ピリピ人への手紙(4)

2022年05月15日
聖書箇所:ピリピ1:12~18
説教題:福音の前進に役立って

おはようございます。2022年5月第3週の礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。またネット

配信で礼拝している本庄教会、本庄教会以外の皆様もおはようございます。お元気でしたでしょうか?この時間を共有できますことを感謝します。

さて今日の聖書箇所はピリピ人への手紙1:12~18です。いよいよパウロも手紙は本題に入ります。この箇所を読むにあたり、まずいくつか確認したいと思います。使徒パウロはキリストの使徒としてキリストの福音(十字架と復活)を伝えた為に同胞のユダヤ人たちから妬みを受け信仰上の理由で捕らえられます。しかし生まれながらのローマ市民権を持っているパウロは不当な逮捕を皇帝ネロに弁明する為、ローマに送られます。そして到着後2年間は、軟禁状態ではありますが、ある程度の自由を与えられ過ごすことになります(使徒27:30)。

それでこの手紙が書いた時はその2年が過ぎ、裁判を受ける為に牢獄に移されました。1:17には、鎖に繋がれていると有りますので厳しい状況であることが分かります。しかしこのような状況下にあってもパウロピリピ教会と交流していました。お互いの信頼関係があったからです。

またピリピ教会からは愛の証しとしての献金が送られてきました。この時献金を届けてくれたエパフラデトは死ぬほどの病気になり療養していたのです。でもやがて回復したので、パウロはエパフロデトに手紙を託してピリピに向かわせました。これがピリピ人への手紙が書かれた背景です。

12:さてとは本題に入る書き方です。(私の実に起こった事は)今までと全く違った状況に追い込まれている事を知らせています。それは監視つきながらも自費で借りた家で自由に人を招いて証しが、出来た状態から、裁判を受ける為、皇帝の親衛隊の兵営に身柄を移されたということです。

これを見ると彼の周りでは、大変なことになったぞ。これでいよいよパウロの生涯も終わりか。もうだめかと言う声が聞こえそうですが、そんな事は有りません。逆に福音の前進のため役立っているというのです。これがパウロの受け止め方であり、実はキリスト者の受け止め方でもあります。

※大変だと思うことがかえって人生のプラスになることが多いです。福音の前進になるとは。逆境の中でもパウロを通してキリストの恵みや喜びが伝えられて広がっていくということです。

※こんなときにいつも思うのが星野富弘さんのことです。中学の体育教師をしていた星野さんは鉄棒の実技をしている時に鉄棒からおちて大けがをします。そして首から下が動かなくなってしまったのです。

元気な体育教師から一瞬の内に全く体が動かず、人のお世話を受けなければ生きられない人生に変わってしまったのです。一瞬にして絶望の人生に追い込まれました。苦しみと絶望の日が続く中で、彼はイエス・キリストと出会い信仰を持ちました。やがて人生の意義を見出し、絵を描き始めます。手ではなく口を使って季節の花の絵を描き始めました。やがて絵と身近なことを死に現わし、人々の心に感動を与え、絶望の中に在る多くの人に希望と励ましを与えるように変化していきました。体育教師時代とはまた違った意味で祝福の人生を生きるようになったのです。

あなたは如何ですか、こんなはずではなかったと思うようなことを経験していますか。病気になり体が思うように動かない。会社で出世が出来ず給料が上がらない。リストラされて無職になった。仕事を捜しているが見つからず収入が無い。これから先どうすればよいかわからない。人間関係がうまくいかない。夫婦の関係がうまくいかない。数え上げたらきりがないほど私たちはもうダメかなと追い込まれることがあります。しかし、そうではない事を星野さんの事例が示しています。

実はパウロも死ぬかもしれないというところに追い込まれて、尚、神は道を開きました。

彼は自分が置かれた状況を通して、逆に神から大きな祝福を受けました。それが「福音の前進に役立った」ということです。それを知って欲しいと願い3つの事を伝えしています。

①13:キリスト故に投獄されていることはパウロにとっては恥ではありません。むしろ喜びになっている。比較的自由な軟禁状態から、皇帝の親衛隊、兵営の中に移され牢獄で鎖に繋がれている状態です。明日の命は分からないのですが、パウロにとっては喜びです。

それは皇帝の親衛隊全員に明らかになったことを喜ぶ。親衛隊は一万人いたとも言われています。当然、ローマ市民権を持つエリートであるパウロが投獄された事で兵士の中で話題になります。

勿論兵士の家族でも話題になります。他の人たちにも明らかになりました。これによってキリストへの信仰とは何かが伝わります。こうしてキリストに在る生き方は逆境をも変えていくのです。

捕らえられた事によってキリストの十字架の死と復活のメッセージが伝わる可能性を喜ぶ。

②14:パウロの投獄によって信徒たちの信仰の確信が強くされた。逮捕されると、普通は権力者を恐れます。もしかしたら自分も迫害を受けるかももしれない。そうすると家族はどうなるかな。拷問されたら痛いだろうな。死ぬかもしれない。色々不安が増します。

しかしパウロの周りの信者たちは逆にキリストへの信頼を深めることが出来たというのです。

イエスは決して自分を裏切らず共にいてくださるという確信です。信仰故に不都合なことがあっても権力者を恐れない。このキリストへの確信が代々へと受け継がれ、ローマ社会はキリスト教迫害が続いても、やがて、あのコンチタンチヌス帝は回心し、有名なミラノの勅令が紀元313年に発令され、キリスト教迫害はなくなり、続いて392年皇帝テオドシウスの時代にはキリスト教が国教とされ、完全に信仰の自由な時代になります。これはキリスト者の確信が与えられた結果です。

※このようにキリストに在る確信によって自分を変え、人を変え、国りを変え、世界を変えます。

③何が福音の前進に役立ったか。ますます大胆にキリストの言葉を話すようになった。

この意味はキリスト者が普通に信仰の話ができることです。何もキリストの話をして相手を理屈でねじ伏せて、強引にキリストを信じさせるということではありません。日常生活の中でキリストの恵みを自然な形で人に伝えることです。その人の生活の中にキリストの命が生きているという感じです。これが一番良い伝道方法ですね。日々の生活の中に在ってキリストの恵みを語る。

※私たちも人との関係に於いてイエスを自然な形で話せるようになれれば幸いです。

今、あなたの人生がパウロと同じように逆境の中に在っても、それはやがて逆転の人生に変りますのでキリストに在って良い方向に受け止めるようにしてください。恐れる必要は有りません。やがてあなたや私を通してキリストの福音が広がり、大胆に語れるようになり、確信をもって生きる力に変ります。お祈りしましょう。