無限の神の愛 

2022年12月19日

2022年11月27日
参照聖句:ヨハネ3:16~17
説教題:無限の神の愛 

おはようございます。2022年11月第4週の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。
ネット配信で礼拝しているあなたもおはようございます。共に礼拝をささげる恵みを感謝します。

いよいよ今日からアドベント(待降節)です。
今年も1ケ月ろうそくの灯をともしながら主イエスのご降誕を待ち望みます。飾りつけも有志達によって行われました。それでは聖書からクリスマスの意味について考えてまいりましょう。
この聖句は非常に有名で「聖書の中の聖書」「小さな聖書」等と言われたりします。又この聖句だけで賛美歌にもなります。群馬県出身の新島襄先生は「これは新約聖書の富士の山、富士山で有る」と言い、あの宗教改革者マルチンルターは「これは聖書の縮図、又小さき福音書である」といったとのことです。何故ならこの短い言葉の中に聖書のメッセージすべて入っているからです。

さてクリスマスは皆様ご存じのように、人を罪から救うため神の独り子イエス・キリストが神の御座から離れ完全な人としてこの地上にお生まれになった事をお祝いする日です。但し生まれた時にお祝いする人はほんのわずかで寂しいクリスマスでした。又具体的な誕生日はだれも分かりませんが後に12月25日と定めて誕生をお祝いする日にしたのが今も続いています。

何故12月25日か?それはこの日、冬至が終わって太陽が光を増して明るい時間帯が増えてくることと関係付けたのです。キリスト教会が当時の異教の祭りを飲み込んでいったのです。まさしく義の太陽イエス・キリスト誕生にふさわしい日。因みに今年の当時は12月22日(木)です。

またいつもお話させていただいていますが24日のクリスマスイブはクリスマスの前日ではなくクリスマスのイブニング(夜)の意味です。24日の日没からクリスマスと言う事になります。というのは聖書の一日の数え方は日没から日没までの数え方だからです。

まず17節を見てください。これがクリスマスそのものの意味です。「神が御子を世に遣わされた」神は世界のつくり主。この世界とすべてのもの、人間を造られた創造主のことです。御子はイエス・キリストで父なる神の子という立場です。聖書の神は唯一ですが父なる神、子なる神、聖霊なる神というように三つの位格を持つ永遠の存在です。父、子、聖霊はすべて本質が同じ、現れ方が違うだけで、他者と区別される存在、ペルソナをもっています。三つにして一つなる神なので、この神のことを専門用語で三位一体の神と言います。

遣わされたその目的は、御子によって世が救われるためです。御子をイエス・キリスト、世を私たち人間と置き換えるとわかりやすいです。即ち、イエス・キリストによって私たちが救われる為に神が御子をこの世界に遣わされたのがクリスマスの目的です。あなたを救う為、この世界に神の御子イエス・キリストが人間としてお生まれになった。これは実に驚くべき大きなことです。また注目すべきは救われるという言葉ですね。何からの救いでしょうか。私たちが生まれながら持っている原罪、罪からの救いでこの罪が赦され新しい命を受ける事を救われると言います。

16節に戻ります。17節で説明したことと重なる部分がありますがお聞きください。
1.神は この神は日本人が作った八百万の神ではなく、私たち人間とこの世界のすべてを無から創られた創造主を聖書で神と呼んでいます。ですから日本で神についてクリスチャン以外の方に話すときには注意が必要です。それはあまり神様という言葉は使わないことです。創造主、唯一神、天主、様をつけないで神とか言葉を変えると相手は理解を深めると思います。日本の神様という言葉は範囲が広すぎで、区別が出来ないのでひと工夫が必要なのです。このひと工夫をすることにより聖書の神と日本人一般が使っている神様との違いについて理解が一歩進んでくると思います。

2.実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
これは御子と同じですが、ここではあえてそのひとり子と言っています。特別の存在なる御子。
これは父なる神が愛するご自身の比類なきひとり子の神イエスをこの地上に人としてお与えになったほどに世、人間、私たちを愛された(大切にした)と言う事です。神の愛は無償の愛です。

3.それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。
人は良いところがたくさんあります。人格的に優れた方は大勢います。でも神の前にすべての人は生まれながら罪(的外れ)を持っている存在、これを原罪と言いますが、人間が生きていくうえで最大の課題ですね。神の前で誠実に生きようとすればするほど一生のテーマで罪と向き合うとき人は己の罪深さゆえに悩みます。キリスト者であるか、そうでないかに関係なく。罪は一生私たちの心から消えません。完全に克服することはできないのです。死んだら神の前に出て人生の総決算を受けるのです。審判を受け、義とされない人は最終的に滅びます。永遠の地獄です。
ではどうしたら罪は解決できるか。良しとされるか、それは一方的に神によって赦される(免除)しかないのです。人間の努力や頑張りでは神の義に到達できる人はだれもいません。神の側から罪がないと認めてもらうのが唯一の方法です。

その為イエスは私達と同じ人として来られ、罪の赦しの為に神の刑罰を一身にあの十字架の上で受け御業を全うしました。イエスだけがそれが出来るお方です。なぜか?このお方は人となられた神ゆえ、私達人間と違い罪がないから、世界でただ一人罪の身代わりになることが出来るのです。だから人は信じるだけで救われる。これが御子を信じる者と言う意味です。
信じた者に与えられるのを救いと言います。救いは前にお話ししたように罪の赦し・解放と永遠の命が与えられること。無限の神の愛から来る本物の救いです。

4.では最後に救われるために何をどう信じればよいのかを考えて結びとします。
コリント人への手紙第一15:1~5 新約聖書349頁
・キリストが十字架上で苦しまれ、死んで葬られ、三日目に復活したことが人間に良い結果をもたらすので福音(良い知らせ)と言います。1節、2節 創造主の存在を信じ事が前提
・そのうえで救いを受け新しい人生へと変えられるポイント。福音の3要素
1.キリストが十字架で死んだのは私の罪を赦すため
2.キリストは死んで墓に葬られた
3.キリストは三日目に復活して今も生きている事。この福音(良い知らせ)を信じて救われる。

これをあなたの心で信じ受け入れたらあなたの心に新しい命と罪の赦しを受けてあなたに新しい人生が待っています。是非キリストが世界に来られた意味をもう一度考えて無限の神の愛から来る本物の救いを受けて新しい人生を共に生きましょう。