コリント人への手紙第二(14)

2021年9月26日
聖書箇所:Ⅱコリント7:8~16 
説教題:気落ちした者を慰める神②  

おはようございます。ライブ配信を通して礼拝を捧げている皆様もおはようございます。共に礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。配信奉仕もありがとうございます。

さて、コリント人への手紙第二は半分が過ぎました。この手紙を理解するにあたり一言申し上げます。パウロがコリント第一の手紙を書いた後、教会には彼が期待していたような成果はありませんでした。人々の悔改めが無かったのです。そこで彼はエペソに帰った後、再び手紙を書きます。(2章4節)。これが涙の手紙と呼ばれているものです。しかし手紙を書いてのち、しばらくしてテトスからコリント教会の人たちが罪を悔改めたという知らせを受け、パウロは喜びの内に手紙を書きます。それがこのコリント人への手紙第二です。
このように手紙が書かれた背景や文章の流れを大切にして読むと聖書理解が深まりますので心がけてまいりましょう。そういう事で今日は7章8~16。特に気落ちした者を慰める神という題ですが、後悔と悔改めの違いについて学んで見たいと思います。前の週の復習から。

5:パウロの伝道旅行の時
場所はアジアのトロアス。先にコリントに派遣していたテトスに会えませんでした。彼は船でエーゲ海を渡り、マケドニアに向かって着いた時、心に平安が無く、あらゆることで苦しんでいた。外は戦い(教会内の不一致や迫害)、内には恐れ(コリント教会に対する心配、これからどうなるか)これがパウロたちの取り巻く現実でありました。

6:しかし、マケドニアに着いた時、パウロの心は大きく変わります。
気落ちしていたパウロたち。悲しみで打ちひしがれ、意気消沈していた彼らは慰めを受けました。ついにテトスが来たのです。しかもうれしい知らせをもって来たことにより、状況が一変しました。

神によって慰めを受けたと述べています。慰めの意味は人間の状況を変える。悲しみを喜びに変える事です。これをなさるのは神ご自身で、特にこの働きに関わるのは聖霊なる神です。傍らにいて支えて下さる。先にコリントに遣わしていたテトスのよい知らせを通して、悲しみから喜びに変ったのです。気落ちしていた時、神によって大きな慰めを受けました。

7:テトスの知らせはコリント教会の人達が罪を悔改め、神に立ち返った喜びの知らせです。ついにパウロの手紙を読んでコリント教会の兄弟姉妹達は悔改めたのです。聖霊が強く働いた結果です。聖霊は別の言葉で慰め主とも言います。私たちが罪を認識し、深く悲しむ、そして罪を悔改める時に聖霊が働き、清めを経験していくのです。結果として聖霊による喜びが溢れて行く。8節から12節まで後悔と悔改めの違いについて。

8:あの手紙によって、2:4に在るように涙をもって書いたパウロの手紙のことです。
あなた方を悲しませたとしても私は後悔していません。
9:今は喜んでいる。悲しんで悔改めたからです。これが大切なポイントです。神の御心に沿って悲しむ。これは悲しみだけに終わらないで悔改めに繋がる悲しみのことです。

10:9節の続きで神のみ心に沿った悲しみの事をのべています。神の御心に沿った悲しみとは、悔改めの事で、コリント教会の兄弟姉妹の生き方を変えました。それは何故か。悔改めは救いに繋がるからです。

・世の悲しみは死をもたらす。皆さんは後悔と聞いて聖書の世界では誰を思い出すか(マタイ27:3)イスカリオテのユダ。彼は非常に優れた能力ある、都会派の洗練された弟子。でも彼は、金庫番として皆の信頼を受けながらもそのお金を盗んでいた。最終的に銀貨30枚でイエスを裏切ります。彼はイエスを裏切った事を後悔しますが、悔改めませんでした。悔改めは生き方の方向転換をしますが、後悔は方向性が変わりません。悔いただけ。彼はやがて自ら命を絶ってしまいます。

・一方、悔改めた人は誰を思い出しますか?ペテロですね。彼はイエスを愛し本当に従う思いがありました。でも自分の思いが強い人です。今で言う「自分の考えや頑張り・熱心さでイエスを信じる信仰です」イエスが逮捕された時、他のものが裏切っても私だけは裏切らない。あなたとご一緒なら牢であろうと、死であろうと覚悟は出来ていると言い切ったのです。でも彼はそのあとすぐに、自分が捕まりそうになると、逆にイエスを裏切り、否定します。しかしその時にペテロはイエスと目を合わせ、我に帰り、悔改めの涙を流します。これは後悔ではなく悔改めなので方向転換しますのでイスカリオテのユダと全く逆方向です(ルカ22:61・62)

11:悔改めの結果、中身のある熱心さが生まれ、罪に対する弁明、疑いを晴らす行動に変るのです。あの問題とは、コリント教会の中で特に大きな問題の事で、あの問題と言えばみんなはピンと来たほど大きな問題でした。でもやがて正直な告白により多くの人の潔白が証明されたのです。

13:こういう訳で。悔改めの結果、行動が変わり、大きな慰めを受けた。
慰めとは。人間の状況を悲しみから喜びに変える主の力です。これをなさるのは神ご自身で、特にこの働きに関わるのは聖霊なる神です。傍らにいて支えて下さるお方。先にコリントに遣わしていたテトスからよい知らせを受け、悲しみが喜びに変るのです。実にパウロは気落ちしていましたが大きな慰めを受けました。
そしてコリント教会の兄弟姉妹達が悔改めたばかりでなく、テトスがコリント教会の兄弟姉妹達を通して心に平安を受けたことを知って更に大きな喜びが沸き上がりました。
適用
今日はここまででありますが、後悔と悔改めの違いを二人の人物を通してみましたが、ただ自分を責めて残念に思うだけでは今後の人生は何も変わりません。しかし、悔改め、神に謝罪して方向転換するならば、ペテロの様に新しい力を受けて、その後の人生が変わります。
結び
私達も様々な弱さや課題を抱えています。失敗もします。神の前にも人の前にも罪を犯す弱い人間です。でもすべての弱さを主はご存じです。そして、気落ちした者を慰める神は、聖霊を通して導いてくださいます。今週も罪を悔改めつつ主イエスを見上げて歩んでまいりましょう。