ピリピ人への手紙(8)

2022年06月12日
聖書箇所:ピリピ2:5~11
説教題:イエスの生涯

おはようございます。2022年6月第2週の礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。またネット配信を通して礼拝をささげている皆様もおはようございます。お元気でしたか?時間を共有できますこと感謝します。それでは聖書から共に学んでまいりましょう。

今日の聖書箇所はピリピ人への手紙2:5~11になります。先週の続きになりますが、パウロが牢獄に入れられたことを通しピリピ教会の兄弟姉妹たちに変化が生じたようです。ある人は妬みや争いをもってキリストを伝え、ある人は党派心をもってキリストを伝えるようになりました。

そうすると教会が主にあって一つ心になることが出来なくなります。そんなことがありパウロはキリストの福音にふさわしく生活しなさいと勧めます。福音にふさわしい生活とは、今キリストが自分の前にいる事を意識して生活することです。(1:27節からの内容です)

教会が一致できなかったことに対する具体的な勧めは、2:1それぞれが自己中心や虚栄心を捨て、人を自分より優れたものと思いなさいという勧めです。優れたものと思うとは、人の能力に関係なく、自分の上座に座るべき人だと言いう意味のようです。

そして5節、パウロはキリスト・イエスのうちにこそ真の謙遜さがあることを覚えて歩むように勧めています。※汝らキリスト・イエスの心を、心とせよ。というみ言葉を思い出します。先週のメッセージで、この言葉を口語訳聖書といいましたが文語訳聖書の間違いでした。そして6節~11節に書かれているキリストのへりくだり(謙遜)とキリストの救いの御業こそが、私たちがへりくだって、教会が一つにされていく基本なのだと述べています。非常に大切な箇所です。

6節から11節は当時の讃美歌だと言われています。父なる神とともに天におられるキリスト、(創造主なる神である)人となられたキリスト、十字架の御業、それ故高くあげられ(復活し天に挙げられた)やがてキリストは再臨によって栄光ある座につかれる(再臨とはキリストがこの世界に戻ってきて世界を収める事)。このようにキリストの御業を歌にして歌っていたのがこの個所です。それではキリスト・イエスをたたえる歌からイエスというお方について考えよう。

6:まずキリストは神の似姿である。キリストは永遠の存在者。聖なるお方、正義なるお方、愛なるお方、完全なお方。霊的存在者、どこにでもおられる。これらをすべて備えていますから父なる神と全く本質は同じです。キリスト・イエスは権威ある神の右に座しておられましたが、いつまでもその立場に居続けることをよしとされなかった。こだわりを持っていませんでした。

7:そしてついに時至って私たちと同じ人の形をとってこの世界に来てくださった。それが今から2千年前のクリスマスです。しかしこの時は多くの人に歓迎されることなくひっそりとユダヤの田舎のベツレヘムで生まれました。それがご自分をむなしくしてということです。今までの立場を捨てたということ。僕の姿は奴隷のことで人として徹底して神に従う生き方をしたと言う事です。

人間と同じようになられた。これは神の似姿であるにも関わらず人間の姿かたちをとってこられた。私たちと全く同じ人間で、知識、感情、意思があります。キリストは完全な神で有るとともに完全な人でした。但し私達と違うのは何ですか?イエスには罪が全くありませんでした。

8:人間として地上の生涯は徹底して神に従う立場をとり自らを低くしました。神の前に誠実にそして謙遜に生き、どこまでも、僕、神の奴隷として神のみ心に忠実に従いとおしたのです。ついにはあの呪いと恥の極みである十字架刑の死を受けました、人の代わりに神に呪われたものとして十字架刑を受けます。これは恥の極みです。いばらの冠、あざけり、罵りを受け、人としての尊厳は全くありません。公衆の面前で服を全部脱がされ、6時間も人前にさらされました。十字架上での肉体の苦しみは計り知れません。のどはカラカラに渇き、自分の体重が手と足にかかりやがて呼吸困難になり窒息死するのです。実に十字架上で6時間苦しみ抜いたのです。ここに僕として神の御心に従順に従い、神への従順と隣人愛を貫いたイエスの姿があります。この完全な従順ゆえに。

9:それ故神はとあります。ここからの書き方は神が主体です。父なる神が御子キリストに対して示された事が書かれています。それが、それ故神は、このキリストの従順な御業ゆえに、キリストをすべての名にまさり高く上げられました。すなわちキリストは十字架上で死なれ、墓に葬られ、黄泉に下り、三日目に復活し、天に帰りました。これこそキリストの神宣言であります。

10~11:ここは今の時代よりももっと後に実現します。その時はキリストが世界中の人が目に見える形で再臨(再び来られるときに)するときのことです。その時にすべての人がイエスに膝をかがめ、イエスは神であると告白するのです。悪魔、悪霊ともさえも恐れおののくのです。イエスこそ王の王、主の主であります。このことが実現しるのはいつか。これから時代はますます混迷して反キリストなる人物が現れ、見せかけの一時的な世界平和を実現します。この時代を聖書では大艱難時代といいます。全世界的な規模で7年間続きます。最後にキリストが再臨して反キリストとその軍勢を滅ぼし平和を実現します。そしてキリストはすべての栄光を神にお返しするのです。

適用

〇キリストの生き方から学び私たちもキリストのように神に従順して生きよう。勿論自分の力ではなく、一歩一歩聖霊によって教え示され、力を受けつつ清められつつ成長させていただくのです。

〇私たち一人一人がキリストの謙遜と従順を学びつつキリストの心をもって生きるときに教会全体も信仰的霊的に成長して一致して歩めるのです。そうするとキリストのお名前があがめられるのです。

結論

イエスご自身を理解し、イエスと交わり、イエスの声を聴きつつ生きる事。結果はどうなるか。イエス様と性格や行動が似てきます。自分のことばかりではなく、いつも他の人の幸せを考える。

こういう話をすると私は無理ですという人が半分以上いますが、一歩一歩実践していこう。

父なる神に栄光が返される生き方、私たちもキリストの前にも人の前にも謙遜にされるとき神に栄光が返されます。自分があがめられるのではなくキリストがあがめられる生き方こそ本当のキリスト者の生き方です。そういう生き方を目指していこうではありませんか。