ダニエル書(2)

2023年4月24日

2022年10月16日
聖書箇所:ダニエル1:8~16 
説教題:心に定めたダニエル 

おはようございます。2022年10月第3週の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。
ネット配信で礼拝しているあなたもおはようございます。今日もご一緒に学んでまいりましょう。

それではさっそくダニエル書(旧約1506頁)を開きます。その前に何故ダニエル書を学ぶか?前回話しましたが、終末時代に生きる私たちが、世の中の状況に惑わされ右往左往することなく、神の主権を意識して生きる、そしてどんな困難な環境の中にあっても、主に信頼するものに対し神は恵みをもって臨んでくださることをダニエルから学びたいからです。またマタイ24章15節でイエス再臨前に起こる大艱難時代の対応についてダニエル9:27を引用し弟子たちに対し「それゆえ預言者ダニエルによって語られた「あの忌まわしいもの」が聖なるところに立っているのを見たら、ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい」と警告しています。こうしてみると人間としての立場も持つイエス様はダニエル書が神の言葉であると受け止めて読んでいたことがわかります。そんなわけでイエス様も愛読したであろうダニエル書を学ぶことは非常に有益です。

8:今日は8節からですが、その前に少年時代(多分15歳ぐらいと思われますが)王と共にバビロンに連れていかれたダニエル達は、バビロン風に名前に変えられました。それは王が自国の文学や言葉を学ばせ自分の帝国に役立つ人物に仕立て上げ、自分の国に同化させようとしたのです。
 
悲しいかな軍国主義時代の日本政府もかつて支配した朝鮮半島の人々に対し強制的に名前を変えさせた時代がありました。目的は民族のアイデンティティーを奪い、日本人と同化させようとしたことです。因みにダニエル達がつけられた名前はすべてバビロンの偶像神から来る名前です。
・ダニエル 神は裁き主➡ベルテシャツァル ベル(バビロンの神)の守りをという意味です。
・ハナンヤ 主はあわれみ深い➡シャデラク バビロンの太陽神「ラク」「太陽神の光を受ける」という意味です。
・ミシャエル 神のような方が他にいるだろうか➡メシャク「アクである方は誰か」イスラエルの神から異教の神アクに変えられた。
・アザルヤ 主は助けてくださる➡アベデ・ネゴ「ネボのしもべ」です。ネボは、バビロンの神ベルの息子 イザヤ46:1
しかし少年ダニエルは自分の名前が変わろうとも創造主なる神の前に忠実な信仰者として生き、自分が置かれた立場の中で神中心に生きる事を選び、喜び、神に期待しながら生きていました。

では何故、彼は王が食べるごちそうや王が飲む葡萄酒で身を汚すまいと心に定めたのか?その背景は5節。王は三年間、宮廷で王に仕えさせ、その後バビロン帝国の為に役立つよう考えました。その中には王と同じものを食べたり飲んだりすることも含まれていました。

これは彼らにとって大きな試練でした。旧約時代の神の前にある常識からすればダニエルの生き方に反する食生活が定められていたからです。一つは旧約聖書のレビ記の食物規定反していたものは穢れているとみなされ食べることをしませんでした。たぶん反芻しない動物の肉が食卓に上ったと思われます。例えば豚肉とか。あと一つ考えられるのは王が食べる食事は偶像の神に一旦ささげられた可能性があります。それ故偶像とかかわりがあったので、ここは妥協できないと考え、身を汚すまいと心に定めた。そして彼は行動します。王に仕える宦官のトップに直接申し入れたのです。
※この心に定めるのは大切ですね。日本も偶像社会ですが、態度を曖昧にするとズルズルいきます。例えば葬式、祭りに出席しても偶像礼拝は避けることが肝要。拝まない理由を尋ねられたら創造主なる神だけを礼拝する信仰の立場なのでと言えば相手は理解してくれます。皮肉を言われるかもしれませんが、強引に圧力をかける人は少なくなっています。この姿勢を通すと後が楽ですね。

ダニエルは名前を変えられたり、宮殿で仕事をしたり、バビロンの学問を学ばされたりすることは受け入れました。特にバビロンのさまざまな学問は彼のこれから続く70年の人生に大いに役立ちました。でも偶像礼拝だけは何と非難されようと受け入れない。キリスト者は変わっているとか、日本社会の常識を知らないとか、寛容さがないとかいろいろ言われるかもしれませんが、神の前に生きるものとして一線を引くことは大切なことです。そうすると逆に人から信用されます。

9:神は宦官の長の心を開いた。神はというのが大切。神が主権をもって導いている。
宦官がダニエルに対し恵みとあわれみの心を持つようにされた。バビロンに捕らえられる前もⅡ列王24:1~2(旧約698頁)で神である主がカルデヤ人を通してユダを攻め滅ぼすことを認めています。人間を超えたところで主の業がみることが出来ます。最終的には神が主権をもっておられることを認めざるを得ないのです。

結果的にダニエルの提案が受け入れられますが、その前に食べ物に対する聖書理解について一言。後にイエスはすべての食物はきよいと宣言されました。食べ物が人を汚さないからです。これが新約時代に生きる私たちの前提ですが、ダニエルの時代は違います。レビ記の食物規定が基準で、食物規定に反する、それ故王のごちそうを食べることは偶像礼拝になると考えたのです。

12:提案、10日間野菜と水だけで食生活させてほしい、この野菜は単に白菜やホウレンソウ等の野菜だけではなく大麦、小麦、豆類を含む言葉だそうです。そう考えると極めてバランスの良い健康食品を食べると言っているので理にかなった提案であることがわかります。
結果どうなったか。15節です。
15:王が食べるごちそうを食べている少年よりも顔色が良く体つきもよかった(恵みの証)
16:結果的にダニエルの提案は受け入れられ彼らの課題は信仰と行動によって解決した。

適用
・日本のような偶像社会の中では柔軟な考えをもって生きることが大切です。しかし偶像と礼拝につながるときには祈りつつ主からの勇気と知恵を大胆に避ける態度を明確にする。もし失敗した場合は悔い改めて再スタートする。
・私たちはどんな境遇の中に置かれても神の栄光を現わしていける道が開かれています。
苦しいときは少年ダニエルが生きた信仰の歩みを思い出し勇気と力をもらって生きよう。
結び
これから後ダニエルに襲い掛かる様々な課題があります。彼は非常に長生きをして、多分80代まで生きますが困難の連続でした。ダニエルも私たちと同じ弱さを持った人間でしたが神の前に心に定めた結果変えられる人生を送ることが出来たのです。この彼の生き方から学び取って私たちも大いに変えられる人生を生かしていただきましょう。