ピリピ人への手紙(21)

2022年09月18日
聖書箇所:ピリピ4:14~23
説教題:教会からの支援に対する感謝

おはようございます。2022年9月第3週の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。

またネット配信で礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?週の初めの日に礼拝をもってスタートできることは大きな恵みです。又明日の敬老の日おめでとうございます。本庄教会では80歳以上の方をお祝いしていますが、今年は9名の方が対象です。礼拝後にプレゼントをお渡しします。それでは聖書を開きましょう。今日の聖書箇所はピリピ人への手紙4:14~23になります。

今日は4:14から最後迄です。まずピリピ教会はどのような教会だったのかを振り返ってみましょう。

・ヨーロッパ最初の教会であった。パウロの第二次伝道旅行。使徒16章。

・マケドニア地方の諸教会は貧しい教会が多かったので。多分ピリピ教会も貧しかったと思われる。

・パウロを慕う人もいれば、獄中にいるパウロを苦しめる意図をもって活動する人もいた。

・偽教師である律法主義者が教会をかき回していた。彼らはパウロから犬と呼ばれていた。

・二人の有力女性信者が対立しており教会の中で暗い影を落としていた。

これが大まかな教会の姿でした。でもピリピ教会は喜びにあふれ、パウロの働きを理解し経済的に支えていた愛が溢れる教会でもありました。このように地上の教会は欠けが多くありますが確実に前進していたのです。そんなことを踏まえながら14節。

14:パウロは今までのうれしい思いを振り返っています。苦難を分かち合った仲間こそ本当の主にある仲間です。普段は仲良しでも困難があると関係が崩れることが多いのが人間です。キリスト信仰者もそのような弱さがあります。私もパウロと同じように開拓伝道して教会設立しました。最初は生きおい良くスタートしますが、5年もたつと最初の人はだれもいなくなりました。それぞれの都合を言い他の教会に移る人もいれば、信仰から離れてしまう人もいます。これが現実です。

また、新会堂建設の時にさっさとほかの教会に移る人もいます。教会から受ける事しか考えないからです。でもピリピ教会の信者をパウロは褒めています。よく私と苦難を私と分け合ってくれました。このように挑戦することを通して人は人間的にも信仰的にも人は成長するのです。

15:ここからピリピ教会の兄弟姉妹たちに対するパウロの感謝が述べられています。彼はローマの獄中にいますが、この背景は、さかのぼる事10年以上前の話。ピリピの人との出会いは使徒の働き16章12節(267頁)から始まります。彼らはピリピでの宣教を終えマケドニアに向かうパウロを献金や支援物資を通して働きを支えたのです。

16:パウロ達は次の伝道地テサロニケで迫害を受けましたが、この時もピリピ教会の人々は物心両面で支え助けました。これが「テサロニケにいた時でさえ二度までも物を送ってくれた」という意味です。使徒17:13~14(270頁)の出来事のようです。このようにピリピ教会の人々は最初からずっとパウロを支え続けたのです。彼は他にはありませんでした告白しています。

17:とはいえ、これはまた次の支援をお願いしますという意味ではなく。彼らのためであるのです。その理由が以下の言葉です。読む。柳生訳も紹介する(贈り物が欲しくてこう言っているのではない。そうではなくてあなたがたが、天に積んでいる預金がこうして増えていくのが私にはうれしいのである)とあります。良い業によって天の宝がますます増えていくと言う事でありましょうこれはピリピ教会だけでなく私たちも愛のわざを通して天の預金を増やすことになります。

18:今私はすべての者を受けて満ち溢れている。思い出してください。これは以前エパフロデトがピリピ教会を代表してパウロへ愛の贈り物を届けたことを言っています。しかし彼は後にローマで重い病気になり死にそうになりました。でも奇跡的に回復して今元気になったのです。やがてパウロは手紙を彼に託し送り届けられ教会で読まれたのがピリピ人への手紙です。

19:彼の大きな確信の言葉。「私の神は」非常に親しみある表現で、神が喜ばれるものです。私たちの父と呼んでも主は喜んでくださいます。またキリストを通して神は豊かなお方であることを示すとともに、ピリピ教会の人々の必要をすべて満たすと語り掛けます。今日でも主に信頼し、欲張らず、他人と分け合う人は、主がすべての必要を満たしてくださるのでご安心ください。

20:ここは頌栄と呼ばれているもので、神に栄光をお返しする場面です。教会では礼拝の最後に頌栄があります。キリスト者は栄光を自分に返すのではなく神に栄光をお返しする存在ですから。神に栄光があるように。私たちの生活もすべて栄光は神に返す姿勢で生きたいものです。

21~23は最後の挨拶です。聖徒、神によって選び分けられた存在。ですから私たちはおこがましいと思いつつも自分も主に選び分けられた聖徒という立場ですので自信をもってください。自分の功績によらずイエス・キリストの十字架の血潮によって罪から救われキリストの者とされました。主の恵みとあわれみによってのみ救われたものであることをいつも覚えてまいりましょう。

22:「カエサルの家の者」とは、ローマ皇帝の家族、親戚という意味ではなく、皇帝に仕える役人のことです。暴君ネロの時代にもクリスチャンがいたのです。感謝です。

23:祝祷 キリストからの恵みが豊かにあるように、祝祷は人間からの神への祈りではなく、神から人に対する祝福の宣言です。ここは間違いやすいところなのでしっかり覚えよう。

適用

地上の教会はつねに欠けだらけ完全な教会はどこにもありません。ピリピの教会もそうでした。

ピリピ教会はパウロの伝道によって設立されたヨーロッパ最初の教会で有りましたが、貧しかったと思われます。教会にはパウロを慕う人もいれば、獄中にいるパウロを苦しめる意図をもって活動する人もいたのです。内部では二人の有力女性信者が喧嘩して対立していた。

外部からは偽教師が入ってきて教会をかき回していた。それが現実です。

その中でもピリピ教会は前に進み愛にあふれた信者が多くいたのです。私たち本庄キリスト教会も欠けだらけですが、主イエスによって罪から贖いだされた群です。聖書をバランスよく理解して、キリストの愛を知り、愛を実践してくキリスト教会、キリスト者で有りたいと願っています。

結び

私たちも受けるより与えるほうが幸いの言葉を覚えて、他の牧師や宣教師、様々な団体、教会への必要の為に心配り、支援について積極的に出来るようになりたいと願っています。以上4月24日に学び始めて5か月掛けて学び終わりました。感想はいかがですか。来週は栁町さんが旧約聖書からメッセージしてくれます。ご期待ください。それではお祈りいたしましょう。