コリント人への手紙第二(4)

2021年7月18日
聖書箇所:Ⅱコリント2:12~17 
説教題:誠実な者として 

おはようございます。ネット配信をご覧の皆様もおはようございます。お元気でしたか。
今日もあなたと共に礼拝出来る恵みを感謝します。又、コロナ禍の中で工夫しながら礼拝をささげることが出来て感謝します。またスタッフのライブ配信準備もありがとうございます。

それでは聖書箇所を開きましょう。前回の続きで2章12節~17節、「誠実な者として」という題です。コリント第二の手紙はパウロがコリント教会の人たちが罪を悔改めたという嬉しい知らせを聞いて書かれたものです。第一の手紙の1~2年後に書かれました。そんなことを頭に入れながら読んでまいりましょう。

14節で神への感謝が捧げられていますが、パウロは様々な状況の中でも神への感謝を忘れませんでした。そして17節にあるように、神の前にも、人の前にも誠実に生きる姿勢が貫かれています。ではパウロに何が起こったのでしょうか?そしてこの祈りがささげられたのでしょうか?

○12~13:伝道旅行でトロアスに行った時、主は彼等の道を開いてくださっていました。
これは良いことです。でもパウロはコリント教会に充てた手紙をテトスに託したのですが、まだ返事が無く心に不安がありました。かえって厳しいことを言ったのでコリント教会の人たちは打ちひしがれているのかなあと心配がありました。しかし、パウロはその様な中に在っても神に感謝しています。

14:その理由が書かれています。
①神はいつでも、私達をキリストによる凱旋の行列に加えて下さるから。
この解釈がいくつかありますが、神に立ち返ったものと神が認めてくださったというのが一番適切かなと思っています。
②神が私たちを通してキリストを知る香りを至るところではなって下さる。
キリストに立ち返った者はキリストの香りを放つ者とされたのだ。即ち証しする力を下さったので
どんな時でも神に感謝できる。これがキリスト者の生き方ですね。

※私たちもパウロと同じです。聖霊によってキリストと一つにされ神に立ち返った存在です。それ故にキリストから力を受けてキリストの証しするものとされました。私達もどのような状況に在っても主にあって喜べる存在とされました。ですから困難な状況に在っても神に感謝できるのです。

15:私たちがキリストのよき香りを放つ存在とされています。私達はキリストの香りを放つ者として救われる人に対しても、救われない人に対してもキリストの香り(福音)は示されるものです。

16:この香りは、滅びる人にとっては、死から出て死に至らせる香りで有り、救われる人々にとっては命からでて、いのちに至る香りとされました。この務めに相応しい人は誰か。

17:「私たち」これはパウロたちの事です。彼らは、多くの偽伝道者の様に神の言葉に混ぜ物をして売ったりする事は有りませんでした。
混ぜ物とは聖書のメッセージ以外に自分たちの考えを入れ込むことです。例えばイエス・キリストの十字架のみわざを信じただけでは救いは不完全である。モーセの律法を実行しなければ真の救いは得られない。三流のクリスチャンである。更に具体的にはモーセの割礼を受けなければ本物の救いではないと偽教師は言います。
それは私達が語る聖書のメッセージを聞いたら一人当たり五万円支払ってください。このような者が神の言葉に混ぜ物をして売るものです。

このように異端者が多い中に在って、パウロ達は
①誠実な者として生きた。これは人の前にも神の前にも正直に生きる事です。
②人からよりもむしろ神から派遣された存在。だから人にこびたり、へつらったりする必要はありません。
③神のみ前でキリストに在って真直ぐ福音を語るものです。
この姿勢が真に神によって遣わされた人たちの生き方です。そして使徒パウロの生き方でした。

適用
①神に感謝 どんな状況に在っても神は間違ったことをなさらないお方であるという確信を持つ
②神に立ち返った存在である。悔改めの確認。
③キリストの香りを放つ存在、私達。決して害毒を放ってキリストのお名前を汚してはいけないのです。聖霊の力によって生きる者と言う立場を堅持する。

結び 私たちの生き方をもう一度確認しよう
神の前にも人の前にも誠実に生きる事を基本として歩んでいるか?
キリストの福音に混ぜ物せず、聖書が語っていることを、聖書が言っている様に周りの人に伝える存在とされているか。
また私たちの生き方がキリストの福音にふさわしく神を愛し、人を自分と同じように愛する生き方に変わってきているか。そんなことを考えながら神の前にも、人の前にも誠実な生き方をさせていただきましょう。お祈りいたしましょう。