ピリピ人への手紙(13)

2022年07月24日
聖書箇所:ピリピ3:1~11
説教題:キリスト・主イエスを知っている素晴らしさ②

皆様おはようございます。2022年7月第4週の礼拝を捧げる恵みを感謝します。またネット配信を通して礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?先週はどんな一週間でしたでしょうか。楽しいこともつらいこともあるのが私たちの人生ですが今週も、頑張って生きるのではなく主を信頼して歩んでまいりましょう。それでは最後迄共に学んでまいりましょう。

さて今日の聖書箇所はピリピ人への手紙3:4~11になります。いよいよ3章から後半に入ります。初めにパウロはキリストにあって喜べと勧めていますが、無理に喜べと言っているわけではありません。勿論頑張って信仰生活しなさいと言っているわけでもありません。そうではなくキリストを信じたとき目には見えませんがキリストと一体となり新しい命を受けました。既に喜べる土台があるから、キリストにつながっているのだから彼にあって喜びなさいと勧めです。

そのうえで3つの警告がありました。①犬どもに気をつけよ、②悪い働き人に気をつけよ。③肉体だけの割礼を強いるものに気をつけよ。これはみんな同じような人々で、律法主義的な異端者です。彼らはキリスト教会の中に入り込み信徒を惑わし、自分たちの陣営に引き込んで信徒を不幸にする。キリスト教です。これに警戒せよという勧めです。

このようなことは昔も今も変わりません。聖書の言葉を自分に都合よく解釈してみことばをつなぎ合わせ自分の教理を作ります。現代でいうと例えば旧統一教会、エホバの証人、モルモン教です。これを警戒せよと言う事です。特にユダヤ人にとって大切な信仰のしるしである割礼を殊更誇り、惑わす人々を警戒せよという勧めでした。

パウロは形式的なことを誇る人に対して、肉と言っています。肉とは生まれながらの能力という意味で、私はあなた方が誇るその肉のことでも私のほうがずっと上だとくぎを刺しています。

※人間的に見ても自分のほうが上だと示しています。キリストに結び付けるために言っている。

  • 生まれて8日目に割礼受けています。これは彼が生粋のユダヤ人でアブラハムの子孫である事を示した言葉です。
  • イスラエル民族。先祖アブラハム、ヤコブの子孫であるという誇り。神と契約を結んだ誇り。

③ベニヤミン族の出身。イスラエル民族はアブラハム、イサク、ヤコブと続いて、12部族から始まりました。一番年下にベニヤミンがいました。この部族は小さな部族でしたが、ここから初代の王サウルが生まれ、小さいながらもダビデ王の家に対して忠誠をつくした名門部族とされています。いわゆる大いに肉によっても誇れる立場にありました。

  • へブル人の中のへブル人。かれはデァスポラ(離散の民)でありエルサレムで生まれ育ったわけではありませんが、ヘブル語(アラム語)を自由にはなせると言う事です。
  • 律法についてはパリサイ人。旧約聖書を厳格に守るパリサイ派に属する宗教指導者でした。当時はパリサイ派が6千人いたと言われており、そのグループのリーダーでした。
  • その熱心は教会を迫害したほどである。彼はキリスト者をとんでもない悪人であるから懲らしめなければならないとして迫害したのです。それが有名な使徒の働き9章のダマスコの途上での出来事です。クリスチャンは間違っているからと確信して捕まえに行くのですが、キリストから直接声をかけられます。「サウロ、サウロなぜ私を迫害するのか」ここで初めて自分が迫害しているのはキリストに対してだと知らされて罪を悔い改め、人生180度転換してキリスト者になるのです。

⑦律法による義については非難されるところのない。彼は旧約聖書の律法について厳格な教育を受け、神に対して熱心でした。神の前に律法を完全に守って合格したという意味ではありません。そういう人はだれもいませんから。ユダヤ人世界の中で律法を守ることにおいてはだれからも非難されないくらいに評価されていたと言う事です。

以上がイエスをメシヤと信じる前のパウロの生き方でした。非常に意志の強い人で、しかも優秀で熱心に聖書の律法を守る世界に生きていた人です。彼の幸せは何だったのだろうか?

神の前に熱心に自分の義に生きる事だったのでしょうか。細かいところまではよくわかりません。

7:しかしここから彼の人生が180度変わります。自分にとって得だった7つのこと、彼にとって以前はとても重要で誇りとするものでした。この7つを備えていればパウロの人生は安泰ですし、パリサイ派6千人のリーダーとして人から信頼と尊敬を得る人物でしたが彼にとっては今まで迫害していたイエスをメシヤと信じてキリストの本当の魅力、凄さを知った瞬間から過去の栄光はどうでもよいと思うように変えられたのです。それをキリストのゆえに損と思うようになったと述べています。

あの大人物パウロがそのように思うというのはどれだけキリストに魅力があったからでしょう。それどころか8節ではキリスト・イエスを知っていることの素晴らしさのゆえにすべてを損だと思っています。すごい人生の大転換です。今日はここまでにして適用に入ります。

ポイントはキリスト・イエスを親しく知ること。彼の愛、圧倒的な価値を知ると人生の価値観が変わり今まで大切だと思っていたのがそれほど大切だと思わなくなる。

※これはよくあうと思います。皆さんどうですか、今まで大切にしていた趣味、熱心に取り組んでいたスポーツとか。価値観が変わり、より大切なものを求めて生きるようになります。

私の場合は中学と高校で野球をやっていました。その当時はそれが人生の目的のように考えています。高校卒業後に硬式野球チームがある会社に入ってそこで一生を務めあげるという人生設計を持っていました。そして願っていた会社に入社が決まっていたのですが、高校三年生10月に友達の紹介を通して聖書を出会い、イエスをメシヤと信じて救いを受けました。ここで生き方ががらりと変りました。良い方向へ。翌年4月会社に入り、野球部にも入りましたが自分の実力がわかり一年できっぱりと止めました。大げさに言うと自分の人生をかけていたものが、時が来たらすんなりやめて、仕事と信仰を大切に生きる方向になっていったのです。価値観が変わったのです。

結び

私達がより良い自分の人生を送るにはどうしたらよいか。それはイエス・キリストを知ることです。知るとは知識で知るのでなくて体験的にキリストと人格的交流をすることです。

その体験をするにはキリストが喜ぶ隣人愛の業に取り組むことです。この中で少しずつキリストを体験的に知るように変わります。

今こそキリスト者は教会挙げて自分たちにできる隣人愛の実践に取り組むべきです。人の幸せのために何ができるかを考えて実践することです。その中でこそキリストのすばらしさに出会えます。キリストの価値を見出しあなたが悔いの残らないあなたらしい人生を生きることが出来ます。