ピリピ人への手紙(17)

2022年08月21日
聖書箇所:ピリピ4:1~7
説教題:主にあって固く立て

皆様おはようございます。今日は吉田牧師が体調不良なので原稿を代読します。2022年8月第3週の礼拝をささげることが出来感謝します。またネット配信を通して礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?共に礼拝してから一週間のスタートができることを感謝します。それでは聖書を開きましょう。聖書箇所はピリピ人への手紙4:1~7になります。

前回までの流れを復習します。キリスト教会には最初から異端者が出入りしていました。この人たちこそイエス・キリストの十字架の敵として歩んで人々です。キリストの十字架の死は失敗だ、この穴埋めをするために自分たちの信仰の行いが必要だという。あるいはキリストの十字架の御業を信じるだけでは足りない。旧約の律法を行う必要がある。それでこそ本物のキリスト者になる。

またキリスト信仰の中にギリシャ哲学が入っている場合は、そもそも霊が善で肉体は悪であるとの考えから、信者は何をしても赦されると考え、神の義に平気で背く人が大勢おり、コリント教会ではこの考えから来る罪の影響があって内部混乱に陥り、パウロが手紙を書き送ったほどです。

そして3:20~21では今までのまとめが書かれています。地上に固執する生活を送る人々ではなく、自分たちは天に国籍を持つ市民であるから、この地にあって欲望を神とすることなく、恥ずべきものを栄光とすることはない。やがて主イエスが天から救い主として来るのを待ち望んでいる。その時こそキリストと同じ栄光輝く姿に変えてくださる。これが使徒パウロの確信であり、聖書のメッセージです。

4章1節を読んでください。ですから、あなたがたは天に市民権があるのだからそれにふさわしく、主にあって固く立ちなさいというパウロの勧めから始まります。

私の愛し慕う兄弟たちという言葉を見るとパウロがピリピ教会を非常に大切に思っていることが伝わります。勿論ここは姉妹も入っています。

私の喜び、この喜びという単語はピリピ人への手紙合計で11回でてきます。皆さまご存じのように今パウロは牢獄で鎖につながれ、いつ処刑されるかわからない立場です。でも彼はいつも主イエスと固く命と信頼で結びあわされていたので、どんな中でも喜びにあふれていました。このように彼は主にあって固く立っていたので喜びにあふれていたのです。同時にピリピ教会との関係においても喜ぶことが出来たのです。冠よとも言っています。勝利の冠(信仰の勝利者)、忠実な信仰を見て誇りに思ったことでしょう。

2:ここから教会内部の問題に対する具体的な勧めが出てきます。どんな問題か。異端問題ではなく、教会内の人間関係トラブルです。具体的には二人の有力女性信徒の喧嘩です。ユウオデアとシュントケ。二人とも能力があり、信仰的な人でしたが仲が悪く、その影響は教会全体に及んで、このままいくと分裂するかもしれない危機的状況にありました。それ故この事がパウロに伝わり彼女達に対する具体的勧めとなります。パウロの手紙は回状と言っていろいろな教会の礼拝の時に回して読まれるのですがパウロが個人的名前を出したほうが良いと結論して書きました。

このようにこの問題は個人的な性格、考え方の違いからくるものです。性格はあう、あわないがあるのですが、どちらかが、あるいは両方が自分の主張を出しすぎると争いになる可能性があります。クリスチャンは真理を求める傾向が強いので余計争いが起きやすいと思います。

パウロの忠告、勧めは主にあって同じ思いとなって下さい。性格的にみな違います。でもバラバラではなく基本的な部分、教会のメンバーはそれぞれがキリストと結びついて、キリストと一つからだにされた存在。それぞれがその一員で、みな違うが、皆大切な存在。あるいは皆罪赦された罪人に過ぎない者同士の集まりが教会である。主にあって兄弟姉妹という関係。互いに弱さを認め合って支えあい赦しあう。ともにキリストの体をたて上げる。主に与えられている賜物を生かして主に仕える。この思いが主にあって同じ思いとなることです。この考えに立てば皆が主の前に謙遜になれるはずです。

これを前提にして人間関係がこじれた場合の解決法を共に考えてみましょう。教会内での争い。キリスト者同士の場合。本当は分かり合えるものですが、一旦こじれると回復が難しいものです。こじれがどうして起きるのか。又和解するのはどうしたらよいか。4つのポイント

・①和解できない原因が自分にもある。

もっともらしい口実を見つけて自分の正しさを主張して相手を責める。これをやめる事。

・②相手の人柄を理解する。

生まれも育ちも考え方も受けた教育も違います。全部違うので自分と同じ考え方であることはあり得ない。その為にもよく話を聞いて相手の人柄をよく理解する。

・③相手も十字架の愛で許されている存在である。

自分はどうしようもない罪人であるが相手も罪人で罪赦された存在です。自分も神に愛されたが相手も、神に愛されキリスト信仰に導かれた人です。主の祈りの中で、「私たちの負い目をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある人を赦しました」宣言の祈りが重要です。

・④キリストの体なる教会の視点で考える。

私たちはそれぞれがキリストの体の一員である。どうすれば主に喜ばれるのか。あるいは主が悲しむのか。自分の考えではなく主の心の視点で考える。そしてキリストの体なる教会を建て上げるために自分は何をすべきか、どう行動すべきかを考えることが重要です。

最後に3節の場合のように真の協力者の立場(仲介者になった場合)どういう態度をとるべきか。

・①両者を裁かない心をもって接する。冷静になって両者の話をよく聞く。

・②愛をもって真理を語る。曖昧にしないで感情的にならないで愛をもって真理を語る。

適用

・私たちは時々争いに出くわします。当事者、第三者であったりしますが、その時はよく相手の話を聞き、自分の心にある課題点を理解し、お互いキリストの愛で赦された罪人同士、そしてキリストの体なる教会の一部であるとの視点をもって考える。

・また仲介、調停役を頼まれたら両者を裁かない心と事実を確認し、愛をもって真理を語る事を意識して関わると一歩前進ですね。

結び

地上に完全な教会はどこにもありません。あったとしても、そこにあなたが所属しただけで壊れます。すべては成長を目指して前に向かっていく存在です。

ですから私たちはそれぞれが主に結ばれていることを確認しながら主にあって固く立ち

一歩-歩前進してキリストの再臨を待ち望みながら歩んでまいりましょう。