計の基盤になっています。 

2,3節、力に応じて捧げる者です。それぞれの経済力によって捧げる金額は当然違います。
時には力以上に捧げる事もあります。マケドニアの諸教会は力以上に捧げたと有ります。

3、2節、惜しまずに、けちけちしないで気前よく捧げるものです。元々主のものを主のお返しするのが献金なので、捧げる時は気前良くささげましょう。マケドニアは農業と鉱山の地として有名だったそうですが、何故、教会員たちが貧しかったか、これは信仰故に迫害された事が原因です。

4,4節:聖徒を支える。1節の施す富となった。この献金の目的は教会運営のためですが、もう一つの理由は聖徒たちの為です。ここでの聖徒は当時のユダヤ、エルサレムのクリスチャンたちを指す言葉です。当時ユダヤはローマに支配され、更に飢饉のため貧しい状態が続きました。また、ユダヤ教からも迫害されました。だからみんな貧しかったのです。その人たちを支援する献金が大きな目的でした。異邦人キリスト者は恩恵をユダヤ人から受けたので、物質的な物をもってお返しするという原則です。※受けた恩は感謝をもってお返しするのがいいですね。

以上ですが、献金は恵みのわざとして、喜んで、けちらないで、気前よく神にお捧げしましょう。そうするなら神は祝福をもって答えてくださいます。詩篇81:10
それでは聖餐に預かりましょう。