ピリピ人への手紙(5)

2022年05月22日
聖書箇所:ピリピ1:19~23
説教題:私を通してキリストがあがめられる 

おはようございます。2022年5月第4週の礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。ネット配信で礼拝している本庄教会、また本庄教会以外の皆様もおはようございます。お元気でしたか?

この時間を共有できますこと感謝します。それでは聖書から共に学んでまいりましょう。

今日の聖書箇所はピリピ人への手紙1:19~30ですが時間の関係で26節までになります。先週はパウロの生き方から世の中的に見て大変だと思うこと、あるいは損だと思うことが実はそうでないことを学びました。彼はキリストの福音、すなわちイエスの十字架の死と復活の救いを伝えたためにユダヤ人の恨みを買い、とらえられました。そして裁判を受けるため、ローマに護送されます。到着後2年間にわたり裁判を待っている間は、家を借り自由に来る人を迎え、主イエス・キリストを伝える生活ができました。

そして2年間が過ぎた今、牢獄の中でピリピ教会あてに手紙を書いています。私たちが読んでいるピリピ人への手紙がそれです。死刑になるかもしれない中で彼はキリストにある命の喜びにあふれて獄中生活をしています。キリストの福音が伝わることがパウロの最大の喜びでした。

※私たちも大変厳しいと思われる状況にあっても喜びに変えられる生き方があることを学んだと思います。いかがでしょうか?それぞれが自分の使命に生きることが大きな喜びであり、あなたも逆転の人生を生きることができることを学ばれたことと思います。

まず前回15節~18節を飛ばしたので少し見ます。私たちの世界では一見するといやだなあと思うことがたくさんあります。例えばパウロの時代にも、ある人は妬みや争いの心もってキリストの福音を伝える人がいました。勿論愛をもってキリストを伝える人もいました。しかし彼にとっては、形はどうであれで、キリストの十字架の死と復活のメッセージが伝わることを喜んだのです。これからも喜ぶでしょうと告白しています。彼はキリストの福音が伝えられて人の生き方が喜びに変わることを大切にしていたのです。最終的に真に人を幸福にするのはイエスのみという確信がある。ただし十字架の死と復活が語られないとキリストの福音ではないのでこれは論外です。

19:ここから26節まで彼の喜びの原動力が述べられています。そして私たちがどう生きるかをここから学ばされます。私が喜ぶ理由はあなた方の祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって最終的には私の救いとなるから喜んでいる。彼は目先のことよりも最終的にはキリストの再臨を思いつつ一日一日を生きているのです。

20:彼の願いはどんな場合でもキリストを証することです。生きるにしても死ぬにしても私の身によってキリストがあがめられることという言葉に表れています。

※あなたはパウロの生き方を見ていかがですか?

私たちの場合はどんな生き方をしたらキリストがほめたたえられる生き方になるのか?それはやっぱり神を愛し、隣人を愛する生き方。他の人を自分と同じように大切にする生き方です。例えば困っている人がいたら助ける。見て見ぬふりはしないこと。人のために生きることです。それは自分を生かすことにつながります。このような生き方をできることから始めていくと、キリストがあがめられる生き方に変わっていきます。

21:生きることはキリストとありますが、※あなたにとって生きることは仕事で成功することですか。自分の健康ですか。家族の健康ですか。生活の安定ですか。貯蓄を増やすことですか。実は全部大切ですね。しかしもっと大切なことがあります。

では生きることはキリストとは、キリストから与えられた召命(calling)使命、任務に生きることです。パウロは自分に与えられた使命に忠実に生きました。キリストから使徒に直接任命されてのちは、キリストの愛を受け主とともに生きました。それ故彼の心にはいつも喜びがあふれ、死ぬことは益ですという結論に達したのです。普通、死といえば、終わり、絶望的なのであまり日本人は自分の死を話したがりません。でもキリストにあっての死は終わりではなく、消滅して何もかも消えてなくなるということではありません。

それは完成することです。永遠の世界への始まりです。ですから死ぬことは益になります。ちなみにこの益という言葉は経済用語で儲けるとか、黒字という意味です。うれしい言葉ですね。儲かるのですから。パウロはこのように自分の死を完成と受け止めていました。あなたはどうですか。ただ恐ろしいいう思いにだけとらわれていますか。

キリストにある人の死は恐怖ではなく、消滅するものではありません。儲かっているのだ。黒字だという事ですから安心して自分の生き方を貫ら抜いてください。ぜひキリストから任された使命に生きることを前提にして、完成に向けて積極的に自分の生き方を貫きたいと思います。

22~24:しかし肉体において生きるのであれば働きの実を結ぶことになるのでどちらを選んだらよいのかわかりません。板挟みになっています。自分の願いとしては世を去ってリストとともにいるほうがはるかに望ましい。24節しかしもっと良いのはこの肉体にとどまるほうがあなた方のためにはよいのだ。

25:パウロの確信。この肉体にとどまることがあなた方のために必要だ。あなた方の信仰の前進と喜びのために生きながらえる。※皆さんもそして私もパウロと同じようにこのまま死ぬわけには生きません。あなたを必要とする人がまだ何人もいるので長生きしてください。私も、できることならあと15年は生かしてほしいと願っています。ただし命は主が握っているのでどうなるかわかりません。

26:ここの結論部分。こののち彼は釈放されます。そして釈放後もう一度あなたがたのところにいけるので、キリスト・イエスをほめたたえることになると考えています。

こうして彼は今置かれている状況を喜んでいるのです。いかがでしたか。彼にとって生きる事はキリスト、死ぬことはまた益、儲けものの人生です。彼はキリストにあって自分の生き方を通してキリストがあがめられることを願っていたのです。そして現実にそうなりました。

私たちも同じです。パウロの生き方が特別なキリスト者の生き方ではなく、すべてのキリスト者に共通した生き方です。私たちがどう生きればキリストがあがめられる生き方になるのでしょうか。具体的に考えてみようではありませんか。