コリント人への手紙第二(12)

2021年9月12日
聖書箇所:Ⅱコリント6:11~18  
説教題:私の心は開かれています 

おはようございます。またライブ配信を通して共に礼拝を捧げている皆様おはようございます。共に礼拝を捧げる恵みに預かり感謝します。配信奉仕もありがとうございます。

いつものようにこの手紙を理解するにあたり一言。パウロがコリント教会宛てに第一の手紙を書いた後、教会は彼が期待していたようには変えられませんでした。それで彼は再び手紙を送ります。(2章4節)。これが涙の手紙と呼ばれているものです。
この手紙を書いたのち、テトスを通してコリント教会の人たちが罪を悔改めたという嬉しい知らせが届き、彼は大きな喜びの内に次の手紙を書きます。それが、このコリント人への手紙第二です。慰めと励ましの手紙です。手紙が書かれた背景を理解すると聖書の読み方が変わってきます。もう一つ理解が深まる基本は文章の流れを大切にして読む事です。

その流れで言うと、これから学ぶ6章11節以降はどのような流れで読めばよいのでしょうか。
そうです。キリスト者は、神と人の間にあって和解の務めが与えられているという視点です。コリント教会の信者や私たちはキリストの使節、大使である事を学びました。これはパウロやコリント教会の兄弟姉妹たち、私たちに与えられている使命でもあります。

そして前回は、使徒パウロが神と共に働く者として、キリストの使節としての生き方3つ勧めをしています。①神の恵みを無駄にしない。1~10。こ個までが前回。②互に心を開こう。11~13③一切の汚れから離れよう。14~18。今日は13節~18節までです。

①互いに心を開こう11~13
使節の生き方は、自分を遣わしてくれたキリストの心をもって生きる事、そしてキリストの素晴らしい点が多く現わされる生き方です。そうすると人は集まります。キリストの代理人の役割です。
その点パウロは大きな役割を果たしました。コリント教会の人たちから、ありもしない事を中傷され、陰口もたたかれました。日本語で相応しいのは踏んだり蹴ったりされたということです。
こういう時に人の心はどうでしょうか。いつまでも根に持ちその悔しさはなかなか消えません。ところがこの11節~13節を見るとどうでしょうか。パウロはコリント教会の兄弟姉妹達から受けた心無い言葉を忘れているといいますか、もうどうでもよくなっている感じです。

その証拠が11節の言葉、私たちはあなた方に率直に話しました。そして続いて、私たちの心は広く開かれています。常に相手がどうあろうと、こちらの心はオープンで有るということです。
オープンは開いているので、いつでも相手の話を聞くという寛容な大きな心構えで有ることです。別の言葉でキリストに在る愛があるということです。神の愛と言うことです。

これはキリストの大使、使節、あるいは弟子として重要な心です。常に相手の話を聞き、理解する。そして理解が深まればより正しく相手への対応が出来ます。
12節でパウロが、「私たちの愛の心は狭くなっていません。むしろあなた方の思いの中で心が狭くなっているのです」この姿勢がいつもあったのでパウロは心揺らぐこと無く、コリントの人々にキリストの愛を貫きました。そんなパウロと正面から向き合ったコリント教会の人々は本当に幸せだったと思います。でも中にはまだパウロの使徒職を強く否定する人たち、あるいは人の影響を受けてパウロの偉大さ、自分たちがいかに恵まれているかわからない人もまたいたのです。

②汚れから離れよう。14~18
不信者とつり合わないくびきを共にしない。昔は畑を耕す動物がいたことはご存じですか。機械化される前は、馬や牛が田んぼの土を耕したのです。ですから東京オリンピック前まで農家では牛や馬をかっていた家もありました。牛が二頭並んで、上手に作業が出来るよう首に木の輪がかけられました。そうすると同じ方向を向いて作業ができたのです。その木の輪をくびきと言います。

釣り合わないとは、信者が生きていく上で不信者との関係を釣り合わないくびきと言っています。多くの対比説明。15節のベリアルとは何もないという意味で、悪魔の別名になっています。全部が釣り合わないくびきを共にしてはいけないと述べているのです。ポイントはキリスト者が生ける神の宮、即ち聖霊なるお方が住んでおられることです。

ここで大切なのは信者と不信者が釣り合わないのだから離れなさいということですが、クリスチャンが不信者と共に生きる事を禁止しているのではありません。そんなことをしたら世の中から出て行かなければなりません。逆に、キリスト者はこの世の中にどんどん入っていくことが大切です。またこの箇所を適用して、女性が未信者の男性と結婚は駄目と一律で言われ、未信者と結婚した女性が教会に来られない事がありましたが、ここではそういう事を言っているのでもありません。

この世の中で生きていくのに大切なのは、私たちが生ける神の宮だという事を常に意識して生きる事です。16節、聖霊なる神が私たちの内に住んでくださっているということです。聖霊はイエス様と本質的に同じ神です。その神を私たちの内に宿しているのだからいつでもどこでもその神の心を優先して生きよ、いつもキリストと相談して神のみ心を優先した生き方をしなさい。この世の基準ではなくキリストを基準として生きよ。これが離れなさいという意味です。
適用
①私達はキリストの使節、大使、そしてキリストの弟子として誰に対しても常にオープンにするキリスト者であれ。そして人の話をよく聞いて上手に隣人との関わるキリスト者であれ。

②この世の中は汚れているから、キリスト者はできるだけこの世の中と関わらない方が良いとする考え方は間違っています。よくクリスチャンは政治に関わってはいけないとか、お金儲けをしてはいけないとか。お金は汚れているとか。でも儲けるとは良い仕事をして評価され、その報酬を受けた結果、収益が出ることですから極めて健全な行為です。ぜひ世の中と進んで関わりキリスト者として証を立てて行こうではありませんか。ポイントは私たちが聖霊の宮で、主が共にいる事。
結び
キリストの僕として常に心をオープンに、隣人を正しく理解することに努め、また聖霊を受けている者としてこの世の基準ではなくキリストの基準で生きましょう。