ピリピ人への手紙(16)

2022年08月14日
聖書箇所:ピリピ3:17~21
説教題:しかし、私たちの国籍は天にあります

皆様おはようございます。2022年8月第2週の礼拝を感謝します。またネット配信を通して礼拝しているあなたもおはようございます。

お元気でしたか?共に礼拝をささげ一週間スタートできることを感謝します。それでは聖書を開きましょう。聖書箇所はピリピ人への手紙3:17~21になります。きょうで3章が終わります。

いつの時代にもキリスト教会の中に異端と呼ばれる人々が教会に入り込んできました。パウロの時代もそうです。今の時代も多くはびこっています。異端ではないことを見極める方法はキリストの十字架の御業に対する受け止め方で判別できます。キリストは人としてこの世界に来て、十字架上で神の刑罰を私の代わりに受けてくださった。それがキリストの十字架の死の意味であり、キリストは死んで葬られ、黄泉に下り、三日目に復活した。私が罪を悔い改めイエスを救い主と信じれば救いを受けます。罪が許されて新しい命を受けるのです。これが聖書の示す信仰です。

しかし異端者はキリストの十字架の御業は失敗だとか、殉教の死を遂げたとか考えます。ゆえにキリスト教に似ていますが、全くキリスト教会とは違います。ここを厳密に分けていく必要があります。また神は父なる神、子なる神イエス・キリスト、そして聖霊なる神、すなわち三つにして一つの神を信じていないのでクリスチャンではありません。この視点で見ると旧統一教会やエホバの証人はクリスチャンではありません。もう一つは使徒信条に同意しているかどうかが判断材料。

さてピリピ教会の話に戻りますが、パウロの時代に偽教師がたくさんいてピリピ教会をかき回していました。偽キリスト教ですね。それを意識してパウロはピリピ人への手紙を書いています。パウロの言葉を借りると18節、キリストの十字架の敵として歩んでいる人を意識して読んでいくとよりパウロの言いたいことが私たちに伝わります。

17:私に倣うものとなってください。彼は自分を自慢して俺について来いと言っているのではなく、パウロ自身のイエスを信じるものとしての生き方について16節迄を通して書きました。自分は完全にされているわけでも、既に得たものでもない。ただ捕らえようとして追及している、その生き方を倣ってほしいという勧めです。同時にパウロたちの生き方を見習っている人たちにも目をとめてくださいと勧めています。

18:なぜ彼はこのように言うのか?それは今まで度々言ってきた。今も涙ながらにいう。偽教師に騙されることは悲しく不幸になるので泣くのです。これが初代キリスト教会を取り巻く環境でありました。ではキリストの十字架の敵として歩んでいるとはどういう意味でしょうか?

パウロはキリストの十字架の死と復活にこそ救いがあると信じて人々に伝えているが、キリストの十字架の敵として歩んでいる人たちはそれを認めません。キリストは革命を起こそうとして失敗して十字架刑を受けて死んだとか、殉教の死を遂げたとか言います。これがパウロの福音と偽教師の教えの決定的な違いです。

ではキリストの十字架の敵対者を他の聖書箇所から見ていきます。例えば1:28に反対者たち。3:2犬ども。肉体だけの割礼の者、自分を誇る人、それこそ3:18に十字架の敵。具体的には。

  • ユダヤ律法主義者、キリストの福音+旧約の律法を守るように教える。例えば割礼を受けよ。土曜日安息日を守りなさい。他にも細かい律法の規定に従いなさい。
  • 道徳超越主義者。正反対のグループ、キリストは罪を許してくれたのだから何をしても良い。夫婦以外の性関係を持っても許される。コリント教会で起きていた事件。霊が善で肉体は悪。

こんなにも十字架の意味がゆがめられていることを使徒パウロは悲しみ泣くのです。身近な例として統一教会ではキリストの十字架の死は失敗だと教えます。そして神は再臨のキリストとしてイエスではなく文鮮明を地上に送られたと言い、又文鮮明がマッチングした人同士が結婚すれば罪のない子供が生まれるとして多くの人が合同結婚させられました。でも生まれた子供は全員罪があります。こうして聖書と全く関係ないことを教えていいます。どうしてこの可笑しな教えがまかり通っているか?恐怖心と利用しながら洗脳するのでなかなか抜けないのです。これ以上統一教会に騙され、利用されると不幸な日本人が増えるばかりです。

19:その人たち(偽キリスト教を教える人たち)の最後は滅びです。彼らの心は人の幸せを願っているのではなく、自分の欲望を満たす。それが彼らにとって一番大切な欲望。神です。彼らの栄光は彼ら自身の恥。彼らの思いは地上のことだけで自分の名誉心、支配欲、金銭欲の塊です。ピリピ教会のある人々はこのような偽物に騙されかけていたのです。

20:しかしパウロが伝えたキリスト信仰は全く逆です。それが有名なこの聖句。私たちは天にある国の市民である。国を、社会や故郷と読み替えても良いのです。するとこうなります。私たちは天にある社会の市民です。私たちは天にある故郷の市民です。

その国の市民としてこの地上でどう生きるか?そうです。神を愛し、隣人を愛して仕えることです。自分にできる良い業を通して社会に貢献する。イエスのように弱い立場の人を愛し仕えていく。自分の使命を終えたら天の故郷が待っているのです。これがキリスト者の生き方です。

更にすごいのはやがて世界の終わりに、いつかは誰もわかりませんがやがてキリストが栄光の体をもって救い主としてこの世界に戻ってくる。キリストの空中再臨。raptre。これは瞬間的に起こるので人の目に誰も見えません。この時地上に生きているキリスト者は私も含めて栄光の体に変えられて天に引き上げられる。その後全世界の人の目に見える形でキリストは地上再臨します。

21:20節のことが具体的に書かれています。これこそ私たちの真の希望です。ここから永遠の世界が始まります。偽教師とパウロの信仰は全くの別物です。私たちの卑しいからだが栄光輝くキリストと同じ姿に変えられる日がやがて来る。天の国籍を待ち望みつつ歩んでまいりましょう。

適用

偽教師は聖書の福音に混ぜ物して人々を教え高額な報酬をもらっていました。今も同じです。旧統一教会は偽の教え原理講論を作り(聖書を最も良く解釈し本として)聖書を知らない日本人を洗脳し、恐怖に陥れ、先祖の霊を救うと称して多額の現金を奪い取り家庭を破滅させます。そのお金は韓国の教祖にいき、そして反共産主義の為に日本の保守政治家にながれていきます。

結び

私たちの地上生涯は隣人愛に生きる、イエスの心を自分の心としていきる。常に弱い立場の人を大切にする。これがイエスの生き方で私が目指す生き方。また偽物に騙されない。その為にも聖書の文脈を大切にして読む。また教えられた事を実行する。そのような信徒とされよう。