ピリピ人への手紙(15)
2022年08月07日
聖書箇所:ピリピ3:12~21
説教題:目標を目指して走っている
皆様おはようございます。2022年8月第1週の礼拝を感謝します。またネット配信を通して礼拝しているあなたもおはようございます。お元気ですか?先週はどんな一週間でしたか?今日から始まる新しい週も頑張って生きるのではなく、それぞれが自分にできる隣人への愛を実践して生きる。そのような一週間となれば幸いです。愛は口先だけでなく実行して初めて良いものになります。それも自分の力でなく主イエスに信頼して一歩一歩進め実を結ばせていただきましょう。
さて今日の聖書箇所はピリピ人への手紙3:12~21、時間の関係で16節までになります。先週は使徒パウロがキリストの救いを受けてから大きく価値観が変わったことを確認しました。
それは彼が今まで大切にしてきた家柄や、パリサイ派指導者としての実績、得であったものは、キリストと命でつながれ救いを受けてから誇るものでないことがわかりました。
そして彼はキリストとつながったこと、キリストにある生き方を示し、やがて栄光の体に変えられる望みを語っています。
私達キリスト者もパウロが示す生き方を大切にしています。①まず救いを受けた時キリストにつながった。②キリストに似る生活が始まる③キリストの再臨の時栄光の体に変えられる事、又自分の地上生涯が終わった時、栄光の体に変えられる。この3つの段階を学びました。11節まで。
12:前回少し触れましたが捕捉します。初めの部分で私は既に得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありませんと告白しています。どんな意味か。パウロが栄光の体に変えられる時のことを言っています。(栄化)ここが大切なところで当時の偽教師、またユダヤ主義者と呼ばれた人々がピリピ教会に入ってきて信者をだましていたことが背景にあります。それは自分達の信仰が素晴らしいから完全なものになった。又栄光の既に体を受けたと、信者をだましたのです。これに対しパウロはノーと言い、まだ完全にされていない。やがて栄光の体に変えられる事を確信しながら歩んでいる。そして将来栄化するようキリスト・イエスが私をとらえてくれたと断言します。
13:兄弟たちにもう一度呼び掛けています。大切なことをもう一度言いますと言う事です。12節の続きで自分がとらえた。完成した。復活を得たとそんな考えをしてはいけない。それは偽の教えだから。と言う事はピリピ教会に誤りの教えに惑わされている人がいたのです。パウロは彼らの考えを否定し一つの賞をいただく目標に目指して走っている。これがキリスト信者の本当の生き方です。その為にも3つの流れがある①後ろのものを忘れ
例えば・人間的なものを頼りとする生き方を捨てる。彼の以前の生き方が後ろのもの
・彼がイエスの救いを受ける前の生き方、パリサイ派指導者としてキリスト者を迫害し、捕らえ死に至らされた。・あるいは指導者同士で対立した。マルコの扱いをめぐってバルナバと激しく対立して別行動をとった。使徒15:36~41。妥協しない強い性格からマルコを認めたくなかったのかな。様々な失敗をしたが、悔い改めたら忘れる。
②前の者に向かって身を伸ばし キリストに似るような愛の実践を積極的な生き方をする。
・走ることに例えるならキリスト者の生き方は100メートル競走のような短距離走ではなく
マラソンのような長距離走である。その途中において様々な苦難やドラマがあるけれどもゴール(目標)を目指して走り続ける。
③14:賞をいただく キリスト・イエスにあって神が上に召してくださる日に栄光の体に変えられる事。これが最高の目標で、その目標を目指して生きる。この賞を得る為彼は人と比較して自分のほうが上だというような考え方は持ちませんでした。神が自分に与えたその使命に誠実に生きたのです。
15:信仰的に大人の信者は今述べたような生き方をしてくださいとパウロは勧めます。
復唱すると①人間的な頼りにならないものを捨てる②主にあって人生を積極的に生きる。具体的には隣人愛に生きる。弱い人を助ける。幸せを分かち合う。困難はあるけれどイエスとともに人生のゴールを目指して生きる生き方です。③人生の最後、またはキリストの再臨の時には栄光の体に変えられる。この賞を目指して生きよう。之と違う考え方をしていけば神が明らかにしてくれる。
16:それぞれの到達したところを基準にして生きよう。これが無理のない生き方です。人と比較する必要はありません。自分の使命は何かを確認してその使命に生きる。キリスト者の生き方はのびのびしています。
適用 キリスト教異端について 偽教師を見破れ。現代の異端もパウロ時代と本質は同じ
聖書を使いますが、キリスト信仰とは似て非なるもの、中身が全くキリスト教でないもの。
この中に旧統一教会や物見の塔、エホバの証人があります。
その特徴は何か、聖書を利用して、文脈と関係なく、聖書を解釈し、その一部分を引っ張り出して自分たちの考え方に合わせて教え、教理を作り最高の経典とします。
今何かと話題になっている旧統一教会の場合は原理講論が経典です。これこそ聖書を最高に正しく解釈したのが原理講論だと主張します。聖書の言葉を引用しますが、自分の考えに合わせて読み込みます。そして人の弱みに付け込んで多額の献金を要求します。こうして得たお金は韓国の教祖にお金が流れる仕組みで、日本の統一教会ではひたすら霊感商法を通して人をだましお金を巻き上げます。洗脳された詐欺グループというのが本当の姿です。
例、先祖が昔武士でたくさんの人を殺して地獄で苦しんでいると恐怖心を植え込んでいく(カルト)、そこから救うために壺を買いなさい。印鑑を買いなさいと勧め購入させます。全部嘘で詐欺です。
こうして原価数千円の壺や印鑑を数百万円で売り現金をだまし取るのが旧統一教会です。そして自分たちを正統的に見せるために国会議員の選挙に組織を挙げて手伝い、その見返りに自分たちの大会に招いてメッセージをしてもらいます。こうして信用ある団体のように見せかけて、次々にお金をだまし取る、だまし取った政治家に流れ、韓国の教団本部に流れていきます。
私達はどうしたら見破られるか。聖書を文脈で読む事、聖書全体から学ぶこと、聖書の歴史的背景を知る事、イエスこそキリストであることをよく知ることです。これができている人は彼らのウソを見破ることが出来ます。もう一つは使徒信条をよく理解し告白することです。
偽キリスト教は昔も今もキリスト教会に入り込んできて同じ方法で人をだましています。ピリピ人への手紙で学んだことを確認すれば様々なカルトに騙されません。カルトは宗教のほかにも会社やサークルの中にも入り込みますから変だなと思ったら牧師に相談してください。しっかりと目標目指して進んでいきましょう。①後ろのものを忘れ ②前の者に向かって身を伸ばし 積極的な生き方をする。③賞をいただく 栄光の体へと変えられる。この目標を目指して生きよう。