コリント人への手紙第二(7)

2021年8月8日
聖書箇所:Ⅱコリント4:1~6 
説教題:落胆することがない

本庄キリスト教会の皆様おはようございます。またネット配信をご覧の皆様もおはようございます。お元気でしたか。今日も礼拝出来る事を感謝します。ライブ配信奉仕もありがとうございます。

それでは聖書を開きましょう。今日は前回の続きで4章1節~6節、「落胆することがない」という題です。いつものように手紙を理解するにあたり一言申し上げます。パウロがコリント教会宛てに、第一の手紙を書いた後、なかなか状況が好転しないので、涙ながらに手紙を書きました。(2章4節)。しかし、後にテトスを通してコリント教会の人たちが罪を悔改めたという嬉しい知らせを受け、喜びをもって手紙を書きました。それがこの第二の手紙です。そんなことを頭に入れながら読むと理解が深まります。今日のテーマは一つで、落胆しないということです。ここから必要なことを学んでまいりましょう。

1:こう言うわけで私たちは憐れみを受けてこの務めについているとありますが、どういう訳か。それは新しい契約に仕える者とされ、信仰者の内に御霊が住まわれ、栄光から栄光へと変えられる存在にされたことです。これはパウロの様に立派な人だからではなく、当時のコリント教会の人にも、更には私たちにも適用されます。具体的にはキリストが十字架で死んで葬られ、三日目によみがえり、今も生きておられるという、福音を信じた結果であります。十字架のみわざを信じた人は救いを受け、結果的にどういう風に変わったのでしょうか。

一つ、キリストの香りを放つ務めを受けた(2:15~16)。もう一つは御霊に仕える務めを受けた(3:8)イエスを信じて罪の赦しを受け、心の内に御霊なる神が住んでくださる。御霊なる神が私たちと共にいて励まし、導いてくださる。しかもずっと共にいる。それが御霊に仕える務めを受けたということです。この確かな務めを主から受けているので落胆しない。しかも先ほど申し上げた通りに、この特権はパウロたちだけのものではなく、私たちにも与えられる特権です。

落胆しない、これが、キリスト者の特徴です。落胆しないとは、勇気を失わない、失望しない。疲れていやにならないという意味です。でも現実は失望落胆することが多いと思います。失望落胆ばかりだとしたら信仰に問題があります。キリスト者には主が務めを与えてくださっているので落胆しないとパウロが言っているのに、落胆ばかりで、そこから回復されないとしたら神の言葉を間違って理解しているから起こることです。

なぜそうなるのか、多くの場合、主に信頼して生きる事をせず、自分の努力や頑張りで信仰生活を続けている場合が多いです。これを続けると疲れが出て信仰そのものが続きません。そして他人を裁く人になります。もしあなたが、自分の、頑張りや一生懸命さで、信仰を続けていたら、早めに、主の恵みに信頼して生きる信仰に切り替えましょう。切り替えると主が責任を取ってくれるので安心して楽しい、信仰生活を送ることが出来ます。結果として落胆し続ける事の無い人生に切り替えられます。

2:人の目を気にして推薦状に気をひかれて歩んでいた人のようになる事はありません。主に務めを任されているという確信があるので、①恥となるような隠し事をしない。②ずるがしこい歩みはしない③神の言葉を曲げない④真理を明らかにする。⑤神の前で堂々と生きる。

3:それでもなお福音に覆いが掛かって、分からなくなっている人がいたらそれは滅びゆく人に対して覆いがかかってわからなくなっているのです。滅びゆく人はイエスの救いを受けることが無いという意味です。神の前に救いを受ける人と、受けない人がいることに分かれます。これはその人それぞれの自由意志に関わる事なので私たちの領域ではありません。

4:また信じない人の場合は、この世の神が働いて信じないようにさせています。この世の神は悪魔サタンのことで、この世を支配し、人の罪を用いて人を堕落させます。その悪魔が信じない人に働き、キリストに在る神の福音に光を放たなようにしています。信じないということは、ただその人、本人の思いばかりでなく、背後には悪魔の働きがある事を認識する必要があります。

5:神から務めを任され、落胆しないパウロたちの生き方。自分自身は述べ伝えない。これは自分の手柄話をいう必要はない。自慢話や武勇伝を聞いても何の力にも証しにもなりません。では誰を伝えるのか。そうです。十字架に掛かり死んで、墓に葬られ、三日目に復活し、今も生きておられるイエスを伝えるのです。これがパウロの基本姿勢でした。そして人に仕えられるのではなく、イエスに在ってあなた方に仕える僕なのだということです。

※これがキリスト者の模範です。神に仕えるように人に仕える。私達もこうありたいですね。これだと信仰生活に落胆はありません。自分の努力や頑張りで信仰生活していないので疲れません。
これは信仰者の生きる姿勢として大切なのでしっかり受け止めてください。

6:もう一つ、信仰者が落胆せず、元気を失わない生き方。創世記1:2の言葉。読んでみましょう。最初は良かった天と地にあって天使が神に背き、地は混とんとしてきた、それが、悪魔の存在の始まりで、地は茫漠として何もないという世界に繋がります。しかしそこに聖霊の力があり回復に繋がります。神は光あれと仰せられた。そうすると神の光が生まれたのです。ここに神によって回復する世界を見ることが出来ます。

キリストの御顔に神の栄光を知る知識を輝かせるため、私たちの心を輝かせてくださるのです。そのような神の守りの中にあるので私たちは落胆することが無いのです。これがパウロの確信で有り、同時に私たちの確信でもあるのです。
適用
私たちの務めを揺さぶり、確信を揺さぶることが多くあります。でも私たちは憐れみによってキリストの香りを放つ務めを受け、自由にされ変わることのないキリストの御霊を受ける者とされました。主イエスが全面的に責任も持って守り導いてくださいます。人生の最後までも導いてくださいます。ですから落胆の無い人生。時々落胆しますがそれはずっと続かいと言うことです。
結び
今週もずっと共にいて落胆せず失望に終わらない生き方を示してくださる主を見上げて歩んでまいりましょう。